≪17≫ 世話焼き愛
翌朝。
ホテル『玄武楼』前にて。
「おはようございます、皆様」
エフレインはすっかり回復し、昨日の朝と同じような身綺麗なスーツ姿でルシェラたちの前に現れた。
捕まったときにスーツも損傷していたはずだが、代わりを街で購入したのだろう。おそらく経費で。
ラザは極めて物騒だが、人と物が集まって栄えている街でもあるので、金さえあれば大抵のものは手に入るのだ。
「身体の調子は?」
「お陰様で、この通り。
まだまだ旅にお付き合いできそうです」
彼は爽やかに笑い、重傷を負っていたはずの太ももをズボンの上から叩いた。
「まさか、一緒に旅行へ行ける日が来るなんてね」
感慨深くルシェラが言うと、エフレインは困り顔だった。
「俺はガイドなんだから、遊ぶわけにはいかないんだが」
「役得でいいじゃん」
「お前そんな性格だったか?」
ルシェラは曖昧に笑った。
元よりルシェラは真面目な性分だが、思い詰めて真面目になり過ぎると悪いやつに食い物にされるのだと、ルシェラはつくづく思い知った。
適度に利己的でいい加減であることは、人にとって必要な知恵なのだろう。生きるなら幸せに生きていたいし、そうでなければ、カファルが悲しむ。
「ルシェラのともだちだとしりませんでした。
むすめがおせわになりました」
「いえいえ、こちらこそ」
「ママ、いつの間にそんな言い回し覚えたの」
カファルはエフレインに人間式のお辞儀をする。
何処で聞き耳を立てられているかも分からないので、ルシェラはエフレインとの関わりについて、カファルにも秘密にしていた。
教えたのは昨日だ。
ドラゴンの余裕と言うべきか、元よりカファルはエフレインに対して、特に敵意無く歯牙にも掛けない様子だったが、エフレインがルシェラの旧友だと知って、カファルはエフレインへの態度を変えていた。
「ルシェラのむかしのこと、きいてもいいです?」
「もちろん」
「待って。なんか聞きたい事があればわたしから話すから」
「にかい、きくと、にかい、うれしい」
「いいんじゃないの。減るもんじゃなし」
「モニカ、その手帳は何?」
旅の空に欲しいものは、退屈しのぎの話の種。
親馬鹿と愉快犯がこの状況で何をするかと言えば決まっている。
「はああ……いいよ、もう。
なんでも話す話す。
話すからわたしの居ないところでエフレインに聞くのだけはやめといて」
ルシェラは必死で記憶を手繰り、聞かれたくない思い出話の目録を作っていた。
* * *
浮遊群島は、『風』の性を持つ土地でしばしば見られる地形だ。
岩塊とも言うべき小さな島が、散りばめられた星のように無数に宙に浮かんでいる。
家が数軒建つ規模の島がいくつかあれば、その土地は使える。
島と島を繋ぐ橋。地上と繋がる揚水塔。回り続ける無数の風車。島から流れ落ちて風に散る滝。
そして、飛行船のように宙に浮かぶ独特の作物。
こんな土地では、人も、どうにかこうにか工夫を凝らして、日常的に空を飛ぶものだ。
広大な浮遊群島地帯となっているロフラレイ領では、地上に道が無く浮遊島を渡るしかない場所で、しばしば渡り綱と、それに吊り下げられて往来する鳥車が使われる。
それは住人にとって、当たり前の移動・運搬手段だが、壮大な景色の中で空を渡る眺めは、観光客にとって素晴らしく見応えあるものだ。
「鳥車が足りない?」
しかしルシェラたち一行を、渡し守の男は鳥車の残骸の上に投げやりそうに座ったまま出迎えた。
「止めろって言ったのに、山の向こう側で馬鹿みてえな工事が始まりやがって、最近はヌシが荒れてるんだ。ひでえもんさ」
「ヌシ?」
「さっき撃ち落とした奴かな」
先程街道を馬車で走っていたら、カファル本体の半分くらいのサイズの巨鳥に襲われたので、ルシェラはそれを丸焼きにしていた。あまり美味しくなかった。
「昨日、手酷くやられちまってな。すまんが残ってる中で一番良いのがこいつだ。
逆さに振っても代わりは出ねえぞ」
ミスリルを編んだ渡り綱に引っかけられ、立派なヒポグリフを繋いであるのは、パレードに使われる馬車のような、壁も屋根も無い鳥車だった。
「一応全員乗れるか?」
「荷物含めて200kgまでに抑えてほしい」
「ママは2kgくらいまで体重を軽くできるので、そこは問題無いはずです」
眺めは良さそうだった。
渡し守が、あまりお薦めしないような口ぶりなのも、当然という気はしたが。
* * *
ルシェラの予想は当たった。
「……飛ばされるかと思った」
ここは、風の地。
穏やかに薫る風が吹くことなど、10日に一度あるかどうか。
壁の無い鳥車に乗るルシェラは、ひたすら暴風に晒された。
「ああ、もう。
服が酷い」
鳥車の終点駅に辿り着いたとき、ルシェラは酷い有様だった。
風を浴びること自体はカファルの背中で慣れていたが、着衣が酷く乱れていた。大振りなスカーフは肩掛け荷袋のように傾き、ベスト状の上衣も紐が解けかけている。
昨日のお礼(何の礼だか知らないが)として差出人不明で届いたドレスを、カファルが面白がってルシェラに着せたのだ。
装飾が控えめで活動的なドレスは、一応は遠乗りや乗馬など、貴人の野外活動を想定したものらしいけれど、暴風の中でメチャクチャになっていた。
ちなみにカファルの服は、肉体と共に魔法で生み出した幻影のようなものなので、乱れることはあり得ない。
モニカは妙に小綺麗な新品であることを除けば、いかにも旅人らしい動きやすい出で立ちだった。正直、こちらの方が賢かった。
「ルシェラ、ひどいかっこう。なおす」
カファルは荷物から衣服用と髪用のブラシを出して、ルシェラに迫る。
「えっと……自分でやる」
「どうして?」
控えめにルシェラは拒否した。
カファルはそれが何故なのか分からないという様子で、首をかしげていた。
「恥ずかしがってやんの」
「だ、だって……」
「いいじゃない。普段やってもらってるんでしょ」
モニカは茶化しながら、美しい金髪を、勿体ないくらい雑に手櫛で調えていた。
そんな姿さえも彼女はサマになってしまう。
「はあ……」
ルシェラは観念し、口を結んでカファルの前に立つ。
するとカファルはにっこり笑った。
「うでをあげて」
「ん……」
紐を解いて位置を整え、着付け直してブラシを掛ける。
展示人形の気持ちになって、ルシェラは不動だった。
宿や食堂も併設された、小さな宿場町のような駅の休憩所には、鳥車をやられたせいで渡しを待つ人々がたむろしていた。
煙草を嗜むなり本を読むなりしていた人々の多くが、ルシェラの姿に注目し、カファルと同じように笑み崩れていた。
ルシェラは顔が燃えそうだった。
「すこし、やくわ。じっとしてて」
「わかった」
カファルがルシェラの髪をさっと撫でると、ルシェラの髪に炎が走った。
塵を焼きながら吹き飛ばしたのだ。こんな優しい炎では、ルシェラの髪は一本も燃えない。深紅の髪は自分で見ても分かるくらい艶やかになった。
それからカファルは手近な椅子に座ると、ルシェラを引き寄せて膝に座らせ、ブラシを掛けて髪を整えた。
一通り終わると、カファルはルシェラを背後から抱いて、髪ごしに頬ずりした。くすぐったかった。
「……梳かした意味、なくない?」
「だって、かわいいから」
とにかくいつでもどんな時でも、カファルはルシェラの世話をできるのが嬉しくてたまらないのだ。
別にルシェラも、嫌じゃない。
ただ、人目に付く恥ずかしさとか、そういう人心の機微に対して、優大なるドラゴンはいまひとつ鈍感だ。
「笑ってもいいんだぞエフレイン」
「あ、ああ……」
エフレインは笑わなかった。
ただ、ルシェラが思いも寄らないほど、戸惑った様子ではあった。
* * *
その日の夜だった。
「どうかした?」
「……大したことじゃないんだ」
低空浮遊する小さな浮島にすっぽり収まった宿に、ルシェラたちは泊まっていた。
風の吹き抜ける屋上からは、月明かりに浮かぶ岩塊と、蛍のように光る浮遊植物群の光が遠くに見えた。
ルシェラは夕食の後、エフレインにここへ呼び出された。
何のために呼ばれたかは分からないが、それでもルシェラは来た。
「覚えてるか?
幼年宿舎にゴルト男爵がいらした日のこと」
「大学の弁論会に皆を誘った日?」
「そう、それだ。
あの時にお前が『詐欺だ』って言ったけど、あれってどういう意味だったんだ?」
エフレインはルシェラの方ではなく、月を見ながらそう問うた。
遠く故郷を離れ、時が流れても、変わらぬ月を見ながら。







