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≪3-11≫ 生還

 神殿には続々と村人たちが集まっていた。


「あああああ! 俺は/ぼくはちがう/こんなもの/やめてくれ!」

「うげっ! おええええ!」

「嫌/嫌/嫌だあ! 死ぬ/死にたく/私は/俺の身体じゃない!」


 悶絶し、嘔吐し、のたうち回る村人たちは、唸りながらも神像に縋り、祈りを捧げていた。

 もはや存在しない神に、救済を、苦痛からの解放を求めて。

 その有様はまるでアンデッド災害ハザード。増殖する下等吸血鬼ブラッドサッカーが生者の血を求めて群がる姿の如しだった。


 衛兵隊からは村全体に禁足令が出ているわけだが、狂乱する村人たちはお構いなしだ。

 彼らのあまりの剣幕に、衛兵も制止できなかったのだ。


「なんだ、こりゃ」

「ハプシャルの預かっていた『過去』が溢れたんでしょう」


 地下世界から戻るなりの惨状に、ルシェラもイヴァーも、顔をしかめる。


 一枚の真っ白な紙に、どれだけの文字を書き込めるだろうか。

 小さく書いたところで限度がある。

 詰め込みすぎて二重三重に文字が重なれば、それはもはや意味を読み取れない模様となるだろう。


 修行によって過去の生の記憶と力を得るのだと、神殿長は言っていた。

 つまりハプシャルは匙加減した上で記憶を返していたのだろう。

 その歯止めが失われたことで、流出し、氾濫した。

 彼らは幾度も繰り返す生の記憶全てを浴びてしまったのだ。


「……永遠を望んだ代償か。

 人生なんて死ぬまで抱えてりゃ充分だろうによ」


 イヴァーは巻き煙草を取り出し、小さな火打ち壺で着火した。

 そして紫煙を虚ろな神像に吹きかけた。


「冒険者さん! 戻られましたか!」


 そこへ、血相を変えたドベロが転がるように駆けてきた。


「どうかしました?」

「村の近くにとんでもない数の魔物が集まってるんです!

 衛兵隊ではとても対処できません! お助けください!」


 * * *


 確かにドベロが言う通り、とんでもない数の魔物が集まっていた。

 大きなもの、小さなもの、地に立つもの、空を飛ぶもの。大小の別なく、姿形も様々で。

 門前に群れ集った魔物たちは、その数、300を超えるだろうか。

 ルシェラであれば一網打尽に焼き払えるが、並の冒険者なら数の暴力で圧殺される。

 城郭農村のちゃちな防壁など何の役にも立たず、村を根こそぎにするには充分だろう。


 だが、魔物たちは襲ってこなかった。

 門塔の上から衛兵たちが弓で威嚇するだけで波が引くように退き、遠巻きに見ているだけだ。

 彼らの姿からは全く戦意が感じられなかった。そこに居ること自体が目的であるかのようで。


「……オオオオ……」

「……オオオオオオオ……」


 わななき、啜り泣くような鳴き声が、ただただ響いていた。


 ……音としては、ただの奇妙な鳴き声だ。

 だがルシェラには、いかなる理外の理によるものか、彼らの声が聞き分けられた。


『助けて』『人に戻して』『子どもたちに会わせて』『助けて』『私は魔物じゃない』『このまま死にたくない』『どうして』『こんなはずでは』


 鳩尾を刺されたように感じ、ルシェラは小さくえずいた。


 あれもまた、村人の成れの果てだ。

 悪神たちは魔物を司る。信徒らは、人も魔物もなく輪廻していたのだ。

 おそらく彼らは、人である間、魔物としての己を忘れ、魔物である間、人としての己を忘れていたのだろう。その記憶もまた、ハプシャルの滅びによって解き放たれていた。


「ど、どうしましょうか……」

「何も……起こらないとは思います」

「へ?」


 戦々恐々としている衛兵に、ルシェラは振り絞るように言った。

 自暴自棄で死ににでも来ない限り、あの魔物たちが戦う理由は、もう無い。


「……異端審問官の到着はいつですか」

「明日には……」

「では、その時にわたしから状況を説明します」


 ルシェラは、それ以上の言葉を惜しんだ。

 あまりの事態に心を痛めたからではなく、彼らのどうしようもなさを言葉にして理性で理解したとき、理性の歯止めを失って本能的に()()してしまいそうだったからだ。


 あんな冒涜的なモノであっても、救われる望みを抱くのは、人の傲慢だろうか。都合の良い現実逃避だろうか。

 分からない。

 分からないけれど、その惑いを捨ててはいけないように、ルシェラは感じた。


 * * *


 ルシェラの予想通り、魔物たちは結局攻めてこず、翌日の昼前には無事、異端審問官が到着した。


 異端審問官は邪教徒を裁く者だが、武力を持つ邪教徒との戦いや、彼らの信仰による『汚染』の後始末も仕事としている。

 今回は状況的に、後始末の色が濃い。


「では村を丸ごと収容施設に?」

「ええ、おそらくそういった形になるでしょう」


 白と金の聖衣を纏った、慇懃無礼な異端審問官は、勿体ぶってルシェラに言った。


「移送も収容も手間です。

 数が多いからと言うのもそうですが、なにしろ村人どもは……ああ、外の魔物もそうですが、治療が必要な状態ですからな」


 治療。

 都合の良い言い換えだ。人を呪いから救う研究の実験サンプル、というのが実態だろう。

 そもそも、いかに神の奇跡と言えど村人たちを救えるかは分からない。

 結果として救われてくれるよう祈るしかルシェラにはできないのだ。

 可能性は、ゼロではないのだから。


「あああ」「あああああ!」「ああ」「ああああ……」


 唸りながら揺れる檻を代車に載せ、異端審問官たちが運んでいた。

 檻には布が掛けられて、その下からは血のような何かが流れ滴っていた。

 中身は攫われた子どもたち……だったモノだ。あれは流石に扱いきれず、然るべき機関に送られるのだろう。そこで子どもたちが救われるのかは、まだ分からないが。


「ではまた後ほど、ご連絡差し上げます」


 異端審問官は一礼して去って行った。


 彼はルシェラの成した悪神討滅に関して、取り立てて言及しなかった。

 内心はどうあれ、立場上、彼は何も言えないのだ。

 ルシェラが何者か既に知れているから。ルシェラがドラゴンとしてそれを成したのだと知っているから。


「どうして地上には神が居らず……

 使い走りの天使や悪魔が、コソコソとうろついているだけなのか。

 そんな話を……聞いた事はありますか」


 蹌踉とした口調でルシェラは呟く。

 傍らのイヴァーがそれに答えた。


「あれだろ? 大地はドラゴンのものだから、降り立てば神さえ喰らわれる。

 だから神々は遥か遠く、そらに浮かぶ星々から人を導くと……

 神殿の坊主どもがいくら否定しても、誰もがガキの頃に聞かされる御伽話だ」


 その御伽話がいつ、どうして生まれたか。

 あまりに誰もが語るため、もはや判然としない。

 地に墜ち潜む神も、自ら望んで降臨する神も今や稀で、ましてそれをドラゴンが滅ぼした話など聞かない。逆にだからこそ真偽不明のまま、御伽話として皆が語っているのだとも言えた。

 ルシェラ自身も知ってはいたが、真も偽も無い御伽話だった。昨日までは。


「ハプシャルと戦った時、わたしは……ただの、ドラゴンという装置でした。

 生き物の身体が毒を排出するように、わたしは神と、それによって生み出された穢れを浄化しようとしていた……

 あれが悪神かどうかは無関係です。たとえ竈の女神と、その加護を受けた聖女であっても、そこに居ればわたしは襲いかかったでしょう」


 大地を穢すカミへの怒り。

 悪神や邪教という言葉は、あくまで人の価値観からの呼び名で、ハプシャルと戦っていた時のルシェラにはどうでも良い事だった。ただ、怒りと熱狂に支配されていた。


 今やルシェラは人智を越えた力を持つのだ。

 それがルシェラは急に恐ろしくなった。

 暴走する力が次に何を傷付けるか分からぬと、ルシェラは思い知ってしまったのだ。


「俺が呼ぶだけで止まったじゃねーか」

「次もそうだとは……」

「その時はその時だ。俺らの稼業は、そういうもんだろ」


 しかしイヴァーは平然と言った。彼は空を見ながら言って、横目にルシェラの方を見た。

 それから煙草を取り出そうとして、切らしていることに気が付いた。


 イヴァーはルシェラが何であれ、近付きも離れもしないだろう。人の世に仇為す化け物になろうとも。

 そしてもし、暴走するルシェラに殺されたとしても、人生こんなもんさと溜息一つ付くだけだろう。

 彼がルシェラを大切に思うからではなく、元々そういう奴だから。

 なればこそ彼の傍らでルシェラは人でいられる。

 埒外の者にとっては得難き友人だ。ルシェラの目に少しだけ涙がにじんだ。


「お前たちのせいだ!」


 泥水でも浴びせるような罵声が、ルシェラに向かって飛んできた。


「我らの永遠を返せ!」

「ああ、ハプシャル様が、ハプシャル様が滅びるなどと! あり得ない、あの御方は永遠だ!」

「とっとと歩け、邪教徒!」


 村人のうち何人か、おそらく生贄殺人で主導的立場だった者らが、縄を打たれ連行されていくところだった。

 彼らは異端審問だけでなく俗世の裁判にも掛けられる。セトゥレウ王国の司直に身柄を引き渡すのだろう。


 村人たちは引きずられながら暴れ狂い、絶叫する。

 血走った目で睨む男を、ルシェラは睨み返すこともできず、静かに見やった。


「ひっ」


 記憶の溢れる苦痛も忘れ、一瞬正気に戻ったかのような顔で、男は竦み上がる。

 そのまま彼は引きずられて行った。ルシェラと会うことは二度とないだろう。


「帰るぞ。途中で酒…………は、差し障りあるな。アイスでも食いに行こうや」

「いいですけど、イヴァーさんは味わって食べること覚えましょうよ」


 高速馬車は既に発車準備を整えている。

 二人が乗り込むと、飾り気の無い馬車はすぐに、滑るように走り出した。


 鳴き果てたセミの死骸が、地に横たわっていた。

 そこにさっと舞い降りた鳥が、鋭い爪でセミを掴み、飛び去っていった。

 だが、その鳥もいつかは死ぬのだろう。

 全ては当たり前の出来事だった。

ここまでお読みくださいましてありがとうございます!

第三部(実質2.5部?)はこれにて完結となります。


八月中には第四部の連載を開始する予定ですが、第四部で完結させるか連載継続なるかコミカライズの調子を見つつ両睨みの執筆になりそうなので、構想に若干のお時間を頂きます。

お待たせしてしまいまして心苦しいですが、その分良い物を書けるよう頑張りますのでどうかよろしくお願いします。

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コミカライズ版
i595655

書籍版
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― 新着の感想 ―
[良い点] ルシェラちゃんが人間(理性)があってドラコン本能を押さえられて良かったね。 あれ?するとママとかはドラコンだから本能を押さえられないってこと?理性あるのに?倫理観の違いだね。 これママ…
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