≪24≫ 再会
クグセ山の麓。
山の一番下の裾の部分に、ちょっと乗り上げたように存在しているのがクグトフルムの街だ。
道なき道を通って山を下ってきた一行は、東からの街道が稜線を跨ぐ、小高くなった場所で街道へ入った。
そこは丁度、山裾の街が一望できる場所だった。
「わあ……」
山から流れ落ちる川を人工的に拡張し、東西に伸ばして『川の十字路』を作り運河とする。
山裾から、その運河を抱え込むように広がっているのがクグトフルムの街だ。
傾き掛けた日を浴びて輝く運河は、まるで街を彩る宝石のようだった。川に張り付くように艶めく屋根の建物が並んでいる。
「水の都、クグトフルム。
ま、この国の街はだいたい『水の都』って呼ばれてんだけどな」
感嘆するルシェラを見て、ティムは誇らしげだった。
しかし、ただ美しく思って感動するというのみならず、この景色はルシェラの琴線に触れるものがある。
「この景色、知ってる……気がする。俺、この街に来て……」
見た。
この景色を。
この場所からの景色を。
その時■■■■■は独りではなかった。
――『良い街だな。海はどうも好きになれないが、川や運河は好きだ。
何より近場にドラゴンが住んでるってのが良い。ふと部屋の窓から見えた山にドラゴンが居ると思うだけで心が弾まないか?』――
彼女は確かそう言って、子どもみたいに無邪気に笑った。
――『この街から旅立つことは無理かも知れない……でもそれがこの街なら、悪くないかもな』――
そして彼女は、こちらを向いて…………
「誰……? 誰だ? 誰と一緒に、これを、見たんだ……?」
記憶の断片。
そこに繋がって見えてくるはずのものが、何も見えない。
無理に思い出そうとしたら頭が燃えてしまいそうだった。
「るしぇら……」
ルシェラを案じる様子で、カファルは呟く。
「ここは俺たちのパーティーが拠点にしてる街だ。良い街なんだぜ」
ティムが声を掛けてきて、ルシェラの頭に纏わり付いていた霞のような記憶は、夜の夢を朝に忘れる瞬間のように掻き消える。
「俺ら冒険者ってのは本質的に、国も街も関係無い根無し草だ。この国の騎士様やお貴族様が何人討ち死にしようが知ったこっちゃねえ。
だけどな、見知った景色が戦火に包まれて、知ってる顔が兵士に殺されるのは嫌なんだ……俺は今、そのために自分ができることをしてる」
キンピカにメッキされた兜の面覆いを持ち上げて、ティムは渋い顔で街を眺めていた。
『できること』。クグセ山のドラゴン……カファルの力を借りることか。
「……で、な。若干眉唾物の噂ではあるんだが『この街にドラゴン語の通訳をできる奴が居る』って話を聞いたことがあるんだ」
「ドラゴン語の通訳? そんなことができるんですか?」
「可能か不可能かの話であれば可能です! 人間にとっては非常に習得難度が高い言語ですが」
「俺が噂を聞いたそいつが本物かは知らんけどな」
ティム自身、ちょっと半信半疑という雰囲気だった。
「お前が居てくれて助かったが、でもな、お偉いさんと話をするってのに当事者の人間語が不自由じゃ問題が起こりかねないだろ」
「確かに……変な行き違いとか起こりそう。
俺もドラゴン語は、恥ずかしながらさっぱり分かんないし」
実のところティムは、ルシェラの通訳を期待していたのではないかという気もするが、残念ながらルシェラはカファルの言葉がよく分かっていない。
『ルシェラが取りなせばカファルも話を聞いてくれる』というのは確かに大きいだろうけれど、もし王様なんかと交渉するなら、言葉の壁を埋める自信は無かった。
「だから俺はまず、その『通訳』を探そうと思ってる。実は山に来る前に冒険者ギルドに情報収集を頼んでてな、まずはその成果を確認しに行くとこだ」
「そっか……」
ルシェラは、ふとカファルの方を見やる。
彼女は一歩離れたところから、どこか不安げにルシェラの方を見ていた。
――ドラゴン語の通訳……そんな人が居るなら、俺もカファルの気持ちをちゃんと聞けるだろうか。
* * *
偶然だった。
もう、『奴』の冒険者証なんて物入れの奥底に隠して二度と見ることなど無かったはずなのに。
ただ、ちょっと探し物をしていて、ゲメルはそれを偶然見てしまった。
そして、以前見たとき既にあり得ない状態だった数字が、更にあり得ない事になっていると気付いてしまった。
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名前 ■■■■■
Lv40
HP 852/852
MP 2398/2398
ST 716/716
膂力 58
魔力 75
敏捷 60
器用 19
体力 52
抵抗 93
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“七ツ目賽”の面々は、ギルド指定の宿の一室にて(貸家は引き払った)、唖然としてその冒険者証を覗き込んでいた。
超人と表現することさえおこがましい、もはや人という概念の遙か彼方に位置するパラメータが記されている。
「また、数字が増えてやがる……?」
「能力値だけじゃないぞ。レベルもだ」
「いや、でも40って」
レベルというのは、戦いの経験を数字化したもの。
とは言えこれも今ひとつ合理性に欠く部分がある。
あくまで経験の総量だけを評価するため、極論すれば強敵の目の前で右往左往して逃げ惑っているだけでも、死にかけの強敵を介錯してもレベルは上がる。
高ければ勲章にはなるが、別にレベルが上がったからと言って何かが変わるわけではないので、一つの指標ではあっても冒険者たちはあまり重視していない。
だが、それはあくまでも数字が常識の範囲に留まっている場合の話だ。
レベルは徐々に上がりにくくなっていく。
『普通の冒険者』が堅実に仕事を続け、三十代くらいで身体にガタが来て引退するとして、その時レベルは20台……というのが相場だ。
レベルを30の大台に乗せるには、それなりに英雄的活躍をしなければならない。
実際、まだ若くキャリアも短いゲメルがレベル22というのはかなり良い方だ。この調子なら引退までにレベル30に届くだろうし、それを看板に第二の人生で良い商売をできるかも知れないとか考えていた。
レベルとはそれくらいのペースで上がるものだ。
もし、これほどの短期に3から40まで上げるとしたら、余程の大物を数十は討伐しなければなるまい。
たとえば、そう、クグセ山に住まう『変異体』どものような……
「……捨ててくる!」
ゲメルは冒険者証を掴んで、何かに弾かれたように立ち上がる。
「ええ!? でも捨てちゃ駄目だって自分が……」
「顔なじみの売人に言って、こういう物の始末が得意な奴を紹介してもらうんだよ!」
ゲメルはそれだけ言い置くと部屋を飛び出して、早足に歩き出した。
手に持っているプレートの感触が嫌に冷たく思われて不気味だった。
「どけ、邪魔だ!」
「きゃあっ!」
呑気に歩いている通行人全てが煩わしかった。
人を掻き分けるようにしてゲメルは、賑わう通りを猛進する。
だが突然、石の柱に正面衝突したかと思った。
「ぐげっ!?」
とんでもなく重量感のある人影にぶつかり、ゲメルは足早に歩いていた勢いの分だけダメージを受けて吹っ飛ばされ、盛大に尻餅をついた。
「いってえなこの野郎、もっとよく前見て歩……」
「お前こそもっとよく前を見て歩け、ゲメル。
こんな小さい子にぶつかっておいてなんだ、その言い草は」
「げっ!?」
ゲメルは驚愕し、尻餅をついたまま目を見張る。
驚いた理由の半分は、自分を咎めたのがこの街のトップパーティー“黄金の兜”のリーダー、ティムだったから。ゲメルでも頭が上がらない相手だ。
そして残りの半分はゲメルにぶつかって弾き返したのが、ゲメルの半分ほどしか身長が無いような少女だったからだ。
長く赤い髪を持つその少女は何故か、引きずるほどの長さの外套で全身をすっぽり覆っている。
ゲメルのような巨漢が結構な勢いでぶつかったはずなのに、彼女は涼しい顔で、そよ風に頬を撫でられたような調子で立っていた。
「ごめんなさい、落とし物ですよ」
少女は可愛らしく笑って、平然と、ゲメルが落とした■■■■■の冒険者証を拾って返す。
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名前 ルシェラ
Lv40
HP 852/852
MP 2398/2398
ST 716/716
膂力 58
魔力 75
敏捷 60
器用 19
体力 52
抵抗 93
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塗りつぶされていたはずの名前は、今や鮮明に記されていた。







