≪25≫ 足跡
――やばい……わざとずっこけてあげるべきだったか?
尻餅をついた巨漢を見下ろし、どうやってこの場を取り繕うべきかルシェラは考えていた。
冒険者証を落としたわけだし(普通は他人の冒険者証なんて持ち歩かないから、よく見ていないけどこの男のものだろう)、おそらくこいつは冒険者だ。
岩みたいな腕を剥き出しにした彼は、いかにも鍛えている雰囲気だった。
こんな大男が結構な速度でルシェラにぶつかってきたのに、吹っ飛んだのは大男の方でルシェラはよろめいてもいないのだから、もしこの状況を通行人が傍でよく見ていたら首をかしげたところだろう。
実際、彼の体当たりは、山で戦った『変異体』の突進や飛びかかりに比べたら貧弱と言ってもいいほどで、今のルシェラには痛くも痒くもない。
だが、それが一般的感覚からすればおかしいのだという事を、ルシェラはちゃんと自覚していた。
毛皮を巻き付けただけという野生児スタイルのルシェラは、外套を借りてそれを隠し、さらにフードを深く被って特徴的な縦長瞳孔の目も目立たないようにしている。
それは何よりも、変に人目を引いて騒ぎになるのを避けるためだ。なのにこんなアクシデントで目立ちたくはない。
「こい、つは?」
「あ、ああ。なんだその、こいつは……」
「ルシェラと言います。
こちらのティムさんにお仕事をお願いしようと、お話し合いをしていたところです」
ルシェラはかなり適当な言い訳をした。
「さあ、早く行きましょう」
「ああ……」
大男が呆然としているうちにルシェラはティムの手を引いて促し、去って行く。
このまま深く考えずに忘れてくれたら助かるところだ。
――なんだ……? 腹の辺りがもたれるような……痛むような……
衝突でダメージは受けなかったと思うのだが、妙な感覚がルシェラの腹には残っていた。
「グルルルルル…………」
カファルはルシェラにぶつかった男が許せないのか、鞴のような音で息をついて雑踏の向こうを睨んでいた。
「さっきの人は? お知り合いですか?」
「ゲメルだ。腕は立つんだがな……それ以外全部ダメなタイプの冒険者だよ。
冒険者だって究極的には商売だ。礼儀や計画性、忍耐みたいなもんが上へ行くほど必要になる。
だがあいつにはそれが無ぇ」
ティムは嘆く調子で酷評する。
「一時期は調子良かったんだが、最近は見てらんねえよ。
縋って助けを求めてくるなら、俺にもやりようがあるんだけどな……」
「ふうん……」
「リーダーは甘すぎる。あんなクズ野郎にゃ関わらない方が吉だぜ!」
ティムに対してウェインは軽蔑も露わで、触れたくもない様子だった。
どくん、と。
ルシェラの頭の中に心臓が引っ越してきたかのように、熱く脈打つものがある。
――『いいぜ、お前を雇ってやろう』――
べとつく古い油みたいな、嫌みったらしい声が頭の中に響いた。
――『今後、雑務一切はお前にやらせる。絶対に手を抜くなよ。
……何? 給料? へっ、安いって思うなら俺は別にいいんだぜ。雑用係の換えなんていくらでも居るんだから』――
見下し、己の優位を確信し、そして彼は、支配していた。
目上の者にはこびへつらい、目下や格下に対しては邪悪な神の如く横暴に振る舞う……
そういう男の声がした。
「この声は……さっきの奴……?」
覚えがある、気がする。
なのに、その記憶は思い出す傍から泡と消えて、ルシェラの手の中から零れ落ちていく。
「ほら着いた、ここが冒険者ギルド支部だ」
記憶をまさぐりながら歩いていると、いつの間にやらルシェラたちは冒険者ギルドの支部に着いていた。
クグトフルムの街の冒険者ギルド支部は、元は神殿だった建物を何かの理由で使っているらしく、鐘の撤去された鐘撞き塔に時計をくっつけた大きな建物だった。
やはり、見覚えがある気がした。
* * *
聖堂を改装したロビーには、高い天窓のステンドグラスからカラフルな明かりが差し込んでいる。
そんなロビーの、カウンターで仕切られた向こう側で、同時多発的にいくつもの愉快な爆発音が発生した。
「うわあ、魔法適性測定器が!!」
「きゃっ、元素検知器が全部!?」
「新調したばかりの竜気観測設備があああああっ!」
オフィススペースは騒然となり、ロビーにたむろしていた冒険者たちも何事かとざわめき始める。
そんな中、ティムはカウンターの職員に話し掛けた。
「なんだ今日は随分賑やかだな」
「ああ、ティムさん! なんか知らないけど色んなものが一斉にイカレて……」
「ふうん……ま、まあそんな日もあるだろ」
引き攣った笑いで誤魔化して、ティムはルシェラに顔を寄せて耳打ちする。
「おい、もうちょっと上手く色々隠せよ……
バレるぞ、ここは鋭い奴ばっかりなんだから」
「努力します……」
クグセ山での修行生活で不要だったのが『気配を消すこと』だった。
山にはそもそもカファルの気配とも言うべき竜気が渦巻いており、その中にあっては他者の気配を読むことがそもそも難しい。
音とニオイさえ隠せば忍び歩くのに不都合は無かったのだ。
しかし山から出た今、そうはいかない。
「例の噂、何か分かったか?」
「ドラゴン語通訳の件ですね。可能な限り調査しました」
ティムと親しいらしいギルド職員(“黄金の兜”を担当する管理官だろうか?)は、綺麗な文字で書かれた数枚のメモと何かの資料を出して、カウンターに広げる。
「ギルド内の記録にはありませんでした。
ですが数人の冒険者の方から情報を得られまして、噂の出所は概ね確定しました」
「流石だ。それで?」
「……とある冒険者の方が『自分はドラゴンと話せる人を知っている』と言っていたそうです」
「ほう。それで誰なんだよ、また勿体ぶるなぁ」
物語めいた焦らす物言いに、ティムは苦笑する。
しかし職員の表情は、悲痛な様子さえあった。
「分からないのです……」
「え?」
「便宜上『彼』と言いますが……ドラゴン通訳者を知るという『彼』は、確かにギルドに所属する冒険者でした。
ですが『彼』は去年、クエスト中に魔物に殺されました。
その時……何故か、誰もが『彼』の名前を忘れてしまったんです」
ティムも、ルシェラも、唖然としていた。
散歩をしていたはずなのに気が付けば迷宮に迷い込んでいた、みたいな気分だ。
「名前を忘れるだけならまだしも、『彼』の名前を記した全ての資料がギルド内から消失しました。
誰かが紛失したわけではなく、消えたんです。それこそ紐で綴じられていたものまで該当ページだけ抜き取られて。
……名前が書いてある全ての書類が消えたとなると、ほぼ全ての記録が消失したに等しく、『彼』についてはもはや何も分からない状態です……」
どんな魔法でも普通はあり得ないような事態だ。
しかも、何故こんなことになったのか分からないし、何者かの意図が介在しているとしたらそれは何が目的なのかということも分からない。
薄気味の悪い状況だった。
「……ただ、分かっていることは、彼がパーティー“七ツ目賽”に所属していたことです」
「おいおい……ゲメルん所かよ」
ティムは顔を、渋いと言うよりも苦く歪めた。
今日はここまでですが明日は多分三回くらい更新します
日間ジャンル別2位・総合4位・ブックマーク1000突破(とか言ってるうちに2000行きそうだけど!)ありがとうございます!
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