≪3-6≫ 縋る者たち
既に殺された者はどうしようもないが、傷ついただけの者は魔法やポーションで治療できる。
襲い来る魔物をルシェラが迅速に打ち倒し、辺りが静かになると、二人は怪我人の手当てをした。
「……≪恩寵:大治癒≫」
神殿長もそれに習っていた。
彼の振るう錫杖は、傷ついた村人たちを癒していった。
「神殿長さん、神聖魔法も使えるんですね」
「儀式の場を作るだけで、自分では呪詛魔法を使ってないんだろ。そうすりゃ神聖魔法が使える綺麗な身体のままだ。
表向きの信仰を偽装する神官が、よく使う手なんだぜ。
だから神殿は言うんだ。『二心を持って神に仕えるなかれ』ってな」
「む……」
神殿長を含め、村の者は皆、言葉少なかった。
それは信仰が露見したからとか、目の前で人が死んだからと言うよりも……何が起きたか理解できず困惑と恐慌の中にあると言うのが適切な表現であるように思われた。
「村に戻りましょう。ここは危険です」
ルシェラが闇に炎を浮かべて先導すると、村人たちはゾンビの行列みたいに付いてきた。
彼らは魔物を眷属とする悪神に仕えていたから、夜中に村の門を開けてみんなで森に出て行くような、普通なら自殺行為でしかない真似ができたのだ。
しかし、魔物どもは、そんな信徒たちを襲った。もはや彼らは安全ではなかった。
「うわっ……」
村も、そうだった。
見張りも付けずに村の門を開けっぱなしにすれば、いつ魔物が入り込むか分かったものではない。
その当然の結果がそこにあった。
村に帰り着いたルシェラを、血のニオイが迎えた。
門を入ったすぐそこに、レギオンウルフが三匹ほど倒れていて、傍らには血みどろのバトルアックスを持った駐在衛兵ドベロが座り込んで荒い息をついていた。
「何がありました?」
「魔物が大勢来やがった。自分の身だけは守れたが……」
ルシェラから治癒ポーションを受け取ると、ドベロはおぼつかない手つきでそれを飲んだ。千切れそうなほど深く噛まれた足が、ポーションの回復反応で白い煙を立てていた。
「無事なら良いんですが、お二人とも、どこに行ってたんです?
村の皆まで……」
「その話は、ええと、後にしましょう。
村に居た人の被害は?」
「分かりません……ここで戦うのに必死で……
ただ少なくとも十匹は村に魔物が入っていって、子どもだの赤ん坊だのをくわえて逃げていったのを見ました。どこの家の子かは分からなかったが、悲鳴が遠ざかっていって……」
ドベロの言葉に息を呑んだのは、ルシェラだけではなかった。
「なんですって?」
神殿長は顔面蒼白で、震えて裏返った声を上げた。
* * *
夜明け前には近隣都市ガートベーラから応援の衛兵隊が到着した。
とは言え邪教崇拝そのものは、異端審問官たちの到着を待って、衛兵の監督下で捜査してもらう流れになる。
ここでの衛兵隊の仕事は、魔物の被害を調査・把握して報告すること。そして二人の冒険者が毒を盛られた事件の捜査のためだ。
村人たちには禁足が言い渡され、村は昼間からヒリついた沈黙の中にあった。
「ガキや赤ん坊、他所の村から嫁に来た女……後は動くのがキツイ爺さん婆さんか。
儀式に参加させねえ組は村に残ってたわけだ。
それが襲われたと」
「貪り食われて死体が残ってたのは、大人だけです。
子どもらはみんな、消えちまってる」
臨時捜査本部となった宿屋、一階の食堂兼酒場にて。
応援の衛兵たちはイヴァーとドベロから現状報告を受けていた。
「どういう事ですか、神殿長」
そこには神殿長も居た。
魔封じのマスクと手枷を嵌められ、縄を打たれた彼は、苦い顔をして首を振る。
「これは、あり得ない。いえ、あり得ますが、それは今起こるはずが無いという意味で……」
「御託はいい。とっとと吐きな。
お前が誠実なら、火炙りがギロチンくらいには変わると思うぜ」
ドスを利かせてイヴァーが言うと、神殿長は震え上がる。
衛兵たちもイヴァーの態度を特に咎めなかった。都合が良いと思っているのかも知れない。
「あの魔物は何ですか」
「……我らの命数が尽きたとき、ハプシャル様は、御使いを通して我らをお召しになる。
さすれば我らは次の巡りを手に入れるのです」
「巡り? それは『統合神話』にある輪廻転生とは違うのですか」
ルシェラの問いに、神殿長は首を振る。
その姿は何かを嘆いているようにも見えた。この世をか、衆人をか、己をか。
「『統合神話』において、前世に価値は無い。
他人として生まれ、積み上げたもの一切を剥奪される。果たしてそれを転生と言えるのか? ただの魂の再利用、別人にされるだけではありませんか。
ハプシャル様は違う……その御手により我らを救い上げ、永遠をお授けになる。
死によって浮世の穢れを削ぎ落とした我らは、無垢なれど力を持つ赤子として、再び生まれ来る」
まさしく縋るような口調であり、彼がその考えを悪だと認識している様子は無かった。
ルシェラは評価を避けた。かつて■■■■■であった頃のルシェラは自分自身の生き死になどに頓着しない性質であったし、今は天国も地獄も無いドラゴンの娘だ。きっと自分が死んだ時は、この世界に還るのだろうと思っている。
そんなルシェラが彼を断ずるべきではないだろう。
「我らは皆、この村で生まれ、死んで、また生まれる……
修行を積めば、我らは前世を思い出し、それを力とできるのです。
この私もそうです。神殿長となるのは、これで三度目。その度に祈りを積み、力を積んだ」
ルシェラも、衛兵たちも、にわかには信じがたい話を聞いて皆、唖然とするばかりだった。
この神殿長が、かなりの使い手である事はルシェラも感じていた。昨日の回復魔法など、なかなかのものだ。高位冒険者にも匹敵する魔法力……普通なら天才の領域で、こんな田舎の神殿長としては勿体ないほどだ。
幾度もの生を経て修練を積んだなら、確かにそういう事もありうるだろうが……
「話を聞いてると、おかしくねえか。
ハプシャル様とやら、やりたい放題じゃねえか。まして子どもや若者が減れば、こんな小せえ村、いつ消えちまうか分かんねえぞ」
イヴァーの指摘に、神殿長は俯いた。
「時にハプシャル様は贄をお求めになる。
我らはそれを忌避しませぬ。巡りが早くなるだけのことですので。
しかし……此度のことはハプシャル様の御心を察せませなんだ。これでは、まるで……」
神殿長は、そこで躊躇い、結局言葉にしなかった。
だが彼が何を思ったかは明白だ。
まるで、数少なく貴重な信徒を自ら滅ぼそうとしているかのようだ。
「子どもたちはどうした? どうして攫われた? どこかで魔物に食われてるのか?」
「…………子らはまだ生きているはずです」
邪教の差し金で子どもが連れ去られたなら、それは衛兵隊にとっても直接対処すべき事件だ。
衛兵が問い詰めると、神殿長は振り絞るように答えた。
「ハプシャル様が子らの命をお求めになるのは、最も特別で特殊な儀式の時だけです。
連れ去られた子らは、その時までは生きている。
おそらく彼らは今……」
そこで突如、だった。
突き上げるように大地が震え、窓がビリビリと鳴いた。
足下から怖気が立ち上り、ルシェラの背中を駆け上がった。
ルシェラだけではなく、その場に居た誰もが腰を浮かせ、足下を見やる。誰もが気付くほどの邪気だった。同時に、薬品を焦がしたような悪臭が湧き上がるのを、ルシェラは感じた。
「臭っ!?」
「おい! なんかやべえぞ!」
ずぶり。
雨漏りが染み出すように、床板の隙間から湧き上がる黒いものがある。
それは二股に分かれて、まるで蛇の頭のように上顎と下顎を形成し。
「あっ!? ああああああ!!
お許し! お許しくだ」
神殿長を呑み込んで、消失した。







