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≪20≫ 拒絶

 ローヴェインの街にルシェラが訪れた日、そこで、かつて幼年宿舎の同輩であった者たちが集まり、歓迎パーティーが開かれた。

 何しろ国家事業だ。最も速い馬車が国費で手配され、皇宮からの命として皆は仕事も何もかも放り出し、帝国中から集まったのだ。


 ただ、そのパーティー会場に主賓は現れなかった。


「待ち合わせの約束をすっぽかしたのは人生で初めてかも。……ほぼ」

「行かなくていいの?」

「帰りにまだやってたら顔出そうかな」


 夜風の大地を滑るように、高速馬車は進む。

 風は徐々に湿り、月は雲に隠れ、小雨がぱらつき始めていた。


「みんなが今何をしてるのかは気にはなるけど……

 流石にこっち優先。向こうが少しでも油断してるのは、今夜だと思うから」

「男の子がいっぱい待ちぼうけしてるんでしょ。罪な女だこと」

「ビオラさんに何か悪い本読まされた?」


 馬車に乗っているのは、ルシェラとモニカと、カファルの傀儡体。

 そして、どこからどういう経緯で派遣されたか分からない黒衣の御者だ。

 ルシェラとカファルだけであれば、夜中に街道を駆け抜けるにも乗り物など必要無い。これはモニカのためだ。


 ルシェラの目は完全なる暗闇の中であろうとも、見ようと思えば見通せる。

 闇に沈む馬車の中で、ルシェラは百景本かんこうガイドを読んでいた。今日、街の書店で新たに買った、帝国東部地域のガイドだ。

 その113ページから数ページは、伝統的な鶏肉料理の挿絵を添えて、文章だけが全く別のものに差し替えられていた。周辺諸侯の動き。東の戦場で起こっている奇妙な事件。今夜のパーティーに集まった参加者の名簿と簡易プロフィールまで。

 資料を暗記するのには慣れている。読み終えたページからルシェラは破って、握った手の中で焼き捨てた。

 後で落丁本として本屋に持っていって、普通の本と交換してもらう予定だ。


「今さらだけど、本当にモニカも付いてきて良かったの?」

「もう一回言うけど、置いていったら嫌いになるわよ」

「……分かった」


 モニカは落ち着いたものだった。

 彼女も竜命錫レガリア奪還作戦に参加する。人を殺すかも知れないし、死ぬかも知れないのに、それでも彼女はここに居る。


 モニカの決意は固かった。

 いかなる心境か、彼女が多くを語らない以上、ルシェラは想像するしかないのだが……

 なればルシェラがモニカを守る。彼女を無理に遠ざけるような真似はしない。


 カファルは二人を、何やら楽しそうに見ていた。

 ルシェラとモニカが話しているとき、彼女はそれをじっと観察しているのだ。

 ルシェラはそれがこそばゆい心地だった。


 * * *


 やがて、馬車の窓に叩き付ける雨粒は、強く大きくなっていった。

 分厚い雲に月を隠された闇夜だというのに、その暗さを感じないのは、ひっきりなしに雷光が地を照らすからだ。


 風に抉られたような形の大地には、小さな崖の如き地形がいくつも存在する。

 その中に、不自然な洞穴があった。

 自然に生まれたものにしては、壁面が嫌に滑らかで、人が隠れるのにあまりに都合が良いサイズだった。明らかに魔法で岩を刳り抜いて作ったものだ。


 ルシェラたちを乗せた馬車は、そこにすっぽりと滑り込み、止まる。

 旅人か冒険者のような姿をした者たちが、そこで静かに焚き火を囲んでいた。


「符牒を……」

「いえ、こっちの方が確実です」

「なるほど」


 進み出た男にルシェラは、ジゼルの指輪を渡す。

 相手はそれが何なのかも、ルシェラの意図も把握している様子だった。

 指輪を自ら嵌めて、ドラゴンの言葉で喋る。


『我々はセトゥレウ王国の特務部隊です。

 あなたを助けに参りました』

「お疲れ様です」


 ドラゴンの言葉では嘘をつけない。

 彼らは少なくとも、味方に化けた敵ではなさそうだ。


 セトゥレウ王宮は、特に野外隠密行動に優れた者たちから部隊を編成し、暴走した『慧眼の渦嵐』を追跡していた。

 彼らの役目はルシェラの援護。そのために帝国の懐に命懸けで潜り込んだのだ。


「今夜で間違いありませんね?」

「はい。回収できるまで、暴走の勢力を落としたと思います」


 連絡は取り合っていない。

 ただし何より、ルシェラは目立つ。ルシェラの動きを見て呼吸を合わせ、彼らは動くことになるわけだ。


「帝国も、周辺諸侯が部隊を編成しており、それが竜命錫レガリアを追って移動しておりました。

 ルシェラ様の動きを察知して、こちらに向かわせているようです」


 あくまでも再確認と分かった上でだろうが、隠密騎士は状況を説明する。

 ルシェラは既に百景本かんこうガイドで把握している情報だ。


 軍隊を動かすには時間が掛かる。

 必要な時だけ集めるわけにはいかないし、大勢の人をまとめて動かそうと思ったら小集団より遥かに動きが遅くなるものだ。

 故に帝国側は、この戦いのための部隊をずっと臨戦態勢で待機させている。


 ルシェラは三日前から、竜命錫レガリアの回収へ向かう素振りを見せ、旅の中で突然姿を消したりした。

 どの程度の効果があったかは分からないが、仮に九割方フェイントだと見抜かれていたとしても相手は、よもやの戦いに備える必要がある。人数の分だけ敵方は疲弊することになるのだ。

 それは本命の戦いの時、相手の動きを鈍らせる効果がある。


「現在、ルシェラ様は観光客です。

 ですが、『慧眼の渦嵐』を手にしたとき、帝国は形振り構わなくなるでしょうし……何より、攻撃を仕掛ける大義名分を得ます。

 ……我らの仕事は、皆様と竜命錫レガリアを逃がすことです」

「あら、ここにも死にたがりが居るわ」


 行儀悪く足を組んで馬車の座席に座ったまま、そこからモニカが会話に横槍を入れた。


 モニカの憎まれ口に、騎士は面食らった様子だ。

 彼らは国のためとあらば、命を賭すのだろう。その覚悟をモニカは嘲笑う。


 ルシェラは、モニカの来歴を知り、日頃の振る舞いを見ているからこそ、彼女の意図を理解した。それがドラゴンではなく、人の言葉であるとしても、心まで読めた。


「みんなで無事に帰りましょう。

 わたしは……できると思っています」

「かたじけない……」


 ルシェラの通訳を受けて、騎士は痛み入った様子で頷く。

 モニカは呆れたように鼻を鳴らしただけだった。


 * * *


 暴走した『慧眼の渦嵐』は、行く手に大嵐を巻き起こしながら帝国を横断していた。

 とめどなく降りしきる大雨によって、運悪く進路上にあった村や街では、人も家屋も流されて、牛は空を飛んでいった。


 だがその勢力は徐々に弱まっていた。

 ルシェラが帝国を旅行して追いかけながら、少しずつ力を抑えていったのだ。

 そして今。


 水の竜巻、としか言い様の無いものが、草原のド真ん中で暴れ狂っていた。

 多重に折り合わされた水の流れが、宙に浮かんだ竜命錫レガリアを中心として、不規則な流れを描いているのだ。

 その水竜巻が通ってきたと思しき道は、圧力で掘り返されて雨水が溜まった堀川と化している。


 辺りには、轟々と雨が降っていた。

 傘など差しても即座に壊れるだろうし、雨合羽も意味があるかは怪しい。

 だがルシェラたちの回りだけ、その雨は避けて降っていた。


 ――鎮まれ。


 竜命錫レガリアを包む卵の殻のような水流に、別の流れがぶつかっていく。

 ルシェラの生みだした流れだ。

 最後の一手は繊細な作業だった。流れを読み、それと反対の流れを作り、相殺するのだ。


 ――鎮まれ!


 水の流れがぶつかり合う度、まるで自分の生み出した水流に神経が通っているかのように、ルシェラは水の抵抗を感じていた。

 何故か不思議とルシェラには、その抵抗に何らかの意思を感じた。

 抵抗を目的とした抵抗。意地のような、子どもの癇癪のような、何か。


 ――鎮まれ!!


 だがルシェラも退けない。

 水流は大きく小さく、ぶつかり合って交錯し……


 唐突に、爆ぜるように、全てが消えた。

 流星が地に墜ちたように飛沫の大爆発が発生し、水の竜巻も、降雨も、天にあった分厚い雨雲も全てが消え去った。


 後に残ったのは、まだ少し湿り気を帯びた風。空に浮かんだ月。

 そして……剥き出しで宙に浮かんだ、藍色の錫杖であった。


「モニカ!」

「分かったわ!」


 モニカが『慧眼の渦嵐』に手を伸ばす。


 暴走する『慧眼の渦嵐』が破壊を振りまいていたせいで、カファルの住むクグセ山がそうであったように、辺りは気配も読めない状態だった。もちろん豪雨によって視界も不良だった。

 だがそれが無くなった今、ルシェラの目にはハッキリと、夜闇に潜む軍勢の姿が映っていた。丘の陰に潜む影がある。おそらくは、見えない場所にもまだ。


 ルシェラは気を張った。

 モニカが竜命錫レガリアを取り戻した瞬間……それが戦いの始まりだ。


 ――【  チ  ガ  ウ  】――


 声が、聞こえた。


「「……え?」」


 ルシェラとモニカは揃って、驚きの声を上げた。

 謎の声はモニカにも聞こえていたのだ。


 何か、魂に直接響いてくるような奇妙な声だった。

 いかなる言語とも異なる何かだったけれど、それは強いて言うなら、ドラゴン語の会話に含まれる『意味ニュアンス』だけを投げつけられたような感覚だった。


 それは。

 拒絶、だった。


「きゃっ!?」


 モニカに引き寄せられるように降りてきて、その手に収まりかけていた『慧眼の渦嵐』。

 それがまるで、反発する磁石のようにモニカの手を離れて吹き飛んでいく。力の余波でモニカは尻餅をついた。


 ぽつり。

 止んだはずの雨が。雨粒が、ルシェラの鼻先を掠める。


 月は陰り、地は揺れて。

 世界の全てから染み出すように、じわり、水の気が満ちた。


「なん……なんなの、これ……」


 暗い空を見上げてモニカは絶句していた。

 いや、空ではなく、天を突くほどに巨大なものを見上げて。


 まるで超巨大なスライムのように、水の塊が形を為していた。

 同じ大きさの人間とドラゴンから、身体のパーツを組み合わせて一つにしたような、悪趣味に思えるような造形の巨人だ。まるで直立したドラゴンのようにも見えたが、胸部や左の二の腕、右手、左足、右半面、腰部など、まだら状に人間に見える部位がある。


 その水の巨人の胸の内。

 雷光に照らされて透き通った身体の中で、唯一の内臓のように、『慧眼の渦嵐』は浮いていた。


 水の巨人はゆっくりと、手を払う。

 そして再び、破壊が始まった。

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書籍版
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― 新着の感想 ―
[良い点] 呼びかけを遮断する細工の影響かな……?
[一言] なんだ?胸の大きさでも気に入らなかったのか??
[一言] 何が「違う」のやら 実は適合者がモニカじゃない? モニカの装備なりコンディション? ルシェラvsレガリアvs帝国の下っ端勃発か
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