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≪14≫ 角飾り

「ガアアアア!」


 牙を持つ漆黒のモップみたいな魔獣が、ズンズンと地を踏みしめてルシェラに向かってくる。

 黒い毛並みが、油を溶かした水みたいに一瞬、七色に輝いた。するとその身体からは雷光が迸り、投じられた槍のようにルシェラ目がけて襲いかかってきたのだ。


「はっ!」


 ルシェラは姿勢を低くして走った。


 ――要は魔法を使うのと同じ感覚なんだ! 魔力を巡らせろ、身体の一部にしろ!

   これが加速の感覚……!


 稲妻が爆ぜる。地面を焼き焦がす。ルシェラはもうそこに居ない。

 ルシェラはジグザグに走った。

 魔獣は慌てたように迎撃する。大振りな前脚の一撃。遅い。くぐり抜ける。


 稲妻。爪。牙。

 いつどこに来るかルシェラは見切る。逃げる練習だけは既にバッチリだ。

 だがルシェラは、逃げるだけではなく、さらに何か一つのことをする余裕を手に入れていた。


「で、次はパワーを高めて……」


 炎がルシェラの身体の中を循環しているかのようだった。

 魔獣の毛皮を掴んでブレーキを掛けつつ、ルシェラはその身体に組み付く。


 そして地面に深い足型を残すほどの踏み込みと共に、魔獣の頭に掌底を叩き込んだ。


「てりゃああ!!」

「グギッ!」


 明らかに異常な悲鳴が上がり、魔獣は大きくよろめいた。

 そのまま僅かな間だけそいつは立っていたが、やがてぐらりと身体を傾け、そして地を揺るがして倒れ込んだ。


「や、やった……やったあ……!」


 信じられないような気持ちで、ルシェラは息を切らせ、魔獣の骸を見ていた。

 カファルが捕まえて持ってくる過程で傷を負い、いくらか動きが鈍っていたとは言えど、クグセ山にはびこる恐るべき『変異体』にルシェラは勝ってしまったのだ。


『クルルル……ルロロロ……』

「わっぷ、やめ、うわっ!」


 戦いを見守っていたカファルが顔を止せ、過去最大級の勢いでルシェラを舐め回した。

 とにかく嬉しくて堪らないといった様子で、このまま食われないかルシェラが心配になったほどだ。


「……あ、傷が治った。

 人間も『傷なんて舐めておけば治る』って言うけど、ドラゴンが舐めると本当に治るんだよなー」


 ふと気が付けば身体の痛みが引いている。

 カファルはルシェラが修行中に怪我をしたときなどは魔法を使うが、かすり傷程度なら舐めて治すこともあった。


『ウォウ』

「待った!」


 カファルがいそいそと翼を拡げて飛び立とうとしたので、ルシェラはそれを慌てて止めた。


「今日はもう疲れたから、もういいから! 休もう! ね!?」


 明らかに次の『教材』を持ってくるつもりだったらしいカファルだったが、ルシェラの必死の静止が通じた様子で、翼を畳んで蹲った。


 ――助かった……この流れだと勢い余って、山で一番強い魔獣とか持ってきそうなんだもん……


 身体の傷は治ったけれど『一瞬判断を誤れば死ぬかも知れない』という戦いの緊張は、ルシェラの精神を重く疲労させていた。今日はもうこれっきりにしてほしい。


 カファルが諦めたらしいと見て取るとルシェラは胸を撫で下ろし、『家』の脇に設置された背の高い竈を見に行った。

 これもカファルに頼んで魔法で作ってもらったものだ。


 白煙をもうもうと立てる竈に少しでも近づくと、不思議な香りが鼻をくすぐる。

 竈の中では沢山の木片が燻っていた。


「お、戦ってる間に良い感じになってる!

 適当だったのにできちゃうもんだなあ」

『ル?』

「ふふふ、こうすると風味が良くなるし長持ちするのだ。人族の知恵だぞ」


 太い枝に魔獣の肉を突き刺し、竈に吊してある。

 吹き出す煙と熱が肉を舐め、磨いた木材のように鮮やかな茶色に変色させていた。

 これは要するに燻製機だ。


 焚き付けにしているのは、そこら辺の木をルシェラが殴ってへし折り、さらに拳で叩き潰してバラバラの木片にした物体だ。

 ドラゴンの力で変質していた木材はエキゾチックな良い香りだ。


 ルシェラは適当に肉をちぎり取って食べてみた。白い内側と艶めく表面のコントラストが宝石の輝きにも思えた。

 旨味が閉じ込められた肉を噛みしめると、香木の風味が口いっぱいに広がった。


「ほら、カファルもどうぞ」

『クルルルル……』


 大きめに千切って塊を投げてやると、カファルはそれを器用に口キャッチした。

 燻製なるものには馴染みがないようで、彼女はしばらく変な顔をしながら肉を噛んでいたが、それを飲み下すといつものようにルシェラに鼻面をすり寄せてくる。


「今倒した魔獣も燻製にしちゃうか。

 毛皮は綺麗にしたら寝床にできるかな? あれフカフカでよく眠れそうだし」


 カファルがルシェラの教材として持ってきた魔獣は、既に二十を超えた。

 毛皮は毎回カファルが剥いでプレゼントしてくれるので、もはや使い切れないほどあり、畳んで『家』の隅に積み上げてある。

 あれにくるまっていれば凍えることは無いはずだ。


 ――碌な装備も無く冬山サバイバルなんて死ぬだけだと思ったけど、なんとかなっちゃいそうだ。

   後はカファルが持ってくる魔獣と戦って修行してる間に春になってそうだな。


「……冬が、来るね」


 ルシェラはしみじみと呟いた。

 秋も深い。

 吹く風はいつの間にやら、軒下の氷柱みたいなニオイが混ざるようになっていた。


 カファルは『家』の中で蹲り、ルシェラは温かな首を背もたれにして座る。

 そうして、そのまま。

 ルシェラはただ時間が流れ去るに任せた。


 ――静かだ……何もしなくていい時間がある、っていうのが感覚的に受け付けない気がする……

   でも、休めるときに休まないと簡単に死ぬ気がするんだよな、この生活。


 以前どんな生活を送っていたかはよく覚えていないのだが、とても忙しかったような気はしている。

 寝る間も惜しんで駆け回っていたような気がする。

 そのせいで、ルシェラは『休む』ことにあまり慣れていない。

 ただ、この穏やかな時間が好ましいものだと思う感性はあった。


『ル』

「る」


 カファルがルシェラに少し顔を寄せてきた。


 カファルは巣でじっとしている時間の方が多い。

 おそらく、その理由の半分はルシェラを見守るためであるのだろうけれど、それ以上に余計なエネルギーを使わないためではないかとルシェラは見て取った。

 巨体を持つドラゴンは、じっとしていても人間より遥かに多くのエネルギーを使うのだろう。まして、動いたら尚更だ。

 人であればお金を蓄えられるけれど、山で手に入れた食料は常に現物であるため、必要以上に蓄えても腐るだけだ。だから今あるエネルギーを節約し、効率的に使うため、カファルは腹が減るまではじっとしているらしい。


 もっとも今はカファルが魔法で作った壺型の岩に、ドライフルーツがたんまり放り込んであるのだけれど。

 なるべく沢山の果実を天日に干したが、それでも無限に思えるほど実っており、それらは既に熟れ落ちてしまった。

 木から落ちた果物は独特の芳香を放ち、やはりドラゴンのエネルギーを受けたものであるためか、『変異体』の魔獣たちが引き寄せられて食らっている。巣の近くまで『変異体』が近づいてきているので、カファルは最近全く巣を離れず、ルシェラが襲われないよう警戒度を高めている様子だった。


「そうだ、カファル。ちょっとじっとしてて」

『ル?』


 ルシェラは『家』の隅にある貯蔵スペースに隠していたものを取り出した。


 堅い木の実の殻と、魔物の毛皮の中でも特に色鮮やかな部分、そして形の良い骨を集めて、より合わせた魔物の毛で連ねたものだ。

 人間にとっては『ゆるめのネックレス』と言えるサイズ。民族的というか原始的というか、そんな雰囲気だ。それをルシェラは、カファルの身体のデコボコを手掛かりに頭の上によじのぼって、右角に掛けた。

 根元の太いところに三重にして巻き付け、すっぽ抜けないように留め具として蔓草を縛る。


「お返しできるものなんて全然無いけれど、貰いっぱなしも落ち着かないから。

 俺があげられるものなんて、ドラゴンにとっては大したことないものばっかりだろうけど……ここまで細かい加工はドラゴンの手じゃ難しいでしょ。

 どう? 鬱陶しくない? ドラゴンって角に飾り付けるの、あり?」


 ドラゴンであるカファルは、ただそれだけで生き物として完成された美しさを持つとルシェラは思った。

 何も足す必要は無い。飾る必要も、取り繕う必要も無いと。


 でも、それは、少し寂しい。


 カファルは首をかしげるようにして角飾りを触った。

 感触を確かめるように幾度か指の腹でそれを撫でて、そして、鼻からルシェラに突っ込んできた。


『ルルルルロロロ……ググググ……』

「わわわわわ」


 毛皮のベッドの上に突き倒されたルシェラは、そのままカファルの鼻先にこね回されて、さらに舐め回された。


『グォウウ……』

「あはは、喜んでくれたみたいでよかった。

 潰さないでね」

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