≪3-9≫ 地の底
神殿の聖堂と言えば、一般的には広いホールに信徒のための椅子と机が並んでいて、奥に教壇がある。
そして最奥にはステンドグラスや神像など、神の威光を示す偶像があるものだ。
この村の神殿も基本構造は同じだった。
だが聖堂奥の、蛇に座す男神像の裏に、ちょっとした秘密があった。
床に取っ手が付いていて、それを開くと地下への階段があるのだ。
これ自体は決して秘匿していたわけではなく、教皇庁からの調査でも開示している部分らしい。ただ、あまり余所者に見せるものでもないという意識があるのか、一応は隠せる構造になっている。
下り階段はあくまでも、魔法で石を整形して作られたものだ。
だがそれを降りきった先の小部屋からは、天然の洞窟に繋がっていた。
「神殿の地下にこんな場所が……
いや、違うな。洞窟があるからここに神殿を建てて村を作ったのか。
神話に見立てた聖地ってのも、よくある話だが……」
洞窟の入り口を照らして、イヴァーは顔をしかめる。
ギラギラと明かりを照り返して眩しく感じるほどに、洞窟の入り口は黄金で飾り立てられていた。
――黄金の装飾品で飾られた、細長い洞窟……
神話で語られる、楽園への導きになぞらえているわけか。
大げさな装飾はちょっと目を細めてみれば、蛇の顎門に見えなくもない。
そしてその奥には、蛇の腹の中みたいな一本道が下へ続いている。
「ハプシャルは神像にもある通り、蛇の神です。
脱皮によって存在を保つ蛇は、死と再生の繰り返しによる永遠の概念に通じる。
……同時に蛇は、地にも通じる」
「ああ。なにしろ四六時中地面を這いつくばって、穴の中に棲んでる連中だからな」
「そして、地獄ではない死後の世界を、地下に見出す信仰もある。
『楽園』が地下にあるのなら、蛇の体内のような形をした地下への洞窟は、確かに道として似つかわしい」
洞窟はとぐろを巻く蛇のように、緩やかにカーブして地下へ向かっており、ルシェラが居る場所からはその底を見通せない。
この底に小さな礼拝堂があって、神官が啓示を賜ったり、村人が特別な日に祈りを捧げるのだという。
「この場所が『楽園』の入り口に?」
「調べる価値はあるかなと」
「まあな。
しかしここに潜る村人が毎度、本物の『楽園』へ行ってたわけでもねえだろ。
何かあるとしても……」
二人が揃って洞窟を覗き込んだ、その時だった。
「え?」
ルシェラは目眩に襲われた。
頭の芯がぐらぐらと揺れて、自分が立っているのか落下しているのか分からなくなる。
その中でルシェラは洞窟に吸い込まれていく。
いや、それはルシェラが吸い込まれていると言うよりも、周囲の景色全てが洞窟に向かって歪み流れているように思われた。
耳元で轟と風が唸る。
洞窟の奥へ奥へ奥へ、クグセ山のてっぺんから飛び降りるかのような長い距離を、あり得るはずのない距離を、恐ろしい速度でルシェラは進んでいく。
そして、足下に地の感覚が戻った。
そこは真っ暗なのに周囲の様子がハッキリ見えるという、異常な空間だった。
どこか高い場所に土の天井がある、ここは地中である……という雰囲気は感じるのだが、壁も天井も見えないほど遠い。
足下は柔らかい。一面に、蛇の舌のような紅い花が咲き乱れているからだ。
そして、吐きそうなほどの悪臭が辺りには立ちこめていた。
悪臭……だろうか? 否。ルシェラはそれをニオイと誤認していたが、違う。
それは吐き気を催すほどの、壮絶な嫌悪感だった。
「……嘘だろ、おい。こんな強引なのか」
傍らのイヴァーは、スーツの内側に手を突っ込んで身構えていた。
一緒に居たイヴァーもこの場所に呑み込まれてしまったのだ。
奇妙な花が咲き乱れる、無限の地中空間……
そこに、大きな何かが居た。
ねじくれて歪んだ手足を持つ、ドラゴンより大きな蛇が。
ぴちゃ。
ぐちゃ、ぴちゃ。ぐちゃ。
大蛇は背中を丸め、泥遊びでもするみたいに、その大きな手で何かを捏ね回している。
まだ人の形を半ば残している肉の塊だ。子どもの形をした肉ばかり。苦悶の表情を浮かべたそれは、肉と肉が境目無く融合して、一つになっていた。
おぞましい事に、それはまだ生きていた。
癒着した肉たちは、それぞれの顔で血の涙を流し、血を吐きながら声なき叫びを上げていた。
「連れ去られたガキは……11人、だったか」
イヴァーは呟く。
大蛇が捏ねる肉の塊は、概ねそれくらいの大きさだった。
そしてそれは大雑把に、蛇のような形をしていた。ちょうど、それを捏ねている大蛇を小さく、新しくしたように。
そう。その大蛇は鱗が無く、血肉で構成されていた。
腐りかけた肉もあれば、まだ新鮮な肉もあった。
そのほとんどは引き千切られた肉を捏ね合わせたような状態だが、例外的に形を残しているものもある。
まだ法衣を着たままの老人の肉が、その大蛇の右肩だった。
大蛇が、手を止めた。
そして振り返る。
『オオ……オオオ。オオオオオオオ…………』
肉の継ぎ接ぎによる巨大な頭の、虚ろな眼窩の中で、大蛇の双眸は赤黒く輝いていた。
それが口を開くと、腐った吐息が咲き乱れる花を薙いだ。
谷底を抜ける風のような、遠雷のような声。それは人ならざる大いなる力の具現だ。いかにそれが邪悪なものであれ、常人であれば畏怖に膝を折っただろう。
『す、スバ……らしい……肉ダ…………
我が顎門に……自ラ……飛ビ、込む……トは…………重畳……』
その大蛇、ハプシャルは、鎌首もたげてルシェラを見下ろし、感嘆の声を上げた。
腐れた肉が、その下顎から剥がれ、ぼとりと落ちた。
「老醜の神……地に居座るため、新たな肉の殻を欲したか」
『貴様ノ……肉……在らバ…………我が神力……限リ無く、高ま……ろう……
地に、遍ク……我が永遠……ヲ…………』
蛇が古い皮を脱ぎ捨てるように、古い肉体を捨てて新たな肉体を作る。
そのために子どもたちを贄として欲する……
それが『最も特別で特殊な儀式』。
元より強者を糧として、己を維持する性質の神性だ。
では新たな肉体の核として、超常的な力を持つ子どもを用いたとしたら、どうなるか。
ましてそれがドラゴンの名を持つものであれば、手に入れた暁にはこの世界と繋がり、神すら超えた力を持つだろう。
それが“黄金の兜”を呼んだ理由。
狙っていたのは最初から、一人だけ。
そう頭の片隅で分析しながらも、もはやそれは全てルシェラにとってどうでもいい事だった。
救うべき子どもたちの事さえ今は考えていなかった。
感じるのは、ただただ、烈火の如き怒りと嫌悪感だ。
「犯罪者を裁くのは司直の仕事。
邪教徒を裁くのは異端審問官の仕事」
ルシェラの口は、何か抗えぬ力によって動かされるように言葉を紡いだ。
「地に墜ちたカミを滅するは、竜なり」







