≪7≫ 邂逅
その日、ルシェラは、こぢんまりした雰囲気の良い宿を一つ借りきっていた。
宿の全部屋を合わせた倍の料金を払い、他の客には金を出して他所の宿に移らせた。
もっとも、金など出さなくても宿泊客たちは逃げ出していたかも知れないが、やっぱりそういうのは良くないだろう。迷惑を掛けるのは本意ではない。軍資金は用意してあるので、金で解決する問題は金で解決すればいいのだ。
この街の建物はほとんどが、涼しい地下室を備えている。
ルシェラが泊まっている宿も例外でなく、地下には食料庫や、盤ゲームと古びたビリヤード台の置かれた小さな遊戯室があった。
――さて。
煙草のニオイが染みついた遊戯室の真ん中に座り、ルシェラは目を閉じる。
そして己の身体に備わった五感ではなく魂の感覚で、この世界を動かす流れに、世界を動かす歯車の音に耳を傾けた。
轟々、囂々。巡るものがある。
その大いなる奔流に比べれば、ドラゴンの力を得たルシェラさえも、大河に投じられた一つの小石みたいなものだ。
その流れの中に、芯のような……いや、パイプだろうか。異質で人工的なものの存在をルシェラは感じ取った。
竜命錫が環境制御を行うための、力の通り道、地脈回路。人の手による、世界の仕組みの改竄だ。
人族国家の領土には、満遍なく地脈回路が通っている。
地脈回路は物理的な存在ではなく、半分は概念レベルの存在だが、物理座標の上では環境が変わりにくい地下に引かれることが多い。
だからルシェラは、少しでも地脈回路に近い地下室で、その存在を感じ取ろうとしているのだ。
――地脈回路が汚染されてる。この距離なら隣に居るのと変わらない。
暴走する『慧眼の渦嵐』は、その名の通りの大嵐となって、ゆっくり北東へ進んでいる。
その力は周辺の地脈回路すら、半ば己のものとして書き換えていた。計画的に維持されていない以上、一時的な汚染に過ぎないだろうが、ルシェラがそれを辿って『慧眼の渦嵐』に触れるには充分だった。
流れを聞いて、感じ、生み出し、割り込む。
力の余波が水滴となってルシェラの周囲に渦巻き、ビリヤード台が飛沫で濡れた。
そして、遠く天から轟く雷鳴。籠もったような響きで、その轟音は地下室にまで届いた。
直後、はしゃぐような悲鳴が地上から聞こえた。この地方では滅多に起こらないだろうにわか雨が、街に降り注いだのだ。
ルシェラは『処置』を終えて、再び地脈回路に意識を集中した。
心臓が脈打つようにどくどくと、力は伝導している。無軌道な力の発露。それは未だ、続いている。
――やっぱり『旅行』にしといて正解か。少しずつやんないとダメだ。
ルシェラは頭を振って立ち上がる。
暴走する竜命錫を沈静化するには、概ね数日間の時間が必要だ。
……それはあくまで竜命錫を竜命錫で沈静化する場合の経験則。ルシェラにとっては聞きかじりの知識だったが、ドラゴンの力で沈静化を行う場合も、やはり同じだった。
ルシェラは『慧眼の渦嵐』を追って移動しながら、沈静化していかなければならない。
地脈回路から伝わる脈動は、音に喩えるなら、まるで耳を引っ掻くような脈絡の無い雑音。少なくともルシェラにはそう感じられた。
力を振りまき、モニカを呼びながら、『慧眼の渦嵐』は飛んで行く。
――何を喋ってる? 何を考えてる? もっと近づけば分かるの……?
* * *
宿は丸ごと借りきったが、ルシェラたちが使っているのは、一番大きな客室一つだ。
全ての部屋に、昼間の市場で見たような複雑な紋様の絨毯が敷かれていて、その上に直接、夕飯の大皿が置かれていた。
「先に食べてるわよ」
「……何この大量の料理」
ルシェラが地下で作業をしている間に運ばれてきたようだ。モニカとカファルは大量の料理を少しずつ取り分けて食べていた。
羊肉の鍋炊き飯、豆のペーストのパイらしきもの、羊乳とその酒、そして砂漠では貴重であろう瑞々しいフルーツの盛り合わせ。
どう見ても二十人前はある。
宿の主がルシェラの払った金の分だけ奮発したのか。ドラゴンに出す食事の量が分からず、機嫌を損ねることを恐れて過剰に用意したのか。まあおそらく後者だろうとルシェラは思っていた。
「まずった。先にどれだけ必要か伝えとけば良かった」
「宿の人が勝手に用意したんでしょ? 気にしなくていいのよ」
ちなみに正解は二人前である。
よく食べる方だが肉体のサイズ相応であるルシェラ、小食なモニカ、そしてそもそも物を食う必要が無く食べることを楽しんでいるだけの傀儡体カファルという取り合わせなので、それくらいで充分なのだ。
残すのも勿体ない。
どうにか収納アイテムを使って持って行けないか、と考えながら、ルシェラも料理に手を着ける。
そして豆ペーストのパイを一囓りしたところで、大変控えめな音量で、部屋の扉が叩かれた。
「お、お食事中恐れ入ります。
帝国外交部の……お役人様が、お会いしたいと」
前門のドラゴン、後門の官僚。宿の主は恐縮しきった様子で来客を告げた。
「通してください」
すぐにルシェラは承諾した。
――イヴァーさんが言ってた『ガイド』か……
帝国側の意図としては、対話の窓口で、監視要員。
突っぱねてもいいところだが、どうせマルトガルズ入りした時点で敵の手の平の上。こちらの動きなど筒抜けに知れているだろうから、今さら監視が一人増えたところで何か失うわけでもない。
むしろ敵の出方を知る端緒にできるのではないかと、ルシェラは考えていた。
宿の主は姿を見せぬまま去り、代わって扉の前まで規則正しい足音がやってきた。
「失礼致します。
クグセ山のレッドドラゴン、カファル様。
そのご養女、ルシェラ様。
ご同行者のモニカ様……以上、相違ございませんね?」
若く清澄な響きの、喋り慣れていそうな男の声がした。
――なるほど、調べが行き届いてる。
彼がモニカを『フォスター』の姓で呼ばなかったことに、ルシェラは素直に感心した。
元よりフォスター公は、生贄としてモニカを利用しただけで、良くも悪くもそれ以上の感情は抱いていないらしい。
むしろモニカの側が(当たり前だが)フォスター公と公爵家を嫌っている。
そこに配慮するのは気遣いではなく、仕事を円滑に進めるための合理的判断なのだろうけれど、必要な情報をしっかり仕入れて行動方針に反映する、その周到さにルシェラは感心した。
マルトガルズは強かだ。
リチャード帝の戦神の如き強さばかり目立っているが、国家という組織を運営する能力が無ければ、たかが一代でこれほどの巨大帝国は作り得なかった。
その手先たる相手と、ルシェラはこれからやり合うのだ。
「はい。どうぞ、入ってください」
気を引き締めてルシェラは、部屋の扉を開けた。
そしてそこに居たスーツ姿の青年を見て、ルシェラは雷に打たれたような衝撃を受けて立ちすくんだ。
「はじめまして。私は帝国外交部所属、エフレイン・クラウベルと申します。よろしくお願いします」
今し方美容院から出て来たかのように、きりりと青銅色の短髪を整えた青年は、流麗で折り目正しい所作の礼をする。
その男をルシェラは知っていた。
十年の時を経て成長しても、面影は変わらず。見間違えようはずもないほどそのままで。
エフレイン。
かつてルシェラが……■■■■■が過ごした幼年宿舎の、友人だった。
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