≪24≫ 混沌の夜明け
どんな夜でも、やがては明ける。
ローヴェインの街の外、街壁上の見張りの顔が見える程度の場所。
昨夜の豪雨が悪い夢だったかのように、空には雲一つ無く、濡れそぼった草原地帯は銀砂を巻いたように朝日に輝いていた。
セトゥレウの隠密騎士たちは、そこに堂々とテントを張っていた。
さすがに彼らは街の中には入れないし、街の側も入れる気など無いだろうが、それはそれとしてだ。
ルシェラはたき火で沸かされた茶を飲みながら携帯食料をかじっていた。テントの中ではモニカが寝袋を使い、我が物顔で眠っている。
徐々に昇っていく朝日をルシェラが見ていると、その中に小さな影が見えた。
ペンから垂れたインクみたいな小さな影は、見る間に大きくなる。そして、四肢を折りたたんで矢のように高速飛行するレッドドラゴンが姿を現した。
街の方からは驚きおののく声が上がった。
カファルは上空で幾度か羽ばたき、徐々にブレーキを掛ける。そのたびに突風が地上を見舞い、飛沫が飛んだ。
そして彼女が地に降り立つよりも早く、その背中から飛び降りる者たちの姿があった。
「ようルシェラ! よく無事だったな!」
「この通りです」
山脈のような鎧を鳴らして、カファルにも劣らぬ重量級の着地を決めたのはティムだ。
ウェインとビオラがそれに続く。
東のグファーレ戦線の、その奥に居た彼らを、カファルがひとっ飛びして連れてきたのだ。
「こんなにはやくとんだの、ひさしぶり。
みんなふりおとされなくて、よかった」
「伊達に冒険者やってないぜ」
高速飛行するドラゴンの背中に掴まって飛んできたというのに、涼しい顔でティムは笑った。
ルシェラはカファルに駆け寄ると、首を枝垂れさせたカファルの頭に擦りついた。
鱗の表面はつるつるツヤツヤで、継ぎ目はゴツゴツだ。
「ママ、お疲れ様。
領主様に頼んでご飯を用意してもらったから、よかったら食べて」
『あら! ありがとう、ルシェラ』
セトゥレウ騎士たちのキャンプには、ほどよく肥えた牛が十頭ほど並べて繋がれている。
ここの領主からルシェラが強請り取った……もとい、快くご提供いただいたものだった。
「ほほう。これは特産のラテール牛ですね!
『滋養のための魔力』を合言葉にしこたま高級な薬草を食べさせて育てるという超高級肉牛。人工的に魔物を作る実験ではないかと見当違いの批判をされた歴史もあります。興味深い!
これならドラゴンにとっても十分な……」
「お姉ちゃん」
ビオラは眼鏡を光らせて牛を観察する。
その袖を、いつの間にか起き出していたモニカが、ついばむように引っ張った。
「私より牛なの?」
恨みがましく睨み付けて、それからモニカはビオラに抱きつき、ぐりぐり頭をこすりつけた。
しばしビオラは、唖然としていた。
「ルシェラちゃん……なんか主張強くなってますけどモニカに何かありました?」
「えと……まあ、多分……」
「ごめんねぇ。そこに居るって分かってたらすぐにでも会いに行ったよぉ~」
聞いているのかいないのか、モニカはいつまでもぐりぐりしていた。
寂しかったという様子ではなく、何故だかルシェラには、モニカの行動が自然なリズムに見えた。
仲良きことは美しきかな。そんな姉妹の情景の傍らで、カファルは野性を発揮していた。
哀れな牛の頭を前肢でわしづかみにして仕留めると、胴部に豪快にかじりついて、骨をバリバリ噛み砕きながら貪りはじめたのだ。
食えるときに食う。
無茶をしてエネルギーを消耗した後なのだから、それを補給しておかなければ、いざという時に戦えない。
人は人の作る社会の中で守られているが、単独生活するドラゴンにとって、我と我が子を守れるのは自分自身だけなのだ。その意識からの行動だろうと、ルシェラは見当をつけていた。これもルシェラのためだ。
『ルシェラも食べる?』
「じゃ、少し……」
カファルは鋭い爪で牛の腰を裂き、ルシェラの頭より大きいほどの肉塊を投げてよこした。
ふと思い立って生のまま囓ってみたところ、野生の獣や魔獣と異なり、人の手で丹精込められただけあって臭みがない。脂ののった肉はとろけるような味わいで、生でもなかなか美味だった。
ティムとウェインはセトゥレウの騎士たちから椅子を勧められ、茶で労われていた。
「戦場の様子はどうですか?」
「変な魔物が出てるって話は聞いてるよな」
「はい、一応……」
ルシェラを除く“黄金の兜”の面々は、グファーレ連合に先回りして、そこで待ち構える手筈だった。
そんな彼らの向かった先で、奇妙な騒動が起こったという話を、ルシェラもイヴァーからの情報で承知している。
ここ最近、マルトガルズとグファーレがぶつかる戦場で、未知の魔物が多数出現し猛威を振るっていると。
「あれが昨日から急に増えた。
もはやどっちが軍隊だよって状態でな。グファーレは魔物を止めるのに必死だし、マルトガルズも同じ状態なんじゃねーの?」
昨日、とウェインは言った。
それはつまり、『慧眼の渦嵐』が再暴走した時か、あるいはその前後か。
――謎の魔物……話を聞く限りでは、昨日の水巨人と同じような何かに思えるけど……
変な魔物が出たという話を聞いた時点では、そういう事もあるだろうと思っただけだったが、昨夜の戦いで見たもの、そして暴走する『慧眼の渦嵐』が目指していた先だったこと……
何か繋がりがあるように、ルシェラは思い始めていた。
「そんで建前上、俺らは権力と無関係な立場で、グファーレ側の状況について情報提供をするために呼ばれた形だ。
実態はともかくな」
実態はと言えば、仲間たちを呼んだのはルシェラだ。
こんな状況は、予想外中の予想外。仲間たちの協力がほしかった。
* * *
ローヴェインの街は、旧マルトガルズ王国の一部、ラテール領に属する。
「ラテール領主、タンテラ・ラテールだ。
こうして君らに会えたことは光栄で、このような形での出会いとなったことを無念にも思う」
この地の領主たるタンテラは、一大事に即応した。
竜命錫回収部隊と即座に連絡を取り、そこに乗り込んできたルシェラとも話をした。
そして昼飯時にはローヴェインの街に入り、街領主の居城にてルシェラは彼と会うことになった。
同席したのはカファルおよび、ティムとウェインだ。
“黄金の兜”は少なくとも形だけ、タンテラに雇われる形となった。だとしてもいろいろ微妙な立ち位置のビオラは、この場は遠慮することになったが。
タンテラは五十代半ばほどで、縦にも横にも重厚な巨岩のような男だった。身長の高さを別とすればまるでドワーフだ。
ラザロ王には悪いが、威厳と貫禄だけならこっちの方が上だとルシェラは思った。
「昨夜の戦いで君は、我らが軍の者らを、竜命錫の暴走から守ってくれた。
その事に、まずは礼を述べたい」
「大丈夫なんですか? わたしたちに礼なんて……」
「国の体面を考えるなら良くはない。
だが、その国もどうなるか分からぬ故な」
タンテラは重い一礼をして、ルシェラと情熱的な握手を交わした。
実際タンテラは、拍子抜けするほど物わかりがよかった。
カファルへの物資供与も二つ返事で引き受けたし、ルシェラが仲間たちを呼びたいと言ったら自分が形ばかりの雇い主になることを向こうから提案した。
とはいえ、それでも気を許してはいない。
三人くらいならマルトガルズ側の転移魔方陣ネットワークで飛んでこれただろうし、ルシェラが要求すれば呑ませられただろう。それをしなかったのは、警戒すべき相手が操作する転移魔方陣の危険性を、冒険者たちは知っているからだ。
暴走する竜命錫という共通の問題を前にして、他の諸々を一旦忘れて、なりふり構わず協力し合っているだけ。
状況が変わればタンテラは敵である。今だって味方と言えるか分からない。それはタンテラが誠実な男であるとしても、何ら変わりない事実だと、ルシェラは承知していた。
「既に聞き及んでいる部分もあろうが、竜命錫は再暴走の直後、なぜか帝都へと飛翔し、皇宮に壊滅的損害を与えた。
皇宮が受けた攻撃は、ただの一発だ。だがそれが大きすぎた。
帝国の頭脳部が破壊され、皇帝陛下も宰相閣下も行方知れずだ。
まあ、『行方知れず』とはつまり……ご遺体が見つからず、見つかる見込みも無いという意味の言葉であって……普通に考えたら生きているはずはない状況だが……」
そうだろうとは察しをつけていたが、タンテラの話を聞いて、ルシェラは思わず息を呑む。
この巨大帝国の『頭』がいきなり吹き飛ばされてしまったわけだ。
人は首を切られたら死ぬが、国は死なない。国家の血肉であった者らが、各々の意思を持ってうごめき始める。
こんな状況だからタンテラは独自の判断で動けているし、そうせざるを得ないのだ。
「竜命錫はその後、大嵐を巻き起こしながら東進している」
「何故、東へ? マルトガルズの側には何か心当たりがありますか?」
「分からぬ。少なくとも、私には。
その答えも、この異常事態を終わらせる鍵も、おそらくは……」
「『慧眼の渦嵐』ですか」
何故一度帝都へ飛んだかは不明だが、とにかく、竜命錫が再び東の戦場を目指しているのは確かだろう。
そこに何があるのかすら、まだルシェラは知らない。
「エフレイン……」
ルシェラは口の中だけで呟いた。
竜命錫が飛び去る寸前、ルシェラは確かにエフレインの姿を見た。
藍色の錫杖が、まるで引き寄せられるように彼の手に収まったのも、見た。
ではそれから、エフレインはどうなったのか。
その答えさえもおそらく、『慧眼の渦嵐』の元に存在するのだ。







