≪30≫ 竜気狩り
水没した大樹の陰に、大樹よりも胴回りがありそうな、でっぷり太ったものが居る。
ぬめり輝く鈍色の皮を持つ、巨大なトカゲかカエルのような魔物だ。
背中は乱杭の牙を思わせる、まがまがしい不揃いのトゲで覆われていた。
「シャアアア!!」
魔物は人間たちの姿を見ると、即座に襲いかかってきた。
自分より小さな動くものは、全てエサとしか思っていない様子だ。二、三人は丸呑みにできそうな大口を持っているのだから、実際人間は手頃なエサだろう。
太短い四本の足をバタバタと振り回し、這いずるように魔物はやってくる。
奇妙なことに魔物が動き始めると、魔物を後押しするような流れが周囲の水の中に生まれた。その流れは、何匹もの魚がひしめき合って泳いでいるようにも見える。何かの意思を感じる有機的なものだった。
巨体に似合わぬ高速の突進。
そして魔物は走りながら、ブレスと唾の中間みたいな水の塊を吐き出した。
まるで砲撃だ。
だがその砲弾は、重力と慣性に従ってただ飛んでいくだけではなかった。
水弾は空中で魚の形になり、吐き出された勢いそのままに宙を泳ぎ、襲いかかってくる。
「引き受けた!」
山脈のような鎧を着込んだ大男・ティムが、水面を踏みしめ進み出る。
水面は氷が張っているわけでもないのに、固い地面のようにティムの歩みを支えていた。ルシェラの加護によるものだ。ティムの鎧は薄い水の膜で包まれたようにそぼ濡れている。
巨人用のナタみたいな大剣を構え、鎧の肩をいからせて、ティムは立ち塞がった。
避けて済む魔法弾なら避けただろう。
だがおそらく、魚型の弾は、避けても追ってくる追撃弾の性質を持つのだと冒険者たちは瞬時に判断した。なにしろ自ら宙を泳いで迫ってくるのだから。
そして、炸裂。
魚の形をしていた水弾が、ティムにぶち当たって爆散した。
だが立て続けの攻撃を受けてもティムは揺るがず。鎧の継ぎ目が重々しく軋んだだけだ。
魔物は驚いた様子で一瞬ひるみ、立て続けに魚型の水弾を吐き付けてきた。
水が爆ぜる。爆ぜる。爆ぜる。
ティムは歩みを進める。
水が爆ぜる。爆ぜる。
ティムは歩みを進める。
水が爆ぜる。
ティムは止まらない!
そして遂に息が尽きたかのように、魔物の砲撃が途切れた、その一瞬。
「≪雷撃付与≫!」
ビオラの魔法がティムの大剣に稲妻の輝きを宿す。
すかさずティムは水面を蹴って、一飛びに距離を詰め、大剣を回転させるように一撃!
「ジュア!」
重々しい破砕音、そして悲鳴が響き渡った。
巨大な魔物の頭部を真っ二つにするには至らずとも、ティムの大剣は頭蓋を叩き割った。
さらにそこに、武器に宿った雷電が撃ち込まれる。
付与魔法は総じて強い。射程だの狙いだの、『標的に当てるための努力』を全て武器に任せる分、魔力のほとんどを威力に変換できるのだ。
あまりの力で痙攣したため、魔物の巨体が大きく跳ね上がる。
短い足を空中で振り回し、穴が空いた水袋のように全身から水を吐き散らし、着水した時には息絶えていた。
「流石ぁ」
樹上でウェインが親指を立てた。
彼は偵察と周辺警戒をしつつ、可能な限り戦闘を支援する体勢だ。
一流の斥候技術は、常識外れの状況下でこそ輝き、探索を安定させていた。
冒険者たちは、倒れた魔物を観察する。
体重だけでもティムの十倍はありそうだ。こんなに大きくては、収納用のマジックアイテムにも流石に入らない。一度ベースキャンプに帰る必要があるだろう。
「魚型の水撃……」
「やっぱ似てるよな?」
「だな。人と魚の違いはあるが、戦場に現れた謎の魔物に似ている」
「で、魔物本体はどうだ、ビオラ?」
ビオラは眼鏡を光らせ、トングのようなもので頭の皮までめくり上げて魔物を調べていた。
「外見的には水吐鯢に近いです。
通常個体にこんな角はありませんし体長も倍は違いますが」
「つまり、その『変異体』か」
変異体。
それは異質で強力な力を吸収し、変異を遂げた魔物の総称だ。大抵の場合、ドラゴンの住処で、竜気によって発生する。
だがそのためには、時間が掛かるはずだ。
周辺一帯に満ちた竜気を植物が吸収し、それを食べた小型の草食魔物が弱い変異体となり、それを食らい続けて竜気を濃縮した魔物が強い変異体になる。
またはドラゴンから抜け落ちた鱗や、フンなどを食らった魔物が徐々に力を付けていく。
大量の魔物が一斉に変異体になる事は通常あり得ないはず、なのだが。
「おい、見ろよ」
木々の向こうを、ウェインが指し示す。
骨や鱗、大ぶりで堅そうなヒレの残骸などが小さな山を作っていた。
この変異体が食った、別の変異体の残骸だろう。
消化しきれなかったものを吐き出した痕跡だ。
「大食いだな」
「少なく見積もっても五種の魔物……いえ違いますね。
五体の変異体の残骸が確認できます」
食う方も、食われる方も、変異体だ。
今ここには、それだけ多くの変異体が存在する。
カファルが別荘を作ろうとしているからではない。その影響で変異体が発生するには早すぎる。
突然竜気が満ちて、周辺の魔物が変異体と化したのだ。
「おそらく原生していた魔物のほとんどが変異体になっているのでしょう。
特に多くの竜気を取り込んだ個体と元から水中に適応している種が環境の勝者。
共食いも含めた個体レベルの弱肉強食が起こっています」
「そしたら最終的に、昨日の『ヌシ』が全部食っちまうよな」
「でなくても数が減るほど竜気が濃縮されて恐ろしい強さになります」
「時間との勝負か。
俺たちの手に負えるうち、間引かにゃならん」
現在ルシェラたちは、カファルが巣にした場所をベースキャンプとして、周辺を探索していた。
変異体を狩り集めるためだ。
第一の目的は間引き。
変異体の食らい合いを放置していたら、おそろしく強い変異体が生まれてしまう。
第二の目的は竜気の調達。
どこからか湧いて出た謎の竜気を、ルシェラとカファルが回収して使えたなら、『慧眼の渦嵐』を迎え撃つ上で大きな助けになる。
状況は刻一刻と厳しくなる。
今日なら倒せた相手に、明日勝てるとは限らない。
この探索は命懸けの戦いで、時間との勝負だった。
「ちなみに、どれくらい食えそうだ? ルシェラ」
「…………灰にして煎じれば、ほぼ無限に」
「そんな勿体ない!」
ルシェラの合理的な返答に、ビオラは悲嘆の声を上げた。
「竜気は物理的な栄養成分じゃないから、これでも効果があるんですってば」
「だとしても変異体の味を研究する絶好の機会ですよ!」
「なんで味にそこまでこだわるんです!?」
「なるべく料理する、って事でいいだろ。
どうせ俺らも食うんだしよ」
ウェインは牽引用の鎖と浮き袋を、変異体の巨体に手際よく括り付けていた。
ルシェラたちは水面に立っているが、運ぶべき荷物は水の中だ。水に浮かべて牽けば運んでいけるだろう。
突然の洪水で流された荷物の中には、皆の食料も含まれていた。
残った非常食だけでも数日はしのげるだろうけれど、それ以外の食料を調達できるなら、その方が良い。
この変異体は、皆で食べる予定だ。
「なんか……クグセ山に来たばっかりの頃、ちょっと思い出すな」
「実に興味深い体験です。私も役得として楽しませていただきますよ」
獲物をみんなで引っ張ってルシェラたちは巣に帰っていく。
糧を得る戦いは、命懸けのはずなのに、こんな時間が続いてほしいと思ってしまうほどに楽しかった。







