≪3-7≫ 仮住まい
そして、静寂。
神殿長を飲み込んだ闇は、風に散るように消え去って、邪悪な気配すら感じられなくなった。
しばらくは皆、自分も神殿長と同じように足下から何かに食われやしないかと、身を固くしてじっとしていた。
だが、それ以上は何も起こらなかった。
「消えた……?」
唐突に発生し、唐突に終わった、謎の現象。
それが白昼夢でなかった証に、神殿長の姿は髪の毛一本残さず消え去っていた。
彼の座っていた椅子は傷も付かず、そのままだった。
次の瞬間、全員の視線が部屋の隅に集中した。
そこには神殿長と同じように手枷とマスクを付けられた神官の姿があった。彼も村の者だ。
「ひっ!」
射るような視線を受けて神官は竦み上がる。
「おい、なんだあれは! 何が起こった!」
「し、知りません! 私は何も!」
「本当か? 村の子どもたちが攫われているんだぞ、誤魔化すことの罪深さを考えろ」
「本当に、本当に知らないんです! 『神殿長』しか知らない事は、多いんです……!」
衛兵たちに詰め寄られ、彼は情けないほど必死で首を振った。
「村一つの中で完結してた信仰ですから、口伝で充分だったんでしょう。
まして輪廻転生の話が本当なら、信仰の核は、神殿長から神殿長へ『一子相伝』でもおかしかない」
イヴァーはこめかみを揉みほぐしながら分析する。
神官は是とも非とも言わなかったが、どうやら図星だったようだ。
「……この村に『神殿長』は二人だけ……先代様は未だ転生しておりません。そして当代様も……」
口封じ。
そんな言葉が頭をよぎる。
ともあれ、今何よりも問題なのは、攫われた子どもたちの居場所に関する手掛かりが消えてしまった事だ。
「誰か≪人探知≫の魔法とか使えませんか。媒体になる、子どもたちの持ち物はいくらでもあるでしょう」
「我々は魔法担当ではないので……」
「ルシェラ、お前は?」
「今のとこ火属性攻撃魔法以外ほとんど無理です。水は多分、やればできると思いますけど、探知には使えないかな」
確かにルシェラの魔法力は、既に人間の限界よりもドラゴンに近い。
だが、だからといって全ての魔法を自在に操れるわけではなかった。
馬に乗ったことの無い者が、逞しき荒馬をいきなり渡されても乗りこなすことなどできない。それがどんなに素晴らしい力を持っていたとしてもだ。
皆が溜息のようなうなり声を上げた。
「我々は応援を呼びます。
その間、子どもたちの行方に関して捜査協力を願えますか」
「私たちが?」
「魔物のした事であれば、冒険者の方々の方がお詳しいかと」
衛兵たちの言葉に、ルシェラとイヴァーは顔を見合わせ、頷く。
「成果はお約束できませんが、引き受けましょう」
セミが鳴いていた。
短い命を燃やし尽くすように。
* * *
せせらぐ水は、真夏の日差しを受けて輝いていた。
セトゥレウは水が豊かな国だ。川は本当にどこにでもある。
村から出て行った魔物たちの足跡は、森の中を流れる川の、流れが少し浅くなった場所へと続いていた。
「ここで川に入ったようですね」
「小賢しい真似をしやがる」
ルシェラとイヴァーは魔物たちの痕跡を追っていた。
神殿長のように、悪神の邪悪な力でどこかに消し去られたなら追いかけられないが、何故か子どもたちはそうなっていない。お遣いの魔物によって、物理的にどこかへ運ばれたのだ。
ならば追いかけようがある。
魔物たちは川に入って足跡を消していた。
だが、深い場所を泳ぐことはしないだろう。地図を見て目星を付けながら川を遡っていけば、すぐに対岸に足跡の続きを見つけた。
濡れた肉球によって刻まれ、既に乾いた足跡を追っていくと、やがて二人は木々の合間に小さな洞穴を見つけた。その前では無数の足跡が入り乱れ、さらに、巨大な蛇が這い回ったように地を均された痕跡があった。
「蛇かよ、ここで」
「でも、どこから来てどこへ行ったんでしょう。ここまで這い跡なんて見かけなかったし、どこかへ行った様子も……」
「その辺に居たりしてな」
気を張って警戒しながら、ルシェラは周囲を観察した。
ぽっかり空いた洞穴は、いかにも獣か何かが掘ったねぐらという雰囲気だ。
魔物の気配はしない。
「留守かな……?」
「おいルシェラ、こっち見てみろ」
イヴァーは洞穴の近くにある、地面の穴を指差した。
こちらも獣が脚で掘ったような穴だ。意外に深い縦穴で、その中には何かの骨や、乾いた糞便が積み上がっていた。
「ゴミ捨て場兼、便所ってとこか」
「野生の獣はこんなことしませんよね。
バンデッドリンクスは待ち伏せや奇襲の狩りをする魔物。
こんな巣の近くに、排泄物のニオイで自分の存在を示したりしないはずです」
「猫のやり口じゃねえよな。まるで人だ」
家にトイレを作るような、ゴミ箱を置くような。
それは確かに、獣よりも人の行動に近く思われた。
続いてルシェラがそっと洞穴を覗き込むと、そこはやっぱり、もぬけの空だった。
だが代わりに、あってはならない物が置いてあった。
「これ……」
差し込む光をチカリと反射させる、銀色のプレート。
「冒険者証です」
「おいおい……マジか」
土埃に塗れた冒険者証を拭うと、その持ち主は王都のギルド本部に所属する冒険者のものだった。
刻まれた更新日を見れば概ねいつの時代の冒険者か分かる。日付は11年前のものだった。
冒険者証と一緒に洞穴の中にあったのは、服の残骸らしきボロボロの布きれと、鎧だったもの。
そして錆びきった剣だった。
「装備は、殺されたにしては損傷が少ない」
「剥がされた、って感じだな。何にせよ、結構古い」
「推測ですが、十年とか二十年に一度、冒険者を生贄に捧げていたとしたら……」
「神殿に呼んで御馳走したのは、そういうこったろうな。
素人にしては妙に躊躇いなくやりやがると思ったんだ。定例行事だったわけか」
薬で眠らせ、悪神への生贄として、お遣いの魔物に冒険者を食わせる……
それはルシェラやイヴァーに対して、初めて行われたのではなかったのだろう。
「なんで冒険者なんだろうな。ある程度仕事してる奴は、強いし用心深いし、ギルドの後ろ盾もあるんだぜ」
「うーん……そういう強い生贄を求めていたとか……」
「ありがちなのはまあ、その辺か」
一応ルシェラも、悪神信仰の事例をいくらか知っている。
悪神の生贄と言えば、生娘や子どもが定番と思われがちだが、強き生贄を求める悪神もあるのだ。
イヴァーも洞穴を覗き込んだが、もうそこには何も無い。
「この奥にガキどもが埋まってたら話早かったんだけどな」
「流石にそれは……」
言いかけてルシェラは、ふと、視界の端に入った光景に気付く。
「……あの斜面……」
「どうかしたか?」
「バンデッドリンクスが巣穴を作るなら、ここよりも向こうを好みそうだと思って」
川から離れた場所は少し小高くなっていて、その側面はなだらかな崖のようになっていた。
人ならば足を滑らせるかも知れないが、力強く身軽な獣には問題無い地形だろう。
「ここは『水の国』ですから、水に適応していない魔獣は、平たい場所や川に近い場所は避けがちです。
ビオラさんから色々面白い事例を聞いて……」
「んー、地域性か。しかし悪神の遣いに通用する話かね?」
斜面は緑が濃かったが、まだらに土が露出している箇所もあった。
それが何か違和感だった。
ルシェラが草を掴んで斜面をよじ登ると、ツンと鼻を刺すものがある。
「臭い! 例のニオイです」
「例の、って……俺は何も感じねえんだよ」
土が露出した部分からは、薬品を焦がしたような悪臭が漂っていた。
ルシェラがそこを指差すと、炎の力が沸き立って、小さな爆発を起こして土を吹き飛ばした。
「やっぱり……!」
深い洞穴が、そこにはあった。
明らかに爆発で土が吹き飛んだだけではない。洞穴の入り口が土で塞がれていただけで、ルシェラはその『蓋』を開けただけなのだ。
奇妙な悪臭に、血のニオイが混じる。
内側から封じられた洞穴の中で、バンデッドリンクスが死んでいた。
その強靱な爪で己の腹を割き、その鋭き牙で己のはらわたを喰らい、死んでいた。
子どもの姿は見当たらなかった。







