≪15≫ 再会
『デスホーネット』の襲撃部隊は、正面玄関・通用口・下水道の、三組に分かれて侵入してきた。
そのうち正面玄関組は速やかに全滅したが、流血の惨事を引き起こすという目的と、囮という役割は果たせたと言うべきだろう。
ホテルの実質的所有者である『ゴルト・ファミリー』は、襲撃を予想して戦闘部隊や用心棒を待機させていたが、通用口から侵入した襲撃部隊がこれと交戦している間に、本命の下水道組が4階を確保。そこから上の宿泊客全員を人質とした。
宿泊客全員の命と引き換えに『デスホーネット』が求めたのは、『ゴルト・ファミリー』の首領の命。
もちろん、そんな要求が呑めるはずはない。
取引をする気など最初から一切無く、実質的には、両者の抗争の中で発生した武闘派の爆発。報復攻撃の一形態でしかなかった。
無関係の犠牲者は多いほど良い。『ゴルト・ファミリー』の表の仕事の看板に血を塗って汚せるのだから。
ただし、それとはまた別の話で、彼らは思いがけぬ拾いものをしていた。
「親分はなんて言ってる?」
「『でかした』って」
「おっしゃあ!」
窓の無い会議室に、彼らは陣取っていた。
刺々しい肩当てだの、軽量の甲冑だの、粗末な防具を身につけた男たちが十人ばかりたむろしていた。粗末とは言えど、必要充分のもの。命の価値は安く、それよりも機動的で、攻撃的であるべきだ。それは彼らの組織信条の体現だった。
会議室の椅子には、スーツ姿の男が縛り付けられている。
特に理由も無く顔を殴られたようで、目の周りは青く腫れ、スーツの襟には鼻血が滴っていた。
「なあなあ、こいつと交換なら、兄貴が帰ってくるのか!?」
「親分ならやってくれるだろうぜ」
ならず者たちは、盗み出した酒など飲みながら、上機嫌で笑っていた。
帝国は、どの程度まで官僚を守るか?
一概には言えない話だ。しかし、いかに『便宜上の』貴族と言えど、そこに多少の義務を果たさぬようでは国全体の士気が落ちる。役人も騎士も、時に命の危険を侵すことになるが、そこでただただ国のため命を捨てろと言って、それを認めるほど誰もがお利口ではないのだから。
エフレインと引き換えるなら、些細な要求ぐらい呑むだろう……という予測は、それなりに妥当な考えだった。
「……私に、そのような価値があるものか」
囚われのエフレインは、奥歯を噛みながら、唸るように吐き捨てた。
「あ?」
「私一人の命と帝国の秩序、どちらが重い!?
帝国は、ならず者に屈さない。
仮に私を見捨てようとも、お前たちを罰するだろう!」
エフレインは、喝破する。
帝国が要求を呑むかも知れないと言っても、それは裏でこっそりやること。堂々とやれば威光を損ねる。
表向きの態度としては、エフレインの言う通りだった。
その、エフレインの太ももに、剣が突き立てられた。
「黙ってろや」
「うぐっ……はっ……!」
面子で生きるヤクザ者たちにとって、役人から面罵されるのは耐えがたい屈辱。
そして彼らの怒りは暴力と直結していた。
「テメエの意見は聞いてねえ。
連中が本当にテメエを見捨てるか、確かめてやろうじゃねえの」
低い冷笑が響き合った。
だが。
エフレインは身をよじり、突き立てられた剣に向かって椅子ごと倒れ込んだ。
「あ!?」
剣はエフレイン自身の体重によって肉を抉る。
だがエフレインは、己の血が流れるのも構わずに剣に身体をこすりつけ、拘束の縄を断ち切った。
縄から引っこ抜いた手で、エフレインは刃を掴む。
粗悪な剣なれど、握れば手からは血が滲んだ。
「私とて帝国に命を捧げた身。何も恐れはしない。
帝国の枷となるならば、今ここで! この身を!」
「やべえ、やべえぞこいつ! イカれてやがる!」
己の喉を貫こうとするエフレインの剣幕に、完全に気圧された様子で男たちは狼狽する。
ルシェラが様子を見ていられたのは、そこまでだった。
「なに馬鹿やってんだぁーっ!!」
空調口のカバーを蹴破って、ルシェラは天井から飛び降りた。
「ルシェラ様!?」
誰もが驚いて反応できぬうち、ルシェラは二人が引っ張り合っていた剣を思いっきり蹴飛ばす。
剣は部屋の壁を叩き割って、裏側に落ちた。
「なんだぁ? このガ」激流!!
水面の波紋のような、文字通りの衝撃波が迸り、辺り一面を薙ぎ払う!
ルシェラの放った波濤は床を抉る、天井を抉る、壁をぶち抜く!
奔流は、廊下二本と部屋三つを貫いて上下階を覗かせ、外壁まで破壊したので空が見えた。巻き込まれた者たちは、当然、もはや跡形も無かった。
悪党どもの根城であった会議室は、雨が吹き込んだようにしっとり濡れて、居るのはもはやルシェラとエフレインだけ。
一瞬で全てが解決して、エフレインはホッとするよりも頭が付いて行かない様子で、唖然と這いつくばっていた。
ルシェラが触れると、エフレインを縛っていた縄の残りは、一瞬で炭化して散った。
念のためにと持ってきた治癒ポーションの小瓶をルシェラは開け、翡翠色の薬液をエフレインの足の傷に振りかける。
「……どうして。
どうしてそんな簡単に、命を差し出そうとするんだ。
そんな尽くし方をされて喜ぶのは碌でなしだけだ」
「それは……強きものには分からぬ事やも知れませんね。
人とは弱きもの。身を寄せ合い、力を合わせ……
戦い、血を流す者が居ることで、その全体を守るのです」
悟ったような澄まし顔で、エフレインは言う。
ルシェラは頭の中で思考が絡まり合っているような心地になった。
「とは言え、私も徒に命を投げ捨てたいわけではありません。
お助け感謝致します」
「そうして助かった命を……いつ捨てるんだ」
「必要とあらばすぐにでも」
エフレインの決意は、静かで揺るぎ無かった。
だが、ルシェラにはエフレインの決意が、ひどく薄っぺらなものに感じられてしまった。
不思議と、その理由までルシェラには見通せた。
道が一本しか無いなら、道に迷うことはあり得ないという、ただそれだけの話だ。
「私は帝国に深く感謝し、愛している。帝国は家族も同然です。
誰しも家族のためならば命懸けになるものでしょう?」
「それで……悲しむ人は、居ないのか」
「友も恩師も、私が帝国のために命を捧げたと知れば、皆、胸を張ってくれるでしょう」
「違う」
食いしばった歯の間から炎が漏れるほどの、怒り。
エフレインに対してではない。
この、残酷な仕組みに対しての怒りだ。
「友だちだと、思ってくれていたなら。
それを喜ばない友は、居る」
「えっ……?」
「わたしは。俺は。
お前を知っている」
誰がそれを打ち砕けるか。
ドラゴンの力でも、きっとできないことだ。
ならば、むしろ……
「その男はタッカで生まれ、十六の歳までをマリーノーヴァ幼年宿舎にて過ごした。
ガゥジャン記念応用学校を卒業後は職を転々とし、最終的には冒険者マネージャーとなった。
やがて……セトゥレウ王国、クグトフルムに流れ着いた彼は、“七ツ目賽”というパーティーの専属マネージャーになった」
帝国はルシェラの来歴について、可能な範囲で調べているはずだ。それは当然、エフレインにも共有されているのだろう。
ジゼルと共に放浪していた時期は、帝国のみならず国々を渡り歩いていたので、各国の冒険者ギルドから全ての情報を引っ張ってこなければ追跡できない。もちろんギルドが易々と情報を渡すはずもないので、そこは帝国にも分からなかったはずだ。
だとしてもクグトフルムに来てからは別だ。
聞き覚えのある単語があったようで、エフレインは目を見開く。
「だが、クグセ山奥地でパーティーメンバーに裏切られ、死にかけているところを、クグセ山の女王に拾われた。
そして、ルシェラという名を……彼女が喪った娘の名を貰い、養女となった。
人の名と姿を引き換えに」
もはやエフレインの顔面は蒼白だった。
血の気が引いているのは、出血のせいばかりでもあるまい。
「久しぶり。
立派に……なっちゃったんだな、エフレイン」
「……あり得ない。まさか、そんな……」
戦慄く唇で、エフレインは呟いた。







