≪9≫ 砂漠の夜
砂漠の夜は寒い。
宿の客室には暖炉があって、そこでは一晩中、暖炉石が燃えていた。
薪木も貴重なので暖房用のマジックアイテムを用意する方が安く付くのだろう。
眩しくない程度の、ぼんやりとした明るさ。眠気を誘う炎が、ずっと部屋を照らしていた。
宿を借りきっている状態だが、ルシェラたちは部屋を分けなかった。
何があるか分からないから一緒に寝ていた方が、咄嗟の時に即応できるという判断だ。
部屋には一人用ベッドが二つ。
隣の部屋からベッドを持ってこようかと思ったのだが、宿の廊下が狭すぎて窓の外からベッドを入れるしかなかったので断念し、ルシェラとカファルでベッドを一つ、モニカが一つ、という配分になった。
そういう配分だったのだが。
「……モニカさん?」
「寝れない」
カファルに抱きしめられたまま眠っていたルシェラは、日付も変わった頃、傍らの物音に気付いて目を覚ました。
ベッドの脇にモニカが立っていた。
モニカは何らかのマジックアイテムらしい、奇妙に光沢あるネグリジェを着ていた。ベッドの中で何度も体勢を変えていたか、美しい金髪は鳥の巣みたいに乱れていて、蒼い目は据わりきっていた。
「体調でも……」
「悪くない、はず」
「じゃあ枕が変わったら寝られないとか?」
「それだったら『岩トカゲ館』に来た時、寝れなくなってるし」
むっつりとした調子で言って、モニカはルシェラからカファルの手を剥がし、無理やりに引き起こした。
「ちょっといい?」
「え、あの、ちょ」
そして、戸惑うルシェラを自分のベッドに引きずり込んで、丁度カファルがそうしていたように抱きしめたまま、毛布にくるまった。
「私、お姉ちゃんと一緒に寝てるでしょ。
その時、いつもこうやってるから……もしかしたら変な癖がついたのかも、って」
抱き枕扱いされたルシェラは、どうすれば良いか分からず、されるがままだった。
カファルの喉を枕に寝ることはしょっちゅうだし、彼女の傀儡に抱きしめられてベッドに寝ることも、ルシェラはよくある。
だが、自分と同じくらいの大きさのものに抱きつかれた状態で寝るのは、初めてだった。
二人でくるまった毛布の中は、温かい。
カファルの熱は、炎の温かさだ。太陽にも通じる、大きく力強いものだ。
対してモニカは……命の温かさ。それはカファルに比べてみれば、一吹きで消えてしまいそうなくらいに心許ない、灯火の熱だった。
「どう……です?」
「…………くぁあ……」
モニカは猫のように精一杯口を開けて、大あくびをした。
「正解かな……」
生きた抱き枕の効果で、しっかり眠気を催したらしい。
「不思議ね。『屋敷牢』に居た頃はずっと、独りでも平気で寝てたのに」
「……平気じゃなかったんですよ、多分」
ルシェラはやり場の無い、粘り着くような怒りを腹の底に感じながら、優しく言った。
平気であるものか。
モニカは気まぐれでワガママを言っているような調子だが、そのか弱い手でしっかりとルシェラにしがみついているではないか。崖っぷちで身体を支えているかのように。この手を離せば心が死ぬのだと、身体が分かっているかのように。
貴族たちの意地の張り合いが、この罪無き生贄をどれほど苦しめ傷付けたか。それをルシェラはあらためて思い知った。
「そっか……」
モニカは目を閉じ、小さく呟いた。誰に聞かせるでもなく。
「ねえ、ルシェラ……
あなたどうして馬鹿丁寧な話し方なの?」
そしていきなり変なことを言った。
「ば、馬鹿って、そこまでですか?」
「私にもパーティーのメンバーにも、誰にだって丁寧語でしょ。
例外はママに対してくらいじゃない」
「だって、マネージャーってそう喋るものですし。
交渉も仕事ですから、それを円滑に処理するためですし……」
弁解するルシェラに、返事は無い。
「……………………」
「モニカさん?」
「ふへ?」
三秒前まで起きていたはずのモニカは安らかに寝息を立てていて、ルシェラに呼びかけられて間抜けな返事をした。
「ねてない」
「あ、あの、眠いなら寝ちゃった方が」
「ねむくない……ぜんぜんねむくないし……」
赤子がむずがるようにモニカは首を振る。
もう瞼が持ち上がらないらしく、目を閉じたままで。
「嫌なの……あの『屋敷牢』、みんな私を監視してるみたいで……
言葉だけは丁寧に……でもそんなの……仮面みたいな……」
少し震える言葉で、モニカは言った。
彼女が囚われていた王都の屋敷は、定期的に使用人が入れ替えられていた。誰もモニカの味方にならないように。
王宮に雇われるほどの者たちだ、職務には忠実であろう。それがモニカの監視であったとしても。
身辺は、表面的には完璧に接してくる、敵ばかり。
なるほど、それは窓の無い石牢にでも閉じ込められたような生活だ。
ルシェラも、そう言われてみれば少し反省する。
どう接すれば良いか分からず、当たり障り無い選択肢として丁寧語を使っていたが、ともすれば相手を理解する努力の放棄でもあろう。
「そっか……そうだよね。
分かった。あんまり丁寧なのはやめて、もっと……
ママと喋るのと同じように、話すように、する、かな」
「んー……そっちの方がいい……ちょっとかわいくて……ふにふにした……」
もはや寝言と変わらない、ろれつが回らない口調でモニカは呟いて、それきり完全に寝入ってしまった。
『ルシェラ。私もそっちに行っていい?』
「うん」
じっと様子を見ていたカファルが、ベッドから出て、二人の方にやってきた。
そして二人を丸ごと抱きしめる……と言うより、獣が身を丸めるように、二人を毛布の塊ごと抱え込んで横になった。
「狭いね」
『……うふふ、そうね』
本来なら一人用のベッドは、ぎゅうぎゅう詰めだ。ルシェラは壁とモニカの間に挟まれていた。
砂漠の夜は寒い。
しかし、ここは温かかった。
* * *
翌朝。
『火』の性を持つ土地だからか、ここは日中と夜間で、天地に満ちる力のありようも大きく変わる。日の出の時間にはルシェラは元気が溢れて、もうじっとしていられなかった。
ルシェラはカファルと一緒にそっと寝室を抜け出して、持参した百景本を読み直していた。するとそこに、まだ眠そうな顔で、モニカが起き出してきた。
「おはよう、モニカ!」
ルシェラが挨拶をすると、モニカはしばらく、じっと何かを考えていた。
「……なんで急に馴れ馴れしくなってるの?」
「えっ」
モニカは、空を泳ぐ魚か、はたまた木に実る兜でも見たような顔だった。
「ご、ごめんなさい。なら、ちゃんと……」
「あー、いいわ。何か知らないけど、永遠に丁寧に話し掛けてくるの、どうかと思ってたし。
着替えてくるから、朝ごはんが来たら先に食べてて」
「うん……」
なんでもないように軽く言って、モニカはまた寝室に引っ込んでいく。
ルシェラとカファルは顔を見合わせた。昨夜の出来事は、夢でも幻でもない、はずだった。
*
ベッドに飛び込んで毛布を被り、モニカは頭を抱えていた。
「夢じゃなかった、夢じゃなかった、夢じゃなかった、夢じゃなかった……」
ルシェラに抱きついた途端、堰を切ったように眠気がやってきて、その先はもう自分が何を喋っているのかも曖昧な状態だった。
朝になってから切れ切れの記憶を繋ぎ合わせてみたのだが、昨夜の自分を呪いたい。
夢か現かも分からなかったが……現実の方だった。
「あぁあ、もう……頭溶けてた? 何よ、もう……うぐぎぎ……」
何もかも本心だ。
問題は、ただ恥ずかしいという、それだけの事だった。
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