≪12≫ 小休止
世の中には、永遠に落石の発生し続ける山というのが、結構存在する。
物理的に考えたらおかしな話で、いつかは山が無くなってしまいそうだが、あるものはあるのだから仕方がない。
谷底に岩が溶けて消え、山の一部に還り、また降ってくるのだともいうが……それを聞いたカファルは首をかしげていたので、仮説としても怪しいかも知れない。
そんな山の中でも、人は住まうものだ。
『生きた』山は例外なく肥沃な土地で、力ある作物がよく育つ。
当然ながら相応の困難は付きまとうが、それでもどうにか対処法を生み出してしまうのが人という種であった。
まるで金庫のように堅牢な馬車は、岩山から切り出した道を走っていた。道はそれなりに広いが、左側は谷底で、右側は切り立った崖で、しかもその崖上からは次々と落石が発生し、それらは次々に道を横切って谷に転げ落ちていた。
堅牢な馬車には、やはり堅牢な屋根の付いた、小さな二階席がある。
そこには、ねじくれた杖を持った男が座り、ひっきりなしに岩の転がり落ちてくる進行方向右側の崖を睨んでいた。
「落石!」
「落石!」
御者と、二階席の『岩番』が声を掛け合う。
このまま進めば馬車を直撃するルートの落石があるのだ。
『岩番』は、それを見定めて杖を振るう。
これは『ノームの左手の杖』というマジックアイテム。土や石の形を自在に変えるアイテムで、冒険者たちもしばしば使う。
杖から迸る光は、狙い違わず落石を穿ち、砂埃に変えて風に散らした。
「派手だなー。これが日常なんだ……」
格子付きの、開けられない硝子窓から外を見て、ルシェラは感嘆する。
岩を砕いた際の砂埃を吸い込まないよう、馬車は機密性が高い。
客室と御者席、及び露出した二階席の間は厳格に隔てられている。
さらに防塵のため、カラスの頭のような仮面が、人数分用意されていた。御者と岩番はこれを着けているのだ。
客室内のルシェラは、特に仮面を着ける必要性を感じなかったが、半端な馬車だと客室の中も土埃まみれになるので、これが必要になるそうだ。
カファルは奇妙な仮面に興味を惹かれたらしく、表情の読みがたいカラス頭で席に着いていた。
モニカも最初はカラス仮面を観察していたが、今はちょっとつまらなそうに、窓から遠く、崖の反対側を見ていた。
ルシェラはそれが、気になった。
「どうかした?」
「なんでもない。
慣れない山道で、ちょっと酔ったんだと思う」
「嘘つかないで」
普段より少し、硬くて大きな声が出た。
モニカの言葉が嘘に聞こえた。
同時に、彼女の言葉が嘘だったらどうしようという焦りが、ルシェラを急き立てていた。
揺れて不安定な室内でも、ルシェラは確と立っていた。
モニカの前に、碧空の目を覗き込んで。
「……ごめん」
するとモニカは、視線の圧力に負けたようにちょっと目を逸らして、意外なことに謝罪の言葉を口にした。
ルシェラは、静止した。
「何よ」
「謝るんだな、って……」
「私の事なんだと思ってるの」
モニカは憮然とした様子だったけれど、今までが今までなのだから仕方ないと、ルシェラとしては主張したい。
「馬車を止めてください。
ちょっと治療をします」
賑やかに岩が転がり落ちる山道の、その途上にて馬車は止まった。
ルシェラとモニカは馬車を降り、儀式を始める。
モニカの周囲で水が舞い、締め固めたように硬かった道が泥濘と化していった。
この世界の法則の一部、『水』の理をルシェラが操り、流れを作り出しているのだ。ルシェラが流れを作ることで、他の流れは塗りつぶされ、消える。
『慧眼の渦嵐』がモニカを呼ぶ声が……モニカの首に掛かっていた縄が、一時、断ち切られる。
「落石!」
「大丈夫です」
馬車と二人を直撃するルートで転がり落ちてくる岩一つ。
だがそれは、馬車に届く遥か手前で磨り潰された。
川に流れた岩が、海に辿り着く頃には砂礫と化しているように、あり得ざる速度で摩耗して、やがて泥跳ねのようになって崖の染みになった。
「なんで調子が悪いって分かったの?
そんなに顔に出るの、私?」
「ってわけじゃないけど……」
宙に渦巻く水飛沫の中。
髪が濡れるのを気にして、手で押さえながら、モニカはルシェラに聞いた。
「身体が辛いのに平気なフリする人、見てたから。
本当はどれくらいキツいのか、なんとなく分かるし……そういうの、見てて辛いんだ」
平気なフリをする理由は、きっと二人で違うのだろうけれど、それでも通じる部分があった。
ジゼルは死に至る呪いの病を抱えていたのに、泣き言を漏らしたりはしなかった。彼女は最期まで毅然としていた。
それは、もしかしたら彼女の意地だったのかも知れないし、全てを受け容れたからだったのかも知れない。あるいは■■■■■に心配を掛けるまいとしたか。
それを思い出してルシェラが悲しくなるのは、結局自分は、そこで頼ってもらえるほどの余裕が無かったという無念ゆえだろうか。
「ルシェラ。
こういうときに昔の女の話すると嫌われるらしいわよ」
「ビオラさんに何か悪い本読まされた?」
カラス仮面のカファルが延命薬を持ってきて、モニカはそれを飲みながら、相変わらず憮然とした表情だった。
* * *
「でゅくしっ!」
「……個性的なくしゃみだな」
詠唱の合間にビオラがくしゃみをして、ティムは苦笑した。
「いやいやこれは間違い無く術師の直感で誰かが私の噂をしているんでしょう」
「俺らの噂話なんて、一年中どこかの誰かがしてるだろ」
「違いない。特に今はな」
言いながらティムは、重厚な鎧を鳴らして一歩踏み込み、旋風の如く大剣を振るう。
巨人用のナタみたいな、馬鹿馬鹿しい大きさの大剣は、人に似た形をしたモノを二つまとめて、胴部両断した。
斬られたモノたちは、床にこぼしたコップの水みたいに、飛沫を散らして消え去った。
そこに襲い来るは、水の剣の一撃。
水が剣の形を成して、振るわれているのだ。それは固体ですらない、ただの水に見えるのだが、斬れ味は凄まじい。生半可な防具では、着用者ごと真っ二つにするほどだ。
ティムは最小限の動きで、鎧の肩当ての最も厚い箇所でそれを受けた。アダマンタイト製の超重量級鎧は、うっすら傷ついただけだ。
「旅行って体で出かけてるわけですけど……モニカ楽しめてるかなあ」
「なんだ急に」
「急に気になったんですよ。いえずっと気になってると言っても過言ではないです」
「まーなあ。あいつ、ああ見えてすげえ真面目で真っ直ぐだし」
ウェインは地面を擦るように回転し、前転し、そこから足のバネだけで宙返りをすることで、致命的な攻撃を全て躱した。
さらに、空中で袖からナイフを抜き出して、四本同時に擲つ。
それらは四体の『敵』の胸に、それぞれ突き立った。
『敵』はいささかもダメージを受けた様子に見えず、ナイフが胸に突き立ったまま、またウェインに向かって来る。
だがウェインが着地し、二連続後転して距離を取りつつ跳ね起きて、指を鳴らすと四本のナイフが輝いた。
眩い電光が、ナイフとナイフの間を駆けて結び合った。
「よくお分かりで」
「世界全部目がけて、すねてるだけだろ?
あんな人生でよくまあ、すねるだけで済んだと思うよ。実際な」
稲妻が駆け抜けた後には、もはや『敵』の姿は無い。蒸発したかのように。
ウェインはナイフを蹴り上げて、落ちてくるナイフを袖で拾った。
「ルシェラに任せよう」
「……それしかないですし信ずるには値しますね」
「ま、俺らはやれる事やっとくだけだ。
もし『慧眼の渦嵐』がグファーレまで来ちまったら、その時は……」
三人は後退して互いの距離を詰め、背中合わせになる。
「一緒にグファーレ観光でもしましょうか」
「おっ、いいねえ。俺、滝登りツアーはいっぺん行っときたかったんだ」
「お前らなあ」
流石に呑気すぎる二人の言葉に、ティムは溜息交じりで苦言を呈した。
「わーってるよ。しっかりお出迎えの準備をしとこうぜ」
ルシェラを除く“黄金の兜”メンバー三名。
彼らは、既にグファーレ連合入りしていた。
現在地はグファーレの西端。つまり、マルトガルズとの戦場だ。
三人は『敵』に囲まれていた。
マルトガルズの兵などではない、もっと異質で理解しがたい何かに。
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■』
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■』
それは人の形をしていて、人語とは違うが何らかの法則性を持った声を紡いでいた。
透き通った水の塊が、人を象っていて、その手には剣の形の水を持っていて、そして襲ってくる。
それらは、会話して連携しているわけではない。
ただ、三人に向かって何かを訴えていた。
悲痛に。痛切に。
「しかしこいつら、本当に何なんだ?」
「さあ。
似たような魔物や精霊なら知っていますがむしろゴーレムのような印象を受けますね。
いずれにせよ興味深い」
戦場は今、大混乱に陥っていた。
謎の水人形がどこからともなく現れて、誰彼構わず襲い始めたのだ。
しかもこれが見かけによらず、強い。数も多いし、人を殺すことしか考えていない。
両軍ともに戦争どころではなく、軍同士の交戦は自然に停止され、必死で水人形の相手をしている状態だった。
その対策には冒険者も駆り出されており……
“黄金の兜”はグファーレ軍に雇われる形で、それに参加した。
冒険者は傭兵ではなく、原則として戦争には参加しないものだが、魔物退治を引き受けて結果的に軍に貢献することはままあるのだ。
「確かなのは私たちならば倒せるということです」
ビオラが杖を振ると、青天に霹靂が轟き、天よりの矢となって水人形を消し飛ばした。
水人形の発生はドラゴンか、あるいは竜命錫絡みの事態であろうと、三人は見当を付けていた。
そして『慧眼の渦嵐』は現在、こちらへ向かっている……
何らかの符合を感じ、“黄金の兜”はグファーレへ向かったのだ。
何も起こらず、自分たちの仕事がただの出張になる事を、三人は祈っていた。







