≪20≫ 警告
世界は時に容易く崩れ、温かな寝床にも寒風が吹き込む。
「また侵入者かよ、しかもまたカファルが居ないタイミングで」
その日、ルシェラはまたしても自分の行動圏内に立ち入る冒険者を発見した。
先日出遭った“青旗”なるパーティーは、ドラゴンの巣の近くは立ち入り禁止のままだと言っていたはずだが、実際どの辺までが立ち入り禁止かは曖昧らしい。
そもそも調査に入るのさえ危険な山なので、正確な地形を把握しがたく、どこからどこまでが立ち入り禁止だと言うのも難しいからそうなったらしいが。
にしてもドラゴンの巣からはっきり見えるほどの場所で炊事をして煙を立てるなんて不用心すぎるだろうと、木々の合間から立ち上る煙を見てルシェラは思った。
「おいおい、強い魔獣はだいたい頭もいいんだぞ、こんなの見つけてくれって言ってるようなもん……」
木々を掻き分け、斜面を駆け下り、煙の真下にルシェラは向かう。
そこには誰も居なかった。
――なんだ? 炊事の煙じゃない。狼煙?
少し開けた場所にささやかな焚き火が設えられて、そこからボンボンと煙が立っていた。
ただ薪を燃やしただけではあり得ないような煙の立ち方で、狼煙にするための薬か何かが燃やされたのだと思われた。
だが、何のために?
その時だ。
『君が、ルシェラかい?』
「うわあ!?」
幽霊のような青白い人影が、突如、焚き火の傍らに立った。
しかし別に、化けて出る時間を間違えた幽霊というわけではなさそうだ。
レンズをくっつけた小さな箱みたいなものが草の影に置いてあった。青白い男の姿は、そこから投影されているのだ。
「幻影の魔法……? いや、マジックアイテムか?」
その男は、鋼の山脈みたいな重厚な鎧を着ていた。
おそらく冒険者だろう。
『このような形で誘いだしてしまってすまない。どうしても話がしたかったんだ』
「誰だ、あんた」
『冒険者パーティー“黄金の兜”、リーダーのティム。
先日君に助けられた冒険者の先輩……いや、友人かな』
青白い幻像が話すのと被さって、どこか離れた場所からも声が聞こえた。マジックアイテムによって姿と声を届けているらしい。
おそらく、狼煙に惹かれてルシェラ以外の何かが来てしまったら危ないから、自らが狼煙の下で待つのではなく魔法による遠隔会話の準備をしていたのだろう。
「俺が助けた冒険者……あの“青旗”ってパーティー?」
『そうそう、彼女らだ。
その件で君にお礼をしに来た。まあ、お礼になるか分からないが……
大切なことを知らせに来たんだ』
鎧男は兜の面覆いを持ち上げる。割と渋い顔だった。
彼は渋い顔を更に渋く歪め、凜々しく太い眉をぐっと寄せる。
『山の女王に危険が迫っている。
もし、彼女の養い子だという君が、彼女を大切に思うのであれば、落ち着いてよく話を聞いてほしい』
* * *
“黄金の兜”は三人組のパーティーだった。
リーダーは戦士のティム。メタリックに青く輝く、山脈のように重厚な全身鎧を身に纏い、巨人用のナタみたいな大剣を背負った男だ。兜だけは何故か金メッキがされている。
二人目が盗賊のウェイン。目を覆う仮面に黒シルクハット、そして黒マントという、どう見ても山を歩く格好ではない怪盗スタイル。こんな重苦しい出で立ちなのにどこか軽薄な雰囲気が漂う男だ。
そして紅一点の魔術師、ビオラ。ビン底を切り抜いたみたいな眼鏡を掛けた彼女は、野暮ったさを砂糖で煮詰めてジャムにしたかのようなローブと、辛うじて魔女っぽい濃紫の上着を身につけていた。腰のベルトにはなんだかよく分からない道具がいくつも収まっている。
狼煙を揉み消し、岩陰の隠れ場所にルシェラを呼んだティムは、挨拶もそこそこに話を切り出す。
「このクグセ山は国境の山なんだが、知ってるかな」
「えっと……」
ルシェラは頭の中に地図を思い浮かべた。
このクグセ山は東西に広がる山脈地帯の一部。南北を隔てる国境線でもある。
――うん、出来事の記憶に比べると知識は消えてないんだよな。
カファルに名前を貰ったとき、ルシェラは自分自身に起こった過去の出来事や、出遭った人々に関する記憶をほとんど失った。
しかし、そういった個人的な出来事とは別の『知識』とでも言うべき区分の記憶は概ね無傷だった。
「北には大国マルトガルズ、南には水の国セトゥレウ」
「知っていたか」
「生まれも育ちも山ってわけじゃないんだ。外の事情も知ってる」
ティムは頷いて、表情をますます渋くする。
「では、マルトガルズがレッドドラゴンを、つまり君が言う所の『カファル』を排除してクグセ山を越え、セトゥレウへ攻め込もうとしていることは知っているかな?」
理解するまでに一秒。
その衝撃を受け止めるきるまでに一秒。
時が止まったかのようにいつまでも続くかと思われた、奇妙だけれど穏やかで幸せな生活は、揺らぐ。
「知らない……」
「こいつは実際、最近のことだ。
……マルトガルズは東で長いことグファーレ連合と戦争をしてる。そのグファーレが南の友好国から支援を受けるための命綱がセトゥレウだ。セトゥレウはあくまで物と人の通り道になってるだけの第三者って立ち位置だが、戦争がここまで泥沼になったのはセトゥレウあってこそだな。
マルトガルズにとっちゃ目の上のたんこぶだし、戦力差を考えればすぐ潰せる相手だ。しかも地図上では隣接してる。だのにずっと、魔境・クグセ山に阻まれてセトゥレウに攻め込めなかった」
「それがなんで、急に?」
ただ純粋に聞いたのだけれど、ティムはもうただでさえ渋い顔を、草団子に生の虫を添えて食ったかのように渋くした。
「それに関してはこちらこそ聞きたい。この山で何が起こってるんだ?」
「……え?」
「ドラゴンの住む領域には強力な『変異体』が跋扈する。
抜け落ちた鱗や爪だの、フンだのを食って……あるいはドラゴンが発する竜気を受けて、異常な変異を遂げた強力な魔物だ。
そう簡単にクグセ山に入れなかったのは『変異体』がわさわさ居たからだよ。少人数で忍び込むならまだしも、軍隊なんぞ通そうとしたら確実に大惨事になる。
でもな、その変異体が最近、急激に減ってるんだ」
ルシェラの中で、全てが繋がった。
「減った……」
歯車が噛み合うように。
あるいは、噛み合っていた歯車が、ネジ一つ緩んだことで連鎖的に崩壊するかのように。
ルシェラは理解した。
「狩ったんだ、カファルが……俺に食わせるために……」







