≪26≫ 予定不調和
「無理だ」
マルトガルズ帝国の東の果て。
グファーレ戦線も近い、とある砦にて。
戦線を指揮する将軍の一人、厳めしい枯れ木のような外見の老魔術師、アムラ候ギウスはとりつく島も無くルシェラにそう言って首を振った。
訪問は極秘扱いだった。
ただ一人でやってきたルシェラは賓客として扱われ、会談は砦の奥の間で行われた。
「協力すれば、と言うがね。
まず、我らには協力の利が無い。それで助かるのはセトゥレウや、嵐が進む先にあるにあるグファーレ連合で、我々ではない。
そして協力できるとも思わぬ……」
「一点、よろしいでしょうか。
竜命錫はただ闇雲に東へ突き抜けるべく進んでいるのではなく、この戦場そのものを目的地としている可能性も考えられますが」
「かも知れぬな。
だが、だとしても結論は変わらぬよ」
ルシェラは、暴走する竜命錫『慧眼の渦嵐』の現状を伝え、それを止める手段について述べた。
この戦場に集められている竜命錫の力を結集すれば、あれを止められるかも知れないと。
そしてそれは、場合によっては、敵味方を越えて協力しなければ不可能であろうと。
しかしギウスは首を振った。
――マルトガルズが持つ竜命錫は、征服した国の竜命錫を合成して力を高めている……
『慧眼の渦嵐』がここに来るなら、下手すればマルトガルズだけでも、あれを奪取できるかも知れない。そして、向こうもそれは考えているはず。
ルシェラは自身の欺瞞を認識していた。
マルトガルズだって領土内で竜命錫が暴走していたら困るわけだが、助けを欲してはいないだろう。
「もしグファーレが竜命錫の暴走を止めるというなら、勝手にやればいい。
だが、仮にそのために我が帝国の土を踏もうというなら、それを看過することはあり得ぬ。
分かるな?」
念を押すようにギウスは言った。
かなりオブラートに包んだ外交的態度表明だった。意図するところをルシェラも察した。
彼らは竜命錫を取りに行くつもりだし、グファーレ軍に決して容赦しない。
「分かりました。
わたしは……あくまで中立の立場です。
貴方のお言葉をそのままグファーレ側にも伝え、その上で協力を求めます。
お時間を割いていただき、ありがとうございました」
ルシェラは一礼し、席を立った。
元々、マルトガルズ側の協力にはさして期待していない。感触を確かめること、一度は話をしたという実績を作ることが目的だ。
それはきっと無駄ではない。交渉事や政治とはそういうものだ。
「……我らを愚かだと思うかね」
「いいえ」
別れ際、ギウスは不意打ちのように問うた。
ルシェラは静かに答えた。
* * *
砦から、高速馬車で街道を走れば三時間。
ルシェラが自分の足で山地を踏破すれば一時間半。
ラテール領都・プリムラテール。
夕飯時にはルシェラは、借宿としている領主居城に戻っていた。
「無駄足を踏ませてしまったようで、済まない」
「いえ……会談にご尽力いただき感謝します」
この城は浮島をまるごと一つ使った構造だった。
浮島を安定化させる魔動力機械装置と連動した、パイプだらけの廊下を歩きながら、ルシェラはタンテラと話していた。ルシェラが軍幹部と会えるよう、繋ぎを付けたのは彼だ。
「皇帝陛下という重石が失われた今、軍が力を持つことは危険だ。
ことに、新領地の連中にそれをさせてはいかん! 皇太子殿下にすら従わぬ、大逆の軍閥が生まれるやも知れぬ」
タンテラの声に焦りがにじむ。
今のところ帝国内に大きな混乱は起こっていない。だが、それは帝国があまりに大きすぎて、皇帝と宰相、そして多くの官吏・官僚が消滅した衝撃すら、波及するのに時間が掛かっているからだ。
これから何が起こるかは分からない。
ルシェラが見るにマルトガルズ帝国は、生きた伝説であるリチャード帝という国家の象徴と、皇帝の威光を利用して権勢をほしいままにした宰相マヌエルの豪腕によって今の形を保っていた。
その二人が消え去った今、皇太子はつつがなく帝国を掌握できるだろうか。
おそらく一筋縄ではいかない。下手をすれば欲に狂った連中が好き勝手に暴れ始めるだろう。
「……止めるためなら、無茶をする価値はある、か」
「何か、策が?」
「私から話そう」
二人が行く先の廊下に、余りにも唐突に、その男は立っていた。
自ら二人を出迎えに出たという様子で、その姿を見てタンテラは膝を折り頭を垂れる。
「あなたは……」
肩幅広く、胸板も厚い、五十過ぎくらいの男だ。
獅子のたてがみみたいな髪型をした彼は、皇帝が公の場に出る時と同じような、深紅の装束を身にまとっている。
「私はカイン・アルニア。
このマルトガルズの皇太子。次期皇帝だ」
「……ルシェラです、よろしくお願いします」
あくまでも君主の鷹揚さとして、カインは気さくに挨拶をした。
ルシェラも応じる。頭を下げるべきか迷って、下げなかった。“黄金の兜”のマネージャーか、人族社会の枠組みから外れたドラゴンとして在るかで、ルシェラの取るべき態度は変わる。
カインの分厚い手と握手しつつ、流石にルシェラも驚いていた。
彼はちょうど地元を……旧王国領を回っていて難を逃れたと聞いていたが、まさか次期皇帝とあろう者が、こんな場所にひょっこり顔を出すとは思っていなかったからだ。
跪くタンテラに視線を向けると、鋭く生真面目な調子で彼は見返してくる。彼のお膳立てだ。
この無茶ぶりを正道としてぶつけてくる。判断の余地無くルシェラをカインと会わせる。なるほど、大国のやり方だとルシェラは思った。
「確かに一時的であろうと、『慧眼の渦嵐』が東征軍の手に落ちることは不安があるな。状況を制御不能になる恐れがある。
だが帝国が持つ四つの竜命錫のうち一つ、『黎明の眼光』は確実に私が制御できる。
あれは元々、旧マルトガルズ王国が保有していたもので、使い手は皆、私に血が近いのだ」
「……共同戦線を崩す、という事ですか。
帝国が持つ四つの竜命錫のうち一つでも戦略的職務放棄をすれば……」
「左様。暴走の鎮圧は難しくなろう。
これは一筋縄ではいかない複雑怪奇な話だ。
時には勝利より、周到に敗北する方が国家にとって利益となる」
したり顔でカインは言い訳をした。
『国家ではなく、あなたの利益でしょう』とルシェラは思ったが、もちろん口には出さなかった。
それはルシェラにとって都合が良く、同時に、多くのマルトガルズ国民にとっても結果的にそうなるだろうから。
「了解しました。
殿下がマルトガルズ側の動きを止めてくださるなら、それ以上は望むべくもありません。
わたしもマルトガルズに頼らず竜命錫を止める手立てを考えます」
「国内のことは任せたまえ。
そして平和な世界で再び会おう」
雷を投げ落とす前の雲のような、力のたぎる微笑みだった。
カインは自信に満ちあふれて前のめりに張り切っている……
そんな印象をルシェラは受けた。
彼にとっては、最大の政敵である宰相と、己の即位を阻んでいた老皇帝が消えて、突然全てを手に入れた状態だ。
――この人の狙いは平和ではなく、政治的利益。こちらも鵜呑みにして動くわけにはいかない。
ルシェラは、表面上は友好的に応じた。
懸案は、少しマシな別の問題にすり替わった。今はそれで十分とするだけだった。







