≪41≫ 帰宅
辺りの水が引いたため、小さな溶岩島は、島ではなく丘になってしまった。
島に蓄えていた竜気ももはや尽きて、焚火の如き小さな溶岩の池を、皆で囲む。
周囲の林は嵐で根こそぎにされ、引き裂かれた倒木が泥の中に埋もれているばかりだ。
今は虫たちも洗い流されてしまった様子で、その声も聞こえない。
溶岩に突っ込んだ薪が時折爆ぜる音だけ、そこにあった。
「愛ってやつぁ、なんなんだろうな」
湿気た(だが幸運にも未だ形を保っている)携帯食料をまずそうに囓りながら、やにわにウェインが呟いた。
「いきなりどうしました?」
「考えてみりゃ、今回の大騒ぎ、全部そのせいじゃねえかよ。
国がいくつ吹き飛ぶか、って大騒ぎがさ……」
ウェインは大げさに肩をすくめ、藍色の錫杖を見やる。
大暴走を繰り広げた『慧眼の渦嵐』も、泣き疲れて寝入った子どものように静まりかえり、今や一本の錫杖としてそこに転がっているだけだ。
「伝説ってのはどこまで本当か分からんが、愛の力で奇跡を起こした話は山ほどあるだろう。
逆に大騒ぎを起こすことだってあるんじゃないか?」
「それこそ痴情のもつれで戦争が起きた話だってありますし」
「愛ってな、あっても無くても、手に入れても失っても面倒を起こすか!
いやはや、怖えもんだ」
「そういうもの、なのかも」
人間たちのグダグダ話を聞いていたカファルが、会話に混ざった。
彼女は人間たちの邪魔にならぬよう、少し離れた場所でうずくまっていたが、長くしなやかな首を伸ばして、焚火の囲いに鋭角的な頭部を差し込んできた。
人の言葉が苦手であるため、皆で話しているときはじっと聞いている事が多いカファルだが、必要とあらば労を惜しまず言葉を紡ぐ。
人間の言葉を使ったからには、それはルシェラだけでなく、皆に語るため。
「いきているかぎり、あいというものに、ふりまわされて、いきる。
ひとも、ドラゴンも……ちえあるもの、みな、おなじ。
それは、しかたないこと。だから、にげる、めをそらす、だめ」
決して大上段に構えるのでなく、流れる風を語るようにカファルは言った。
思えば彼女も、『振り回された』クチだ。
ドラゴンですら逃れられぬ宿痾。人はしばしば愛を、無上の尊きものとして語るが、それは善や悪という価値観すら超えた、どうしようもないものなのかも知れない。
だとしても。
「そう、だよね。
でもわたし、おかげで今、幸せだよ」
だとしてもルシェラは。
カファルを。
カファルが居る今を。
カファルと自分を結びつけたモノを。
何もかも抱きしめてしまいたいくらい幸せだった。
『ありがとう、ママ』
感謝と言うよりも、喜びをルシェラは言葉に乗せて。
傍らのカファルの頭に、ルシェラは額をこつりとぶつけ、頬ずりをした。
『ありがとう、ルシェラ』
カファルは宝玉のような目を細め、ブレスより熱い想いを浴びせてきた。
そしてルシェラを鼻先で押し倒し、情熱的にベロベロ舐め回す。
「うひゃっ、うひゃひゃ、あはははは!」
こそばゆくてルシェラが笑っていると、ざくりと足を踏みしめて、その頭の傍らに立つ者あり。
「……モニカ?」
モニカが何かむっとした表情で、ルシェラを見下ろしていた。
カファルの頭の下敷きになっていたルシェラを、モニカはぞんざいに引き起こす。
そして獲物に食らい付く獣のように顔を寄せて、ルシェラの頬をぺろりと舐めた。
「ひゃわ!?」
「あらあらあらあら」
カファルの舌より遙かに小さなものが、ルシェラの頬をくすぐった。
ルシェラは驚きのあまり垂直に飛び上がり、そのまま落下して硬直することしかできなかった。
ビオラは割れた眼鏡を押し上げ、輝かせていた。
「しょっぱい」
憮然とした表情のまま、モニカは言い捨てた。
* * *
翌朝。
夜明けと共にカファルは飛び立ち、クグセ山を目指した。
背中に乗る者たちが振り落とされないよう、そして傷ついた翼でも飛行が安定するよう、平泳ぎみたいな姿勢で、比較的ゆっくりカファルは飛んでいた。
人間たちは本来なら、空気の薄さと暴風のせいで呼吸もままならぬだろうが、そこはビオラの魔法で風の護りを張っている。
遙か眼下には浮遊島の大地や、砂漠地帯が見渡せた。
立派な城を抱えた大都市さえも、空から見れば、岩に張り付く小さな苔みたいだった。
『内々の話だがカイン皇太子は、和平の打診の打診、くらいのメッセージをグファーレに送ったそうだ』
「もう?」
『口実があるうちに話を纏めちまう方が、身内が丸く収まるって判断だろう。
今なら実質的敗戦の責任も、宰相閣下に押しつけられるしな』
カファルの背の上でルシェラは、魔方陣が刻まれた札を手にしていた。
通話符の向こう、ルシェラの遠話の相手はイヴァーだ。
此度の帰郷で因縁を一つ片付けた彼だが、国際情勢が大きく揺れ動く中、早くも再始動していた。
『もちろん、新領地の側はそれじゃ収まらねえだろうけど』
「それは……もう、わたしが関わる事じゃないですね」
『だろうな。俺はまた、一稼ぎしてくるわ』
何気なく、いつもの仕事の予定かのようにイヴァーは言ったのだけれど、彼はこれから始まる帝国の内紛の渦中に首を突っ込むと言っているのだ。
イヴァーは、金に困ってはいないだろう。なのに危険な真似をするのは、それだけの事情が……おそらくは、やり残した仕事があるからだとルシェラは察した。
「……気をつけてくださいね」
『俺を誰だと思ってる?』
「確かに」
そして二人は苦笑。
イヴァーなどよりもルシェラの方がよっぽど危なっかしい。
『長くは事務所を留守にしねえ、土産話を楽しみにしてな』
役目を終えた通話符が、黒く朽ちる。
ルシェラはそれを、風に散らした。
「おい、見えたぞ」
カファルの背中の最前、首近くに陣取っていたウェインが、身を乗り出して下界を指差す。
薄雲のような靄の向こう、緑なす山脈の南側に張り付く、運河と温泉の街が遠く見えていた。
街はみるみる大きくなって、やがて山裾の森の中の、開けた場所も観測できた。
魔法で土を捏ねた、大きなかまくらみたいな家も。
カファルは徐々に高度を下げていく。
それだけでルシェラは、クグセ山のざわめきを感じた。羽ばたきの音を聞いて虫や鳥が飛び立ち、魔物さえもカファルの帰還を察知してパニックに陥っているのだ。
樹木を伐採して作った広場にカファルが降り立つと、彼女の羽ばたきで生まれた熱風が山林を薙ぎ、葉擦れのコーラスを引き起こす。
身体を縛り付けていたたてがみを解き、地面に足を付けると、みんな人心地付いた様子だった。
素朴で巨大な、ドラゴンサイズの土の家。
焦げ跡と獣の血が染みついた広場。
家に帰ってきたというのにルシェラは、ほっとするよりも、自分がここに居ることを不思議に感じるほどだった。
「はあ……なんだか、すごい久しぶりに帰ってきた気がする」
「とんだ旅行になっちまったもんな」
カファルの背中に縛り付けていた荷物を降ろしながら、ティムはカラカラと笑う。
大冒険を覚悟して『旅行』に出たルシェラだったが、事態は想定の二回りくらい大きくなってしまった。
「みーなーさーん!!」
荷物も降ろして、飛行中に破損したものが無いか調べつつ、皆が休息していたところ。
街に通じる道の方から声がして、駆けてくる者があった。
お堅いギルド制服のスーツを着た若い女性。
冒険者ギルド、クグトフルム支部の管理官の一人だ。
ルシェラにとっては、かつて所属していたパーティーの担当者でもある。
「あれ、管理官さん?」
「“黄金の兜”の皆さん、お帰りなさい!
そして、お戻り早々すみません! こちらを!」
息を切らせてやってきた彼女は、依頼書と調査資料をルシェラに手渡す。
依頼書には本来の“黄金の兜”担当者である、管理官長のサインもあった。
支部を離れられない監理官長に代わって、下っ端の彼女がお使いにきたらしい。
仲間たちはルシェラの背中越しに資料を覗き込む。
そして一様に顔をしかめる。
「炸裂林檎の大量発生?」
ボンバーアップルとは、近くを通る者に爆発するリンゴを投げつけて殺害し、死体を養分にするという物騒極まりない植物系魔物である。
一年中実を付けるため、あからさまに目立って怪しい時期もあるのだが、今の季節なら本物のリンゴに紛れてしまう。知らずに近づけば死ぬ。
成木になって人を狩り始めるまで二年ほどかかるので、本来は若木のうちに発見して駆除するのが最適だ。
「大量発生って言っても……樹だろ、あれ。
どこから湧いて出たってんだ」
「分かりませんが、突然成木が大量に現れたんです。
しかも運河沿いの森なので、昨日からずっと荷物が止まってまして……
とにかく早急に事態を解消しなければなりません」
セトゥレウは運河の国、そしてクグトフルムは運河の結節点。
特に今はクグセ山を越えて北へ運ばれる軍需物資も多い。
マルトガルズでは皇帝と宰相が死んで、皇太子が戦争終結へ動き出したわけだが、一朝一夕に状況が変わるわけではないのだ。
物流の停滞は、予期せぬ混乱の原因ともなり得る。
「その、あくまで私としては……皆さんお疲れでしたら、別の方に割り振るべきかと思いますが……」
「いや……いいさ、行こう。
みんな北に出張してて手が足りねえだろ」
若い監理官はトップパーティーを相手に遠慮がちだったが、ティムは即断した。
マルトガルズでは公が冒険者の仕事をしていた……つまり、それを征服した占領地では、冒険者が大量に必要になっているのだ。
北の占領地に近いクグトフルムから出稼ぎに行っている者も多い。
居残った者も普段以上に働かねば街が回らないのだ。
「んだな。
異常事態だ、何があるか分からんのに半端な奴行かせられねえ」
「あ、ありがとうございます……!」
ウェインも応じて、監理官は深すぎるくらいに深く礼をした。
「ルシェラ、お前は……」
「わたしも行きます」
「休んでてもいいと思いますよ?」
「体力はあるんで、大丈夫です!」
仲間たちに気遣ってもらったルシェラだが、そこらの魔物の相手をするなら問題ないくらいには回復していた。
むしろ仲間たちの方が心配なくらいだ。超人なれど人には違いないのだから。
「よし!
ならば“黄金の兜”、四人で出撃だ!」
ティムの号令に、皆、頷き合う。
「よくやるわね……
私、ここで待ってるから」
そんな冒険者たちの姿をモニカは、信じられないという顔で見ていた。
あんな戦いの翌日だし、カファルの背に乗って長距離を飛んだ後だ。すっかり疲れ切った様子でモニカは、だらしなく魔獣の皮の上に寝そべっていた。
モニカはビオラが仕事に出ている間、カファルの巣に入り浸っている事が多い。公権力も手を出せない場所だからだ。
そのためここにはモニカの私物も既に色々持ち込まれている。このまま皆が帰ってくるまでゴロゴロしているつもりだろう。
カファルは首を枝垂れさせ、ルシェラに顔を近づける。
その顔にルシェラは自分の方から飛びついた。
鋭角的な頭部を覆う、艶やかに赤い鱗は、戦いで傷ついていたがやがて言えるだろう。
『それじゃ、いってきます』
『いってらっしゃい。お夕飯までに帰ってくるのよ』
『……うん!』
頬を擦り付け合って、それからルシェラは、仲間たちと共に駆けだした。
ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました!
第四部はこれにて終幕、そして本作品は第四部をもちまして一旦完結とさせていただきます。
以下、完結のご報告です。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/977381/blogkey/3154727/
月並みではありますが、ここまで書き続けられてたのも、ひとえに読者の皆様のおかげです。
本当に本当にありがとうございました!