≪28≫ 竜の別荘
ビオラが杖を一振りすると、大地は脈動し、オーブンに入れた焼き菓子のように膨らんだ。
そしてそれはたちまち、箱形の簡素な建物になった。
土や岩を成形する、地の元素魔法によるものだ。実際最も安価で使いやすい建材は土であった。建物を作る際の基礎工程として、騎士たちが使う即席の砦として、冒険者のキャンプとして、その他諸々に使われる。
カファルもクグセ山で同じような事をしていたが、ビオラが作った建物はもっと小さく、繊細だ。出入り口や窓の大きさも適切に計算されていて、雨よけの庇もある。内部には(全て土製だが)作り付けの棚、椅子、寝台まで用意されていた。
「うん!
私たちのテントはこんなもんでいいかな。
どーせ本番が来たら吹っ飛ぶし」
「じゃ、この部屋は私がもーらい」
モニカは早くも中を検めており、一番日当たりが良さそうな部屋にすぐ目を付けて荷物を降ろし、寝台に寝袋を放り出した。
「……本当にここに居ていいの? モニカ」
ビオラに問われて、着替えの服を引っ張り出す手を、モニカは止めた。
振り返らぬままモニカは肩をすくめる。
「お姉ちゃんもルシェラと同じ事聞くのね」
モニカはかんしゃくを起こして、できたての部屋の中に荷物を全部ぶちまけてやりたい、という衝動に駆られていた。
そんな子供じみた考えが浮かんだことにモニカ自身が驚いていた。
モニカはこっそり深呼吸をして、少し気持ちを静める。
それから自分が何を感じているのか考えた。
すぐに答えは出た。モニカが次に考えたのは、どうすれば自分の幼稚な感情を、格好付けてビオラに伝えられるかという事だ。
「失敗したら死ぬんでしょ。
お姉ちゃんも、ルシェラも」
「それはまあ……ほぼそうなるかと」
「ならこれでいいじゃない」
キザな哲学者のように、モニカは鼻で笑ってみせた。
「生きるも死ぬも一緒よ。
どんな時でも生きてさえいれば幸せになれる、なんて私は信じないから」
モニカが、生きることそのものに大して価値を感じていないのは確かだった。
生きるも死ぬも一緒でありたい相手が、少なくとも二人居て、彼女らの居ない世界など想像もできない。
だけどもっと正直に率直に言うのなら、単純な話だった。
『おいて行かれたくない』。それだけの気持ち。
自分の知らない場所で二人が危険な目に遭うこと、それ自体が耐えがたいのだ。
付いてきた結果として自分が死ぬなら、置いてきぼりにされるよりマシだった。足手まといになるかも知れないが、その時は一緒に死んでくれとすら思う。
自分勝手で幼稚な執着だ。理性的とは言いがたい。それでも気持ちは止められず、ご立派な考えであるかのように取り繕うのが精一杯。
ビオラは何も言わなかった。
静かに歩み寄って、モニカをぎゅっと抱きしめた。
平坦な胸を透かしてビオラの鼓動が耳に届く。
大人になるとはこういうことかと、心中密かに舌を巻いた。
全て見透かした上で受け止められたように思い、モニカはむず痒い気恥ずかしさを覚えていた。
* * *
『別荘』では、植物が恐ろしい勢いで育ち始めていた。
元々、周辺にはそれなりに草木が茂っていたのだが、カファルの到来から一夜明け、辺り一面が廃墟の邸宅の庭みたいに草ボウボウだった。木々も竹のように背丈を伸ばしている。
ティムは大剣を鋭く振るい、生い茂った草をまとめて刈り飛ばした。間違いなく、彼が最近倒した獲物の中で最も容易な相手だっただろう。
「何をするかは分かったが、理屈がいまいち分からん」
「では噛み砕いて説明しましょう。
そもそも『竜気』とは何か?
人族には使い得ぬ大自然のエネルギー『未加工魔力』をドラゴンが取り込んで体内で組み替えたものです」
刈った草を、特に育てるべき木の根元に肥料として積み上げながら、ビオラは蘊蓄を垂れ始める。
「魔物たちも竜気を取り込んで使うことはできますが……竜気そのものを生み出せるのはドラゴンだけ。
竜命錫が人の領域に魔力を満たすのはこのメカニズムの応用です。魔力とは人が使えるレベルまで極度希釈された竜気のようなものですよ」
辺りには、既存の川と交錯するように、炎の小川が流れていた。
火を噴く裂け目が大地に刻まれていて、そこから溶岩があふれているのだ。
ルシェラは溶岩を流すべき炎路をせっせと作りつつ、ついでに魚を刺した串を溶岩の上に渡して食事の支度をしていた。
ウェインは谷川(?)に長い釣り糸を垂らし、魚釣りをしている。
引き上げた釣り針は、何かとんでもない力で噛み潰されていて、ウェインは苦い顔をした。魚ではなく急流の魔物が餌に食いついたようだ。
「竜気とは、ドラゴンが蓄えたエネルギー。要するに体脂肪みたいなものですね」
「それだとママがデブみたいじゃん!」
足が八本で目が十個の怪魚を振り回しながら、ルシェラがビオラの言葉に抗議した。
「野生動物にとって『デブ』は褒め言葉ですよ?
それだけ多くの獲物を手に入れる能力と飢餓耐性の証明です」
「そーゆー問題じゃなーい!」
「しかし動物の体脂肪と違ってドラゴンの竜気は体外に蓄えることが可能です」
ビオラは刈られたばかりの草を摘まんで、眺める。
朝日に照らされた新雪のような白銀色という、あり得ない色合いになった草を。
草木は存在するために必要なエネルギーも、動物や魔物より少ない。
それだけに僅かな力を加えただけで変化を起こすようだ。言うなれば植物の『変異体』と言うべきか。
今は竜気を可能な限り有効活用しなければならない。だから雑草が吸ってしまった竜気を、割り振るべき場所に還元しているのだ。
『オオオオオオオオ!!』
大咆吼が天地を揺るがし、空が一瞬赤く染まった。
轟音の直撃を受けた鳥たちが気絶して墜落してくる。朝食のメニューが増えた。
吹き出す溶岩が積み上がって冷え、溶岩石の祭壇を形成していた。
その上に立ったカファルが咆える度、いっそう炎が吹き上がる。
この土地の性は、本来は『水』である。
だがカファルは今、太古に埋もれた炎の力を呼び起こし、クグセ山のような属性混在状態を作り己の領域に作り替えようとしていた。
さらには土地が持つ力を取り込んで、竜気と成す。
可能な限り竜気を生み出し、可能な限り放出して、竜気の濃度を上げていく。
ヒントとなったのは、かつてルシェラが見たシュレイの姿だ。
ルシェラと戦ったとき、人に化けたシュレイは、凄まじい圧力の竜気を身に纏っていた。
人の姿では器として限界があるため、溢れ出した力を大気に宿らせ、重ね着していた。シュレイは身に余る竜気さえ、制御下においていたのだ。
あれをもっと大規模にして真似できないだろうか、とルシェラは思った。
ドラゴンの縄張りのような、粗放に竜気を振りまいた結果生まれる『魔境』ではなく、言うなれば貯蓄槽。
「ドラゴンは自然現象を操れます。
一旦体外に放出した竜気でも自然現象に近い形で保管してあれば操れてしまうんですよ」
「つまり、わたしとママのため、この場を竜気の貯蓄槽に作り替えているんです。
それを砦として……竜命錫の暴走を迎え撃つ」
ルシェラは魔方陣でも描くように、炎の小川を円形に刻んでいく。
冬に向かって駆け下りていく季節だというのに、ここは熱気でむせかえりそうになるほどだ。
高まりゆく竜気の圧力は、肌の上で静電気がはじけるみたいに感じられていた。







