≪35≫ 捜し続けるもの
熱を帯び、蜃気楼揺らめくカファルの背中は、重厚だ。
その大きさがルシェラには頼もしかった。
ただ、遮るように翼を広げたのはちょっとやりすぎだ。ルシェラはカファルの背中から顔を出して敵の様子を伺った。
大水蛇は、調子を取るように巨大な頭部を揺らめかせている。
だがそれは攻撃のタイミングを見計らっていると言うよりも、逃げ出す隙を探っているようだ。
やはり、この大水蛇の行動原理は、まず変異体の本能に従って竜気を収集することなのだろう。そのためにルシェラを狙った。
最初はカファルすらも狙ったわけだが、あれだけコテンパンにされたら流石に無理だと思ったようだ。
「ベースキャンプに引き込んで、仕留められる?」
『私がやるわ。ルシェラは逃げ道を塞いで』
「分かった。
……皆さんは、モニカの避難を」
「引き受けた」
ティムたちは水面に波紋を残し、ベースキャンプに戻っていく。
大水蛇は追わない。目の前の獲物を優先したいのか、カファルを警戒して動けないのか、両方か。
背後の三人が十分に遠ざかったと見るや、ルシェラは奇襲的に仕掛ける。
敵からは見えぬ位置で、カファルの背中と首を駆け上がり、頭を蹴って跳躍。
さらに両足からブレスの如き爆炎を吹いて推進力とし、宙を舞った。
これはあまりにも予想外の動きだったようで、虚を突かれた大水蛇は反応が遅れる。
巨大な水蛇の頭上を飛び越え、ルシェラはカファルと共に、大水蛇を挟み撃つ位置に立った。
大水蛇は、逃げを打つ。
前後を封じられたことで、真下へ。一度はそれで逃走に成功しているのだ。
しかし、水底から、ずんと魂すら震わせるほどの大音響が轟く。
灰色によどんだ水が爆発し、天まで吹き上がった。
カファルが炎を呼び起こし、水底で噴火が起こったのだ。
ルシェラも水の中へ飛び込んだ。
深い水底を見下ろすと、まるで自分が空でも飛んでいるような錯覚を覚える。
眼下では大水蛇の歪んだ巨影がうねり泳いでいた。
その、さらに下。
水蒸気の泡が乱舞する、ぬるくなった水の中、どろりと輝く溶岩が見えた。
お膳立ては整った。
ルシェラが呼べば、炎が応えた。カファルの託した武器だ。
溶岩が脈打ったかと思うと、それは突き出す槍のように鋭く、立ち上る。
まるでニードルスライムか、はたまたダンジョンのスピアトラップか。
赤熱する溶岩の槍が、数えきれぬほど水底から突き出し、大水蛇を貫いた。
皮甲と化した腫瘍を焼いて、炎の槍は突き抜ける。串打たれた大水蛇の姿に、ルシェラは以前一度食べた、蒲焼きという料理を思い出した。
大水蛇は激しく痙攣し、ごぼりと大きな泡を吐く。
だが、これほどの痛手を負っても尚、死なぬのだ。身をよじり、炎の槍から逃れる。下から生えてきた槍なので、必然的に水上へと。
そこに水面を割って突き込まれたるは、燃え上がる双腕!
カファルの両前肢が大水蛇を掴む。焼け焦げた気泡が舞い飛ぶ。
水中から大水蛇を引きずり出すと、カファルはさらに後肢まで使って大水蛇を抱え込み、力強く羽ばたく。すぐ近くにあった木が根こそぎに倒されるほどの暴風と共に、カファルは浮かび上がった。
「わお。力技ぁ」
炎上する大水蛇を抱え、カファルは飛んだ。
まるで二つ目の太陽みたいに、カファル自身さえも炎の塊となって。
大海蛇は暴れ狂い、四本の脚から逃れようとする。
だが、すぐにそれは無理だと悟ったか。
脊椎を自ら折ったのではないかというくらい無理矢理に身をよじって、その顎門を、カファルの方に向けた。
――『噛み付きブレス』だ!
下から見ていたルシェラは、仕草だけでピンと来た。
強靱な顎門で噛み付きながら、ゼロ距離でブレスを浴びせようというのだ。
劣種竜にとって最強の武器を二つ並べて叩き込むのだから、食らえば真正のドラゴンだろうと只では済まない。
カファルは即座に反応した。
『ルシェラ、受け取って!』
ドラゴンの言葉は人語に比して、短い嘶きに多重の意味を織り込んでいる。
戦闘中の意思疎通にも齟齬は無し。
カファルは自ら大水蛇を放り投げた。
重力に捕らえられて大水蛇は落下していく。
そこにカファルは空中から、ブレスを撃ち下ろす!
ドラゴンのファイアブレスは、ただ炎を吹き付けているだけではない。物理的な圧力さえも発生する。
土手っ腹にブレスを受けた大水蛇は、折れ曲がりながら急降下。
水面に叩き付けられた。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』
そして悲鳴が上がる。
水面下で大水蛇を待っていたのは、ルシェラが作り出した溶岩石の穂先だ。今度は巨大なものが一本きり。大水蛇はそこに深々、突き刺さった。
この場所の水深は、直立したカファルの胸甲ぐらいまで。大水蛇が逃げ込める深みは存在しない。
カファルは水蒸気爆発を起こしながら着地。
そして沸き返る水中に腕を突っ込むと、溶岩石の大槍(あるいは『塔』と表現する方が適切かも知れない)を、折り取った。
『オオオオオオオ!』
カファルが咆えた。
大水蛇を串刺しにした溶岩石を掴んで、水面を滑るようにカファルは飛翔した。
羽ばたく度に周囲の木々が燃え上がる。
大水蛇は串刺し状態のままカファルに牽引され、水面を引きずられていった。
船尾に繋がれてサメのエサにされる、海晒しの罪人の如し!
その周囲では水の流れが不自然にざわつき、大水蛇を解放せんとする。
だがその水流を切り裂いて、ルシェラは水上を追走する。
ルシェラが引き連れるのは、魚群の如き水面下の影。火の因子を秘めた、無数の溶岩石の剣だ。
ルシェラの後ろを流れてきた溶岩石の剣が、次々と流れの中から弾き出された。
それらは大水蛇に突き立ち、燃え上がる。
一本一本は小さくとも、あまりに数が多いのだ。切れ目のない連撃に、もはや大水蛇は咆えながら悶え苦しむより他になし。
やがて周囲の景色が変わる。
火の粉と火山灰が風に混じり、水没した周囲の木々さえ錬鉄の如く黒く硬質な、異常なものとなる。
水の魔境にぽっかり浮かんだ、黒灰色の石の島。
その中心には、ちょうどカファルが巻き付いて座れるくらいの小さな火山があり、溶岩の小川が辺りを流れていた。
竜気を集めて築かれた、カファルの領域だ。
溶岩石の島に水揚げされたとき、大水蛇はもはや、青息吐息であった。カファルの領域に引き込まれ、水の加護が途絶えたのだ。
まだ生きている証拠に身をよじろうとするも、それは抵抗にもなっていない。
『……【カエセ】……【カエセ】……【カエセ】……』
焦げた口から譫言のように、同じ言葉を呟くばかりだ。
「なんだか……ずっと、完全に同じ事、喋ってない?」
『……そうね。言葉から心が見えるのに、それが全く揺らがない。
岩に焼き付いた焦げ跡みたいに、同じ心のまま……』
ドラゴンの言葉と近しい、感情やニュアンスまで含まれた、力ある言葉。
だが心というのは常に揺らぎ、時に躍動するものだ。
一色で塗りたくられたペンキのように、ずっと同じ気持ちだけを出力し続けるというのは……奇妙を通り越して、怖いほどだった。
『……【カエセ】……』
「誰なのか知らないけど」
カファルが大水蛇を抱え上げた。
その、哀れな大水蛇ではなく、こいつを戦いに駆り立てている何かの力に向かって、ルシェラは言う。
「他人の口を借りるんじゃなく、せめて直接言いに来れば?」
カファルは小さな火山の火口に、大水蛇を投げ入れた。
火山は黒い煙を吹き上げて、そしてまた静かになった。







