≪19≫ 激励
「……私の視点からの現状報告は以上となります」
『ご苦労』
一日の終わりに……厳密にはもう日付も変わっているが……エフレインは己が見たものを報告する。
もちろん一行の行動は常に陰から監視されているわけだが、最も近くでルシェラたちを見ているのはエフレインだ。なればこそ見えるものもあるかも知れない。
遠目に観察して分かることは自分が報告するまでもないので、細かな印象などを重点的に見て報告するようエフレインは心がけていた。
マルトガルズでは都市はもちろん、主要な宿場町にさえも、帝都と通信できる規模の通信局が整備されている。これは帝国の誇らしき繁栄と、それを力に変える先見性の賜物だ。
まるで地下牢のように重厚な石造りの地下室で、エフレインは青白く輝く魔法陣の中に立ち、遠い帝都の上役と遠話を交わしていた。
『では、ガイドとしての報告はこれまでとして。
かの少女・ルシェラの前身とされる、名を失った青年……「仮称・マリーノーヴァ1号」に関してだ。
かつての友人として、彼について君が知る事を聞きたい』
喉の奥に炎が込み上げるかのように、エフレインの緊張の度合いが増した。
エフレインが今のルシェラを見て情報を積み重ねているように、帝国は過去のルシェラについても調べている。外交部や情報部にとっては当然の仕事。心の奥底まで読み解いて手玉に取るのが目的だ。
その標的としての名前が『マリーノーヴァ1号』。
名前が失われている以上、一応の呼称を設定しなければ不便なのは分かるが、顔も声も知っている旧知が記号的名称で呼ばれている事に、エフレインは飲み下せない感覚も覚えていた。
『まず我々が集めた情報の中で、君に開示できるものの話をするが。
マリーノーヴァ1号は、確かに君の報告通り、幼年宿舎を出て以降は職を転々としていた。
追跡できたのは冒険者マネージャーとして冒険者資格を取得し、帝国を出るところまでだ』
まあ、そうだろうなとエフレインは思う。
■■■■■は冒険者マネージャーとして、ジゼルという冒険者と二人旅をして、諸国を巡り歩いた末にセトゥレウに流れ着いたらしい。
その足跡を追うなら、各国の冒険者ギルドに情報を吐き出させて繋ぎ合わせる事になるが、冒険者ギルドはそう簡単に情報を吐かない。
『帝国を出るまでの交友関係を調査したが、長く一つの職場に留まらなかったこともあり、特に親しい友人は居なかったようだ。
だからやはり、幼年宿舎の同輩を集めて歓迎すべきだろうという事になった』
旧知を集めて、パーティーでも開き、絆して絡め取る。
情報部や外交部がいかにも考えそうなことで、エフレインもそれ自体に違和感は無かった。当然の作戦だと思った。
だが。
もしかしたら後々役に立つかも知れないと、国の制御下に一つでも多く、人と人との結びつきを生みだしておいたなら。
そしてそれが見事に嵌まり、今こうしてルシェラに対する搦め手として準備されているなら。
それは実に効果的な投資ではないか。
先程のルシェラの言葉が脳裏をよぎり、苦い唾が込み上げた。
『どんな小さな出来事でもいい。彼とポジティブな関わりがあった者の名を挙げてくれ。
逆に呼んではならない者……仲が悪かった者や、彼に嫌われていた者も、教えてほしい』
「了解致しました。
ただ一点。昨日のご報告でも申し上げましたが、ルシェラ……マリーノーヴァ1号に関しましては、周囲との関わりが希薄な少年でした。
関わりのあった者を集めたとしても、それがどの程度の効果を発揮するかは分かりません。あるいは逆効果となるやも……」
『構わぬ。その判断をするのは君ではなく、私でもない』
「…………」
それは、より厳密に言うなら、エフレイン自身の躊躇いだった。
幼年宿舎の日々を、武器にしたくない。
それではルシェラの言葉を裏付けるようなものではないか、と。
『……は? 今、何と?』
魔法陣の向こうから素っ頓狂な声が響いてきて、エフレインはドキリとした。
心の声が漏れたのかと思った。
「いかが致しましたか?」
『いや、そちらの話ではない、クラウベル外交官。
嘘だろう? ……いや、そんな、分かった、お通しせよ! 滞りなく、だ!』
明らかに焦りで裏返った返事が来て、そして、別の声が響いてきた。
『やあ、エフレイン君! 任官式以来だね』
今度は別の意味で、心臓が口から飛び出すかと思った。
「さ、ささっ、宰相閣下でいらっしゃられられま、すか!?」
『そうとも、よく覚えていてくれたね』
よく覚えていてくれたね、とは、大層な冗談だった。
彼の声を聞く機会は一般の帝国民とて度々あるのだ。政務が行えぬ状態の皇帝陛下に代わり、彼は度々、表に出ている。
何より、任官式の日に、自分のような者にまで一人一人声を掛けてくれたのを、エフレインは忘れようもない。
遠話の向こうから声を掛けたのは、帝国宰相、マヌエル・ウィーバー=ガントレア。
この国の権力構造の、実質的な頂点に立つ男だ。少なくとも、今は。
『では、帝国官訓十則、その二つ目も覚えているかな』
「はい!
『如何なる地位、如何なる立場にあろうとも、官の職務は全て、帝国の勝利に不可欠である』!」
『その通り!
故に、全ての官は己の職責を軽視せず、怠らず役目を果たすべきだという教えだな!』
先生に指名されて、元気よく答えを言う神殿学校生のように、興奮の余り弾む声でエフレインは答えた。満点だった。
『君は今、それを最もよく体現している。
最大の仕事とは、ある日突然巡ってくるのだ。それこそ運命神の計らい……いや、神々とて見通せぬほどの偶然やも知れぬな。
だがそれも君が、下積みの仕事と軽視せずに全てを真面目にこなしていたからこそ、この状況を導いたと言っても過言ではないだろう?
そして私は、君が職務を遂行するに足る能力を持っていると信じているよ……』
思わず嘆息するほどに胸が高鳴った。
多忙を極める帝国宰相が、わざわざ自分などのために時間を割いて、その頑張りを認め、褒めちぎり、激励してくれたのだ。これで喜ばないなら人ではないとさえエフレインは思った。
もしマヌエルが人を人とも思わぬ冷血無道の権力者であったなら、こんな真似ができたものか。人を想うが故に、これほどに、一人一人に心を砕ける。
昨日まで一山いくらの下っ端官僚だったエフレインさえ、重要な立場になったと知るや、こうして自ら声を掛けに来るのだ。
『どうか励んでくれたまえ。
私は君を見ているよ』
「はっ!」
そしてマヌエルの声は途絶えたが、エフレインはまだ宙に浮かんでいるような心地だった。
宰相閣下から自分一人のため特別にお言葉を頂戴したとあれば、それだけで箔になるような大事件だ。
一方で、それでもエフレインの心には一抹の不安があった。
もしかしたら全ては仕組まれているのだろうか、という……『疑念』とは言いたくない。不安が。
――俺ごときが宰相閣下のお考えを量ろうなどと、畏れ多い。
だがもし、俺が何かを成し遂げた後であれば……
ほんの一言でいい。問うことは許されるだろうか。
宰相マヌエル・ウィーバーは、口癖のように言う。
国を、民を、愛していると。
その愛は如何なるものかと問うて、許されるだろうか。







