≪10≫ 余暇
マカンタ侯爵領、領都シムール。
その街を遠目に見れば、まるで交易商人の馬車の荷台に積まれた荷箱みたいに、不揃いな大きさの箱がみっちり並んでいる。
街を囲う壁も、その中に並んだ建物も、砂の色。砂漠の砂を魔法で固めただけの建造物。ところにより防水用の漆喰や、スライム溶液が塗られ、アクセントとして色付いていた。
簡素に過ぎるようにも思えるが、温度変化と砂嵐に強い建物なのだ。それに術師が一人居れば改築も修繕も自在だ。
そびえ立つ高層土壁ビルディングの合間に、うっすらと砂を被った道がある。
大通りは充分に広く、街の入り口で砂漠鯱の橇から荷揚げされた物品が、馬やラクダに運ばれていた。セトゥレウの街と違って、ここには運河が無いのだ。
ビルの軒先にはテントのように布が張られている。これも砂嵐が来れば屋内に取り込まれるのだろう。
「砂漠の大都市って、こうなるんだ」
「街中で水が見えないの、やっぱり変な感じ」
「セトゥレウからお越しの方にとっては、そうでしょうね。
水は貴重ですし、基本的に地下水道を通っているんです。
噴水は贅沢の証、富と力の象徴です」
本人も砂漠出身ではないのだから、あくまでテキストから得た知識だろうが、観光ガイドとしては及第の説明をエフレインはした。
砂の中を泳ぐデザートオルカは、道を固めてある街の中に入れない。
街の入り口の『砂港』で、デザートオルカが牽く一軒家みたいな大きさの砂漠橇を降りて、ルシェラたちはシムールの街に足を踏み入れた。
往来の人々がルシェラたちに注目する。
噂が広がっているのか、いないのか。仮に正体を知らなくても、注目に値する程度には目立つだろうから、なんとも言えない。
「今宵はこちらにご宿泊で?」
「はい。宿の手配をお願いします」
「マカンタ侯からは領城にお招きしたいと申し出がありましたが……」
「それは、お気持ちだけ頂きます。機会があればまた、いずれ」
街の中心には砂色の城壁があり、その向こうには全面漆喰塗りの白亜の城がそびえ立っていた。侯爵居城だ。
お招きに預かれば、民間の宿に迷惑を掛けずに済むわけだが……流石に、さしたる理由も無く敵の懐へ飛び込んでいく気にはなれなかった。
街は賑わっていた。
人も多いが、それだけではない。ルシェラが見るのは、たとえば店に並ぶ商品。鍋やフライパンと一緒に、錬金術で使うようなガラス棒まで陳列されているのを見て、ルシェラは街の力を感じた。小さな街では、誰もが必要とするような商品ばかり店に並ぶものだ。ここでは違う。
あくまでも諸侯の領都に過ぎない街。しかし、面積も人口も街の力も、セトゥレウの王都を上回っているようにルシェラには思われた。
「見てよ、あれ。砂漠の砂なんか売ってるわ」
モニカが指差した店は、『土産物』と書いた看板を掲げていた。
店先の棚には、奇妙なオブジェや絨毯類と一緒に、可愛らしい小瓶に入れた砂が並んでいた。中身はどう見ても、街を出ればいくらでも手に入る砂だ。
「でもそれ、すごくお土産に良い気がする。置物とかよりも、旅行で見たものの思い出って気がするし」
……そして、それは一つの店だけではなかった。
土産物店が周囲にいくつもあって、その店先には当たり前のように砂を入れた小瓶が並んでいた。
「これ、全部、お土産物を売ってる店……?」
驚いているのか呆れているのか、やや微妙な調子でモニカは呟く。
「この街の中心部は歴史も古く、人竜戦争期の建物も残っています。
観光客向けに景観保護も行っている場所で、お土産物などを売るお店も多くありますね」
あくまでテキストから得た知識だろうが、観光ガイドとしては及第の説明をエフレインはした。
確かにルシェラの周りには、砂でも木でもない奇妙な材質の建物がいくつかあって、それを興味深げに見ている人々の姿があった。
これらの建物が元々何であったか、見るだけでは分からないが、少なくとも今は人竜戦争の記録と考証を展示する考古学資料館になっているらしい。建物自体が資料なのだから、まあ適当だろう。
「観光客っぽい人が結構居ますけど、今ここに来るのは、ほとんど国内の人ですよね?」
前線から離れた街と言えど、ここはセトゥレウが占領しているアンガス侯爵領の隣。
それでも恐れず観光旅行に来ているのかと、ルシェラは少し、気になった。
「マルトガルズは、庶民の生活水準も高く、観光旅行に出かけられる者も多いんです。
国内だけでも数多の観光地が存在しますし」
話が少しズレた。
征服地とは言え、マルトガルズの出身なので、ルシェラもそれくらいは知っている。
幼年宿舎の子どもたちには、旅行など見果てぬ夢だったけれど。
「別に今時、旅行に出る人なんて珍しくもないでしょ」
国自慢のニオイを感じたか、モニカはエフレインの言葉を冷たくあしらった。若干気まずい沈黙があった。
「ガイドさんは、休みの時に旅行に行ったりしますか?」
ルシェラは話題を変えた。
旅行。言うまでもなく贅沢だ。
幼年宿舎の生活に不自由は無かったけれど、贅沢をする余地は無かった。かつて同じ籠のパンを食べた友人は、爵位を得て禄を食む身の上となり、余暇に旅行にでも行けるようになったのだろうか。
エフレインはルシェラの質問に、苦笑いで返す。
「行きたい……と思うことはあるんですけどね……
休みの日も勉強に充てたり、里帰りをしてみたり、でして」
「誘ってくれる友だち、居ないんだ」
「モニカ」
外れていたら失礼だし、当たっていたら余計に言ってはいけない事だ。
ルシェラは流石にモニカを諫めた。
* * *
半年前。
エフレインは帰りがけ、同僚のハルから週末のキャンプに誘われた。
「済まん、どうしても図書館に籠もりたいんだ。
来月からロドミア王国の案件に関わるから、それまでにロドミアのことを勉強しておきたくて」
「またそれかよ」
エフレインは断った。
その返答をハルは、最初から予想していたようだった。
官僚は、所領無くとも爵位を持ち、国から俸禄を賜る。
まだ若手のエフレインたちも、世間一般の労働者と比べたら、遥かに裕福だった。余暇に金の掛かるレジャーを楽しむ者も多い。
エフレインとて、美味いものを食ったり、どこぞへ遊びに行くことには興味があった。
だが、それは後回しになりがちだった。
「エフレイン。忠告するが、俺たちだってただ遊んでるわけじゃない。
人縁を作るのも官僚の仕事だぞ」
ハルが言うのも、一理あった。
政治や行政というのは……くだらない話ではあるが……何が正しいかではなくて、人と人の関係を歯車として動くのだと、エフレインも分かってきていた。
その意味で、『付き合いが悪い奴』は不利だ。遊びに行くことは無駄が多い行動だが、それでしか得られない力がある。
「分かるよ。でも、これは優先順位の問題だ。与えられた仕事をまず、完璧にこなしたい。
それは帝国のためにも悪い事ではないだろう?」
「帝国のため、ね……」
ハルは、苦い顔をしていた。
気まずいような。やりきれないような。そんな顔を。
「なあ、もうちょっと肩の力抜けよ。
お前が週末に旅行に行ったくらいで、マルトガルズは傾かねえって」
「違う、そうじゃないんだ。俺は俺が持つ全てを帝国に捧げたい。
帝国は……俺の家族だから……」
* * *
「そうですね……今度、大学の友人でも誘ってみようかと思います。
忙しさにかまけて疎遠になってしまいましたが、良くないですよね」
モニカの言葉をどう考えたか。
表面的には特に気分を害した様子も無く、エフレインは頷く。
「すみません、こちらでしばらくお買い物をするのでしたら、その間に少し席を外してよろしいでしょうか。領側の担当者と連絡を取って参ります」
「大丈夫です、どうぞ」
そして通話符を手にして、小走りに去って行った。
「なんか、すぐに死にそうな人ね」
「えっ」
エフレインの背中を見て、モニカが呟く。
軽く雑感を述べたような言い方だったのに、まるで数式の証明みたいな説得力を感じて、ルシェラはどきりとした。
「それってどういう……」
「ん? ただの感想」
モニカはどうでも良さそうに、言う。
本当にそれだけなのだろうか。
違うと、ルシェラは思った。モニカはいつも周囲の人々を注意深く観察しているけれど、その感想を述べることはあまりしない。わざわざ言及するからには、彼女が特別な関心を持つだけの理由があるはずだった。
だからって、彼女が話したがらないことを問うても、鬱陶しがって何も答えてくれないのだとルシェラは承知していた。
「そんなことより、これ、飲む?」
モニカは魔土器のコップに入ったお茶を二杯持っていて、その片方をルシェラに渡してきた。
その辺で売っているものを買ったようだ。
「……あ、ありがと」
脈絡無く気遣われて、面食らいつつルシェラは受け取った。
琥珀色の不思議な液体を飲むと、奇妙な苦みと甘味が同居するお茶だった。
「不思議な味……これって何?」
「さあ」
「『さあ』?」
「ありがと。少なくとも死ぬほどマズいわけじゃないのは分かったわ」
まだ口を付けていなかったらしいモニカは、ルシェラの反応を見てからお茶を飲み始めた。







