≪8≫ 企み
感情と思考の大雪崩が、ルシェラの頭の中で爆発した。
エフレイン。
群れることが苦手だった■■■■■を何かと気に掛けていた……友人。友人だろうか? 少なくとも■■■■■は、誰か友人の名を一人挙げろと言われたらエフレインを選んだだろう。
応用学校を出た後、エフレインは旧ロッディル王国にある名門大学に入った。その先の事を■■■■■は知らなかった。二度と会うことは無いのかも知れないが、どこかで幸せになってくれとは思った。そんな関係性を友人と呼ぶのなら、エフレインは■■■■■の友人だった。
そんな彼が、ドラゴンとの対話を任された若手官僚として、ルシェラの前に居る。
最初にルシェラが考えたのは、『はじめまして』という挨拶の意味。
冗談でも皮肉でも建前でもなさそうだ。
「……はじめまして、ルシェラです。
お話の前に一つ、お願いがあるのですが、よろしいでしょうか」
「はい、私に可能なことであれば」
にこやかにハキハキと応じたエフレインに、ルシェラはジゼルの指輪を取りだして見せた。
「この指輪は身につけた者に、ドラゴン語の能力を付与するマジックアイテムです。
これを着けてドラゴン語で先程の挨拶を繰り返してください」
「ドラゴン語で……?」
「ドラゴン語は嘘に向かない言葉です。
あなたが信用に足る人物か、最初に確認させてください」
ルシェラは嘘をついた。
信用できるかエフレインの心の内を探るのは、ルシェラにとって不自然ではないだろう。だが狙いはそこではなかった。
「よろしいでしょう」
エフレインはほんの一瞬躊躇った様子だが、すぐに、少し気負った様子で承諾する。
指輪を付けて様子を確かめると、見事に流暢なドラゴン語で言葉を発した。
『はじめまして。私は帝国外交部所属、エフレイン・クラウベルと申します。よろしくお願いします』
ドラゴン語は重層的な意味を孕み、言葉の意図やニュアンス、裏にある考えまでも響きとして伝える。
ルシェラがエフレインの言葉から感じ取ったのは、自信や自負、誇らしさと気負いだ。
――嘘は無い。エフレインは何も嘘だと思っていない。
少なくとも彼は、ルシェラと『はじめまして』だと思っている。
『なるほど、これがドラゴン語……
ええと、私は皆様のマルトガルズ旅行の間、皆様が異境の地で不自由なきよう、案内人を務めるべく皇帝陛下の名の下に参りました。
お手伝いさせていただけますでしょうか?』
次の言葉からは欺瞞を感じた。
ただそれは、相手のためと言いながら利用する手段を探す、謂わば『外交的なお為ごかし』のレベルだ。
言葉そのものが丸ごと嘘だとか、裏に敵意を隠しているといった風情ではなかった。
――そりゃそうだ、エフレインの役目は本当にそれだけなんだろう。
同行者を付ければ後々の布石にできるけれど、戦略を練って状況を利用するのはエフレインの仕事じゃない……そして本人も、おそらくそれを分かってる。
エフレインは今、命令を受けてその通り動くだけの一兵卒としてこの場にあり、そして彼自身がそれを理解し、承服している。
ではエフレインに何も教えられていないだけで、帝国側はルシェラの来歴を帝国時代まで手繰って調べていて、■■■■■と同一人物だと気づき、旧知を寄越したのかと考えた。
だがそれは、メリットを感じない。
ルシェラが■■■■■だと分かっているのであれば、『旧友』としてエフレインと再会させ、その縁を利用すればいいのだ。
では偶然か。
これを画策したのが帝国でないならば、さて、天使か悪魔か。
「結構です、ありがとうございます」
ルシェラは、自分自身は人間語で喋り、内心の動揺を隠した。
「合格ですか?」
「はい。
旅行の間、よろしくお願いします」
指輪を返してもらって、ルシェラは自分の側から手を差し出して、握手をする。
――どうしろと。
作り笑顔の裏で、ルシェラはまだ混乱していた。
確かな事は、この大量の夕飯を一人分消費してくれる食い手が増えたという事だった。
* * *
帝都・ディアルマルト。
旧マルトガルズ王国内ではなく、マルトガルズ帝国の中心地に創られた壮麗なる大都市の夜は、その日もまた、長かった。
恐ろしく巨大な皇宮は、外見上はほとんどが繋がり合った一つの建物ではあるが、その実態は一つ一つが他国の王宮に匹敵するような大きさと立派さの、いくつもの建物から構成されている。
その中に、宰相公邸もあった。
その部屋はまるで美術館の一室だった。
壁には帝国中から集めた、著名な絵画の実物が整然と並んでいる。もしこの部屋の真ん中で≪爆炎火球≫が爆発したら、金貨何十万枚分の損失になるかも分からない。
ゴーレムの楽団によって奏でられる典雅な音楽が、聞き疲れしない程度の音量で流れる中、二人の男が、帝国一高いワインを帝国一高いグラスで飲んでいた。
片や帝国情報部長官、ヴィクター・デイン・ニコールズ。
片やマルトガルズ帝国宰相、マヌエル・ウィーバー・ガントレア。
そして二人の前に頭を垂れる官僚が一人。
「ご報告は以上となります」
「大儀であった」
「ご苦労、下がってよい」
招かれざる旅行者に関する状況を、二人に報告していた官僚は、あらためて深く一礼して静かに去って行った。
『ガイド』は幸い追い返されることもなく、『第七』も位置に付いた。
表と裏からの監視態勢。ドラゴンたちが動いたとき、それを止める力はもちろん無いが、すぐに動向を知り対応できる。
目隠ししたまま戦うのは愚か。戦いは見ることから始まる、というのが、マヌエルの考えだった。
ひとまずその準備は整ったと言えよう。
「さて、次の手はいかに」
「もちろん『慧眼の渦嵐』を獲りに行くとも。
だが、全てを賭ける必要は無いな。確実性に欠く」
この帝国で、マヌエルの次に多くの機密情報を知るヴィクターは、マヌエルにとって一番の相談相手だ。
重要な方針を決めるとき、マヌエルはしばしば、ヴィクターと共にワインを飲む。
二人はかつて戦友でもあった。
今でも分厚い手に、若き日は剣を握っていたマヌエル。対するヴィクターは外見も性格も、老獪な狐みたいな男だ。マヌエル・ウィーバー騎士爵配下の魔導兵であったヴィクターは、他者の精神をいじくる魔法の研究に取り付かれ、やがてその軍事利用によって侵略戦争に多大な貢献をした。
「『慧眼の渦嵐』を獲れるなら……帝国はさらに、勝って勝って勝つだろう。
何の問題も無い。家畜は太らせてから食うものだ」
「では、そうならなかった場合のお話を致しましょう」
「目先の作戦は結局変わらぬがな。ははははは!」
カラカラと、公の場では見せぬような笑い方をマヌエルはした。
「今度こそは如何なる罪も無く、竜命錫を奪い、戦争に勝てるかも知れないのだぞ。
ここで戦わぬ者は、名誉無き臆病者。忠実なる王国騎士たちの奮戦を祈ろうではないか」
皮肉だった。
現在、皇宮内で宰相派と皇太子派が対立状態にあるのは有名な話だ。
その構図を少し深掘りすると、征服地で勢力を築いた宰相と、旧王国領で人気が高い皇太子の対立とも言える。
政治層の首を挿げ替え、新たに爵位を得た新興貴族たちによって統治される征服地は、上意下達で動く。その政治機構の頂点にはマヌエルがいる。
一方で旧王国領の領主たちは、一応は帝国の仕組みに従っているものの、我こそ旧臣という自負もあり、忠誠心の在処は帝国よりも皇家と皇族……すなわち、かつて王家であったものに対して。それぞれのやり方で自領を統治してきた歴史もあり、一筋縄ではいかない。リチャード帝の威を借りて権勢を得たマヌエルへの反発もある。
つまるところ、旧王国領の力が削がれて笑うのは、マヌエルだった。
そも、マヌエルは、ジュリアンのやらかしによって敗戦の道が見えた時点で、帝国を割ることを考え始めていた。旧王国領を切り捨ててしまえば、残りは全て思うがままなのだから。
旧王国領で大騒ぎが起こる分には問題無い。そのことで旧王国諸侯の兵が摩耗するなら更に良い。
「旧王国諸侯には、油を最後の一滴まで絞るように、最大限の備えをさせる。
竜の子が『慧眼の渦嵐』を鎮めた、その時こそが勝負。全力で奪いに行く。
奴の力は先日の戦いで示されている……あれをもう一度、やってもらいたいものだ」
「マカンタ侯などは随分と過激に文句を垂れておりましたな」
「占領地への反攻は、私より彼らの方が乗り気だったのだぞ?
それで疲弊したと、今さら文句を言われても……笑いしか出ぬ」
二人は揃って失笑に近い笑みを浮かべた。
帝国の諸侯はグファーレ連合との戦いに軍を提供している。
兵は順繰りに戦いに駆り出され、国全体に戦争疲れが降り積もっていた。
だが旧王国領の一つであるアンガス侯爵領をセトゥレウに占領され、旧王国領の戦意は烈火の如く燃え上がった。後方で休ませている騎士や兵を投入し、占領地に全方位から圧力を掛ける反攻作戦を画策したのだ。
相手には竜命錫があると言えど、一つきり。
竜命錫を避けて一撃離脱を繰り返せば、セトゥレウ如き小国、兵すら足りなくなって戦えなくなるだろう。グファーレとの戦いで経験を積んだ百戦錬磨のマルトガルズ騎士に、セトゥレウの田舎騎士が勝てるものか……
そんな見通しが大勢で、実際マヌエルすらもそうなる可能性を考えていた。
しかしセトゥレウは、グファーレから派遣された騎士たちを参謀としてマルトガルズの戦法を分析しており、まだマルトガルズ諸侯が舐めてかかっていた緒戦で最大の痛手を与えた。
さらには前線拠点の一つが竜命錫使いの奇襲を受けて壊滅したことで反攻の気勢も削がれ、もはや意地と面子のために、占領軍に対して針で刺すような攻撃を続けている状況だった。
そんな中、セトゥレウの竜命錫が暴走して領内を飛んでいるのは、全てをひっくり返して勝利する大チャンス。
この戦いに全てを賭すより他に無く……マヌエルにとっては、どちらに転んでも悪くない、インチキな賭けだった。
「そう言えば……ドラゴン一行の『ガイド』は外交部が受け持ったが、どこの某か聞いておるかね。
誰ぞ、若くて仕事に忠実なのを誂えるという話だったが」
「はい。
名はエフレイン・クラウベルと」
「ああ、『天佑弁論会』上がりの者だな。
野心的でなかなか良かった。ああいうのは、よく働く」
さらりとマヌエルが言ったので、ヴィクターは驚いた顔を見せる。
「ご存知の方で?」
「任官の際に声を掛けた。いつものだよ」
「一度会っただけの相手をよく……」
「それを君のような者が言うかね。
……私は覚えるべき名を覚えておるだけだ。そうして私は成り上がった」
皺深くなった口の端をマヌエルは、にっと吊り上げた。
「愛さぬ者は、愛されぬ。
私は私の力となる皆を……愛しているよ」
そう言ってマヌエルは、ワインのつまみの金箔が乗った焼き菓子を、一度に二つ食べた。
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よりによってこんな大事の日の更新が、ジジイ二人の悪巧みシーンでええんか……?(ちなみに私はこういうシーンが大好きです)







