≪2≫ 秋は天高く
そろそろ地理関係がごっちゃになってきそうなので、コミカライズ資料用に作成した地図を掲載します。
地図には書いてませんがセトゥレウの南東側はシルニル海に面しています。グファーレの東にも陸地は続いていて、ベルマール火山はそっちにあります。
多くの国々を征服し、併呑したマルトガルズは、地域内で際立って大きな国だ。
北や西には、もはや敵無し。平伏して命乞いをする小国ばかりで、その先はもうドラゴンの領域だ。流石のマルトガルズもドラゴンの領域までは侵さぬし、ドラゴンたちも人族の国を攻めたりしない。つまり既に征服しきったも同然の状況と言える。
現状は、東のグファーレ連合が最後の歯止めとも言えた。グファーレを攻め落とせばマルトガルズの背中を狙える者は居なくなり、マルトガルズは己が持つ全ての剣を南へ向けるだろう。
グファーレはマルトガルズに比べれば、半分以下の大きさの国だが、マルトガルズの覇権を恐れる南方の国々が支援したことで持ちこたえた。
何より、もはやリチャード帝が戦争の指揮を執れない状態であるために辛うじて拮抗した。もし全盛期のリチャード帝が戦場に立っていたら三ヶ月で、まともな状態で後方指揮をしていたら二年ほどでグファーレは陥落していたはずだ。
泥沼の戦争は双方を疲弊させながらも十四年継続し、そして新たな段階へ移った。
セトゥレウ王国、マルトガルズ帝国に宣戦布告。
それは、流れ来る雲を見て予見された雨のように、驚き無く人々に受け止められた。
グファーレは国境線のほとんどが……北も東も南もがドラゴンの領域に面している国で、後は西のマルトガルズと南西のセトゥレウのみ。
セトゥレウは、元より南方の国々がグファーレを支援するための、人と物の通り道だった。
そういう意味ではセトゥレウは既に戦争に参加していたと言えるのだが、あくまでも商売として仲介している立場を崩さず、戦争自体には中立だった。
そこからセトゥレウが遂に一歩踏み出したのだ。
これは教皇庁が発した非難声明に乗ずる形だった。
クグセ山北の戦いにてアンガス侯爵軍が行った国土廃滅攻撃は、人族世界の存続を是とする神殿勢力の怒りを買ったのだ。
そしてこれはマルトガルズにつくか否か、様子見を決め込んでいた国々にも伝播した。勝てる側についた方が得だ。なんだかどうも、みんなでマルトガルズを懲らしめる流れらしいとなれば、後は雪崩を打つだけだ。
セトゥレウとて同じ。
勝てると見たから、完全に敵対する道を選んだのだ。
セトゥレウは保有する竜命錫『慧眼の渦嵐』を引っ提げ、クグセ山北側に展開。
南方諸国や、少数ながらグファーレの援軍も伴って、マルトガルズに侵攻。
セトゥレウに面したアンガス侯爵領の軍は、先の戦いで壊滅的な被害を受けており、これに抵抗することは不可能だった。
* * *
クグセ山、秋深し。
南の麓にあるクグトフルムの街から、少し山を登った場所に、クグセ山の女王は巣を移していた。
山林を切り拓いて作った広場に、土を魔法で固めた巨大な岩のかまくらがあった。
本来それすらもドラゴンが生きるには不要だ。雨も風も暑さも寒さも、強大なドラゴンを傷付けるには至らないのだから。
しかしドラゴンも、よりよく生きようと思えば、多くのものを必要とする。
ドラゴンがすっぽり入って寝床にできる空間の奥に、まるで普通の人間の家のように、細々とした設備があった。
風よけの壁の向こうに、調理台や、本棚を備えた読書スペース、人族サイズの二人用ベッドなど。
取って付けたように存在するので、場違いにも感じられるが、これは巣の主たるカファルが求めて設えたものだ。
今はカファルが出かけているので、巣の中はがらんと広い。
留守番の少女は独り、鍋を火に掛けてコトコトと音を立てていた。
鍋の中では色鮮やかなフルーツが甘い匂いを立てていた。
「砂糖が手に入るって幸せだなあ……」
果実を天日に干してドライフルーツ作っていた去年の秋を思い出し、ジャムを煮る少女……ルシェラは独りごちる。
カファルがクグトフルムの近くに巣を移したのは、つい先日。夏の最中のことだ。
しかし竜気の源たるカファルがやってくるなり、山は激烈に反応した。巣の周囲では花が狂い咲き、木々は実を付け、そしてそれが今、甘く熟している。
ドラゴンが持つ超常のエネルギー・竜気は、植物や鉱物などの自然物や魔物を異常に変異させるのだ。
巣の周囲は果樹園もかくやという様相で、植物図鑑に存在しない果実がたわわに実っている。
絶対にルシェラ一人では食べきれないし、採りきれない量だ。
試しにジャムなど作っているが、さて、樽に何杯分のジャムを作れば消費しきれるのやら。
――戦争が始まって、クグトフルムでは『クグセ山関係』の需要が増してる。
どうせ抜けた鱗や牙と比べたら、植物は『変異体』の育成効果が薄いし、合法的に品を流した方が密採の抑止にはなる……かな?
カファルは戦場から遠ざかるため、クグトフルムの近くに巣を移したが、それでも街に出る度にルシェラは戦争の存在を感じていた。
クグトフルムは戦地への玄関。そして補給拠点にもなっていた。
戦地に運ばれる物資、戦地に向かう騎士や兵、傭兵などを見かける。
そして中には、戦地から帰ってきた者もある。
怪我は回復魔法でもポーションでも、たちどころに治る。
だが、それを繰り返せば、継ぎ接ぎをするように傷口を塞がれた身体は少しずつ歪んでいく。俗にこれを『回復病』と言う。
そうなると戦線を離れて療養する必要が出てくるのだ。
クグトフルムは湯治場であり、長逗留する療養者を当て込んで住み着く医者も多い。
そんな医者たちの所へ、戦傷による患者が流れ込み始めていた。いかに容易な戦いだったとしても無傷では勝てないし、占領地は周囲から嫌がらせのような反攻を受け続けている。傷つく者は当然に存在するのだ。
今のところ小康状態だが、今後戦いが激化すれば療養者も増える。
そうすれば、カファルの竜気を受けて山で育った薬草は、さらに需要が増すだろう。この果実とて、薬草には及ばずとも、滋養食として重宝するはず。
価値が高まれば盗みに入ろうとする者も増える……
ジャムを煮ながら考えていると、ちりりと首筋を痺れさせるような感覚。
打ち寄せる竜気の、最初の一波だ。
やがて大いなる羽音が天より響き、大きなかまくらに影が差した。
山の女王のご帰還だ。
『ママ、おかえり!』
『ただいま、ルシェラ』
空を飛んできたカファルが、巣の前に着地したのだ。
巨大なレッドドラゴンは、飛び出してきて出迎えたルシェラを見て目を細め、鼻面から顔を擦り付けてきた。
そんな彼女は毛むくじゃらの巨獣を踏みつけていた。
後肢にこれを掴んで飛んできたらしい。
『……な、なにこれ? 氷牙野象?』
『今回はちょっと北へ行ってみたの。
色々食べたけど、これが一番美味しかったわ』
ずんぐりむっくりとした巨体に、長い鼻と牙を持つ獣。
寒地に棲息し、雪と氷を操る象の魔物だ。
山の魔物や、まして変異体は減らしたくない。そこでカファルは度々狩り場に出かけて食い溜めをする。
そのついでにルシェラにも土産を持ってくるのだった。
『さあ、どこから食べる? どう料理する?』
『えっと。くちのなかでやくやつ』
『あら……あれでいいの?』
ルシェラの答えを聞いて、カファルはちょっと驚いた様子だった。
カファルは巣にキッチンまで作って、人族の料理を勉強している。
それは別にいい。一緒に料理を作るのも楽しいし、やっぱりルシェラは色々な料理を食べたい。ドラゴンたちは生肉だけでも平気らしいが、ルシェラにとっては精神的にも栄養学的にも問題がある。
だけどそれは、かつてカファルがルシェラに与えていたような、ただ焼いただけの肉を厭うているのではないのだ。
『きょうは、そういう、きぶん』
『わかったわ、すぐに準備するからね』
カファルはいそいそと獲物を引き裂き、分厚い脂肪ごと肉を囓り取った。
そしてそのまま、口の中で炎のブレスを循環させた。牙の合間から炎がこぼれ、肉の焼ける良い匂いが辺りに立ちこめる。
やがてカファルは、ルシェラよりも重そうなサイズの、焼けた肉塊を吐き出した。
熱された脂の弾ける表面は、ほとんど焦げに覆われていたが、それを少しナイフでこそげると、ほどよく焼けた部分が顔を出す。
ルシェラはそれを大雑把に切り取って、大雑把に塩コショウを振って食らいついた。
血と脂が染み出す、野趣溢れる味わいだ。
カファルも隣で巨獣の死骸に鼻面を突っ込み、生のまま内臓を引きずり出して一緒に食べていた。
かつてはルシェラも必要性を感じて魔獣の内臓を食らっていたが、内臓は吐きそうなほど癖が強い。それに山の外から食材が手に入るようになった今、これはルシェラよりカファルにとって必要な栄養源だった。
「おや。お食事時に訪ねてしまいましたか」
「ビオラさん!」
肉の焼ける香りに誘われたように、果樹の合間から一人の術師が姿を現した。
野暮ったいローブにビン底眼鏡姿の若い女。
ルシェラが所属する冒険者パーティー“黄金の兜”のメンバー、魔術師のビオラである。
血まみれのあばら骨を晒すアイスマンモスを見て、彼女はキラリと眼鏡を光らせる。
「あああっと! こんなところに新鮮なアイスマンモスが!
ちょちょちょちょっと象牙を観察しても構いませんか!?」
「なんなら剥いじゃってもいいですよ。食肉目的なんで」
魔物の生態研究を最大の趣味としているビオラにとって、本来なら遠方に棲んでいるはずの魔物を間近で観察する機会は宝石よりも貴重なものだ。
「緊急依頼ですか?」
「いえニュースを一つ持ってきました。
明後日セトゥレウは占領地に対して地脈回路を引き直すそうです」
興奮気味にスケッチを始めつつ、ビオラは普段通りの早口で、比較的重大なことを言った。
人族は竜命錫という道具を使い、荒ぶる自然を制御して、脆弱な人族が生存可能な領域を作り出している。
その力を効率的に国中に行き渡らせるための道が地脈回路だ。
セトゥレウはマルトガルズに攻め入って旧アンガス侯爵領を占領しているが、その地域の環境制御は、マルトガルズ側の竜命錫が引き続き担っていたのだ。
地脈回路を引き直すというのは、向こうの竜命錫の影響力を断ち切って、セトゥレウの竜命錫『慧眼の渦嵐』によって占領地の環境制御をも担うようにするということである。
「随分遅らせてましたけど、いよいよですか」
「まあ地脈回路を引き直すとなれば決定的な占領ですからね。
刺激も強いでしょう。それで慎重になってたんですよ」
地脈回路を引き直すのは、言い換えれば、その地を領有して統治するという意思表示。
ただ軍を進駐させるのとは話が違うのだ。
特にそれを受け止める人々の意識にとって。
「クグセ山の北側はマルトガルズが征服戦争を始める前からの古い領地。それだけに民の忠誠心も高いんです。
占領に当たっては慎重の上にも慎重を期さなければ失敗するでしょう。特にセトゥレウにとっては将来の領地となる予定ですから反発が起こらないよう今から気をつけていかないと。
クグセ山には何も起こらない……とは思いますが一応お知らせまで」
「わざわざありがとうございます」
ビオラは情報の出所を言わなかったが、ルシェラは察した。
まだルシェラはビオラの『御祖父様』……フォスター公爵に会ったことは無いが、狡猾で周到な男だと察している。利害が一致している間は頼もしい味方と言えるだろう。
「……そうだ、お肉とかこの辺りの果物、よかったら持って帰ってください。
体力付くと思うので、是非モニカさんに」
「それはこちらこそありがとうございます。
あの子すぐ根を詰めちゃうんですよねえ。まったく誰に似たのやら」
ビオラはそう言って幸せそうに、けけけ、と笑っていた。
活動報告でも以前した話ですが、この第四部は書籍版三巻になる予定です。
三巻は出るか出ないかで言えば出してもらえそうな見込みですが、続刊可能かどうかはコミカライズの売れ行き次第という感じです。
第四部は三巻完結ルートと続刊ルートで分岐を考えてて、コミカライズ一巻の調子を見つつどっちにするか決めていきます。
続刊ルートなら第三部はそのうち2.5巻になると思われます。







