≪13≫ 密談
人は魔物の害を防ぐため、壁を作ってその中に住む。
街壁の大きさ……つまり街の大きさは、魔物が来た時に壁を守り切れる大きさとなる。
住人が増えればそれだけ壁を守る衛兵も増やせるわけだが、それでも魔物に襲われることを前提とした城郭農村に比べれば、都市は人と建物をコンパクトに詰め込んだものになりがちだ。
だが、悪名高き可動街壁都市ラザは違う。
本来の街壁は街の半ばほどに存在し、その外に無秩序に建物が並び、街が広がっているのだ。
それら、街壁の外の『無法街』は、住民たちが勝手に作った『私設街壁』や、軍用の防壁みたいなもので継ぎ接ぎ状に囲われ、一応守られていた。この壁は、無法街に建物が増えて人が増えれば外へ動かされ、建物が整備されれば内に動かされる。
鉄鉱に近いラザは工業都市だ。
仕事があれば、人は集まる。
壁の中に住むほど金の無い人々が、それでも仕事にありつくため、壁の外に住み始め……
その結果が、この混沌の街並みだった。
背の高い建物ばかり見慣れた人々にとって、低い建物が延々と並ぶ無法街の光景は、実に興味深く映るものである。
壁の中のホテルのてっぺんから見下ろして眺める無法街は、他ではなかなか見られない壮観だった。
ただ、そういうものを見に来る人々は、もちろん自分の足で無法街に踏み入ろうとしない。
無法街の住人には、余所者を歩く宝箱だと思っている奴も多く、挨拶代わりに剣を突きつけて財布を奪っていったりするからだ。
こんな街で、外交部の官僚が賓客を案内する宿と言えば、当然ながら壁の中のものだ。
ルシェラたち一行は、『玄武楼』なる名のホテルに宿泊することになった。実際ここは、壁の中の宿でも一際格が高く、唯一の選択肢と言えるだろう。
その、地下一階トイレの一番奥の個室にルシェラは居た。
便座の蓋は開けずに、椅子のようにそのまま座る。もちろんパンツも下ろしていない。
「居ますか?」
『ああ』
本当にこれでいいのか半信半疑に思いながらルシェラが声を掛けると、背後の壁から返答があった。
イヴァーだ。
「よりによってトイレって……」
『合理的だろ? 大勢の中から一人だけ抜けて、しばらく帰ってこなくても怪しまれねえ場所だ。
この個室は、中の音が外に漏れねえようにしてある。ここでいくつも血生臭いドラマが生まれたんだぜ』
ルシェラは旅行に出る前に、ここでイヴァーと話すことを打ち合わせていた。
それは良いのだが、トイレの個室が密談の場として設えられているなんて聞いた時は、唖然としたものだ。
『安心しろ。このホテルは、俺の……ダチ公か? うん、まあ、そういう奴の息が掛かってる。支配人から、調理場の下働きまでな。
「第七」だろうと付け入れねえよ』
「ダチ公って……」
『良い奴だぜ。俺にとっては』
無法街は、犯罪組織の巣だ。
これほど人が集まり、金が集まり、官憲の目も届きにくい場所が他にあるだろうか。彼らには最高の住処だろう。
……そして、無法街にそれだけの勢力があるというのに、たかが街壁如きで犯罪組織の浸潤を止められるだろうか。壁の内側のお上品な街も、犯罪組織と無縁ではなかった。
征服地はマルトガルズの侵攻によって、社会の表も裏も、支配の構図が塗り替えられた。
対して、古き王国の領域であるこの地は、裏社会も歴史ある犯罪組織によって牛耳られている。その内実は複雑で根深く、きっと皇宮にすら把握し切れていない。それこそ、頭の先まで浸かっていた者でなければ。
そこにはイヴァーの人脈があった。
「まず聞きたい事があるんですが、ガイドとしてわたしの幼年宿舎の友人が寄越されたのは偶然ですか?」
『マジ? 俺も初耳だわ』
今回の旅行で最も予想外だったのは、エフレインの存在だ。
マルトガルズに入ってすぐ、イヴァーと通話符で話したときにも、その情報は出なかった。
これはいかなる陰謀か。イヴァーなら裏の事情を知っているかとルシェラは思ったが、返る答えは苦々しげだ。
『言っとくが俺だって、「第七」の機密文書読んだり、皇宮の中の内緒話聞いたりはできねーんだからな? 小さな動きの意図までは分かんねえよ。
だがその上で言うなら、ただのクソみてえな偶然だと思う』
「やっぱり……そうですか」
『一応、そいつの事は調べとくか』
「お願いします」
竜命錫を止めるという目標からは外れるので口には出さなかったが、ルシェラは少しだけ期待していた。
かつて友であったエフレインが、いかなる道を歩んで今日に至ったか、その事が分かりはしないかと。
『さてこっちの話だ。
旧王国諸侯は皇宮からの厳命を受け、戦支度を始めた。
グファーレ戦線に出してない予備戦力を掻き集めてる』
単刀直入なイヴァーの言葉に、ルシェラは一瞬、10度くらい体温が上がった。
「狙いはわたしですか」
『だろうな』
「かなり無理をしてる印象ですが……」
『残された力を絞りに絞って軍を動かしてる。
ここで躓いたら旧王国諸侯はしばらく動けねえだろう』
「どっちにしてもウィーバー宰相には好都合……か」
ルシェラも皇宮での、そしてマルトガルズ国内の対立の構図は承知している。
旧王国諸侯にとっては進むも地獄、退くも地獄だ。
それでも戦うしかない。ルシェラも、彼らも。
『「慧眼の渦嵐」は、今もゆっくりとグファーレ戦線方面へ進んでる。
マルトガルズの竜命錫が大集合してる戦場に、こいつを到着させるのは絶対にヤベエ。
このルートなら、グファーレが手出しできない戦線後方にまずぶつかるわけだからな』
「鎮めた瞬間、奪われる前にわたしが持ち去る、という事になりますよね。
……ママは傀儡として付いてきてるからいいとして、モニカは……」
『竜命錫を使わせろ』
モニカをどうやって逃がすか。
という事をルシェラは言いたかったのだが、イヴァーは斬り伏せるように一言、返した。
『そうしたくねえのは分かる。だが、敵を侮るな。
予備戦力とは言え、こないだのアンガス侯爵軍より何倍かは厄介な相手に、お前は対処できるか?』
イヴァーの言い方は淡々としていた。
情を排した単純な計算で、それはただの戦術的な分析だ。
楽観材料としては、クグセ山北の戦いと違って、侵攻を防ぐのではなく逃げれば良いのだという事。
悲観材料としては、周辺諸侯の連合軍を相手取るのだという事。そして、相手は『対ルシェラ』を想定した布陣だろうという事。
もしモニカが竜命錫を使ってくれるなら、大きな助けになるだろう。
モニカ自身、おそらく最初からそのつもりだ。彼女の気性からすれば、その程度の覚悟はしているはずだ。
だとしても戦わせたくないと考えるのは、勝手な気遣いなのだろうか。
「思いつきですけれど……
完全に『慧眼の渦嵐』を停止させる本番の前に、何度かフェイントを掛けるというのはどうでしょうか?」
『良さそうだな。そこは好きにやってくれ』
少しでも状況を良くする手が無いか、ルシェラは必死で考えていた。
モニカの力を借りずに済む状況になるなら、その方がいいから。
「……ところで、東の戦場で何か起こったらしいって聞いたんですが、それは」
『来たか……』
イヴァーが呟く。少しうんざりした様子で。
それはルシェラへの応えではなかった。
『巻き込んで済まねえ。
情報料だと思って付き合ってくれ』
「えっ?」
荒々しく何かを叩き壊すような音が階上から響き、同時に悲鳴が降ってきた。







