≪36≫ お節介
「畑が無事で良かったわ」
「畑?」
冒険者たちのベースキャンプ、すなわちカファルの別荘たる溶岩石の孤島は、徐々に広くなっていた。
水の上に盛り上がった黒灰色の島には、毛細血管のような溶岩の小川が流れている。
その片隅。溶岩の小川の隙間。
硬い溶岩石が砂状に耕されて、そこは小さな畑らしき状態になっていた。
見たことも無い植物が育ち、艶やかな葉を広げ、奇妙な実を付けていた。
ルシェラたちがキャンプを出発したときには、こんな畑、影も形も無かったはずだ。
「これ。
植えたら三時間で生った」
「……メチャクチャだ」
周辺の水没した木々は、竜気を吸って奇妙な実を付けている。
それをみんなで食べていたわけだが、モニカはその種を取っておいて植えたらしい。
それが既に実を付けているのだから理不尽な話だ。
ルシェラとモニカは、島の端に並んで座って、奇妙な果実を食べた。
モニカは何も感じない様子だったが、ルシェラにとっては甘い炎を食っているような心地で、舌がしびれそうな程の力を感じた。
「水やり手伝って。得意でしょ」
モニカは、食べたばかりの果実の種を、また畑に戻し始めた。
不慣れな様子で手つきはぎこちないのに、動きには迷いが無かった。
「こういうのって、やったことあるの?」
「お屋敷の窓から庭師を見てたわ。
あとは、本を読んだりしたの」
ルシェラが指を一振りすると、畑に小雨が降った。
それが刺激になったのか、植えられたばかりの種はたちまち芽吹く。
濃く、強く、練り上げられた竜気を吸って急成長しているのだ。普通、これほど竜気が濃い場所は苛烈な環境ゆえにまともな植物は育たないのだが、ここではカファルが環境を緻密に制御しているため、作物が育ちうるようだ。
「本当なら……こういうことを何日も何ヶ月も繰り返して、やっと花が咲いて実を付けるのよね」
「うん」
みるみる育ちゆく若木を見ながら、モニカがしみじみ、訥々、言う。
「農民は、それを何年もずっと繰り返して……
そんな農民が世界には数え切れないほど居て……
できた作物を運んだり売る人も居て……
街で買える食べ物も、お屋敷の料理も、そうやってできてるのよね」
「うん」
喋りたいことがいっぱいいっぱい、胸の中に詰まっている様子だった。
ルシェラは相槌に専念した。
「人って……すごい力で生きてるんだなって、思った。
生きてれば、生きてる限り、誰かと繋がる。
良いとか悪いとかじゃなく、そういうものなんだなって……」
ルシェラはモニカの思考を追いかけるのに、寸の間考え込んで、彼女の横顔を見つめることしかできなかった。
その視線に気づいて、モニカが振り向く。少し憮然とした様子で。
「何? その間抜けな顔」
「……三時間の園芸でよくそんな事にまで思い至るなぁ、って」
「おかしい?」
「そうじゃなく……」
それは、生まれ落ちたときから孤独を抱えてきた彼女にとって、視野を広げる気づきだったのだろう。だがそれは、まるで足し算を学んだだけで割り算を理解したかのように段階を飛ばしているとルシェラには感じられた。
知識や経験はまだ足りなくても、物事への洞察が深く、そこから考えを広げていく。なるほど、学究の徒であるビオラの妹だ。
「私ね。『屋敷牢』に捕まってた頃、世界から隔離されて閉じ込められているんだと思ってた。
でもよく考えたら、いろんな人が関わってたわけでしょ。
なのにあんな大事件が起こるまで、誰も私を助け出さなかったのよ。逆に残酷な話じゃない?」
モニカは肩をすくめて皮肉げに言う。
この世はまるで、蜘蛛の巣のように、人と人との関係性が結び合って構成ている。
それは、どこかで誰かと繋がれるのだという救いか、それでもなお人は不幸に墜ちていくのだという絶望か。
ルシェラは、己の生を顧みた。
「……残念だけど、そういうものだと思う。
普通はみんな、自分のことに精一杯で……関わった人をみんな助けるのは、無理だから」
「だからこそ!」
当然ルシェラとモニカは、背後から挟まれた。
ちゃっかり話を聞いていたらしいビオラが、二人を両脇に抱え込んでいた。
「掴める手は逃がさず掴むこと。そして絶対離さないこと。
もう分かってるでしょ?」
頬が触れるほどの距離で、ビオラはモニカに語りかけた。
モニカはよく見なければ分からないくらい小さく、頷いた。
そこに影が差す。
カファルが長く首を伸ばして、大きな顔で間近から、ルシェラを覗き込んでいた。
彼女はゆらゆらと首を揺らめかせて、そして、巨大な舌でルシェラを舐め回した。
「わわわわわ」
温かくて柔らかくて巨大なものが、情熱的にまとわりついてくる。
一緒に居るビオラやモニカも巻き込む勢いだった。
べちょべちょにされて、ルシェラは笑う。
『わかってるよ、ママ』
カファルの鼻面に飛びついてしがみ付き、ルシェラはそのまま頬ずりをした。
「ところで、こっちの具合はどうなんだ、ドラゴンさん」
「わるくはない」
ティムが籠手を着けたままの手で、溶岩島の中央にある、ミニチュアの火山を指差した。
周囲に流れている溶岩の源泉だ。この溶岩は全てカファルが蓄えた力であり、島の中心の小さな火山こそ、言うなれば燃料庫だった。
カファルは人間語でティムに答えた後、自分の顔にしがみ付いたままのルシェラの方を見て、ドラゴン語で補足する。
『この調子なら戦える見込みはある。
でも、相手の全貌も把握してはいないから……』
「大丈夫」
自分の見立てが正確に伝わるよう、ドラゴン語で述べたのだ。
それを聞いてルシェラは、カファルの額をペタペタはたいた。
「そんなの冒険者には日常茶飯事だよ」
『ふふ、頼もしいわ』
「なんだ、俺ら心配されてんのか?」
ドラゴン語は分からずとも、ルシェラの返答でティムは、カファルが何を言ったか推測したようだった。
「わたしだけで、やれるなら、よかった。
たすけは、うれしい。けれど、ドラゴンもあぶない、ところに、にんげん、いることになる」
「おいおい、そりゃ言いっこなしだぜドラゴンさん」
ティムは渋い顔で渋い笑い方をした。くすぐったそうな苦笑であった。
彼は壊滅的に嘘が苦手だ。もし強がりだったり、含むところがあったなら、すぐに態度に出ていただろう。
「むしろ俺たちが力を貸して貰ってる立場だ。
人間の事情に付き合わせちまって、こっちこそ申し訳ない」
「いえ……
一応確認しておきますけれど私たちも今は依頼とか関係ナシに動いてる立場ですからね?」
「あ、そうか。言われてみりゃそうだな。
俺たち全員、ただのお節介焼きか!」
ティムはビオラに指摘され、ガチャリと手を打ち合わせる。
そもそもルシェラたちは、セトゥレウに雇われているわけですらない。
“黄金の兜”は名目上、マルトガルズ側に雇われてここに来たわけだが、それも口実でしかないし、今はその思惑も外れて勝手に動いている。
ただ、自分たちが守りたいものを守るために。
そしてそれが、この世の正義に資するものだと信じるがために、ここで命を張っているのだ。
「お節介同士、力を合わせて頑張ろうじゃねーの」
皆、示し合わせたように揃って空を見る。
抜けるように美しく爽快な晴天なのに、その端っこが、西の果てが、重く黒ずんでいる。
嵐が近づいていた。







