≪3-5≫ 奉神
何食わぬ顔で食事を終えると、二人は特に引き留められもせず、宿に帰ることができた。
給仕を担当した神官が二人を見送り、村長と神殿長は最後まで姿を現さなかった。
宿の部屋に帰るなりイヴァーは懐中時計を開く。
文字盤の宝石が光っているのを見て、ルシェラは頷き、以降二人は村について何も話さなかった。
「堂々と脱ぐな!」
「あっ……だめですか?」
「だーめーだ!
ガキの身体だからって油断すんなよ」
「さ、流石に知らない人の前では……気をつけますけど」
既に相談の必要は無かった。
備えるべき事は分かっていて、そして次に何が起こっても適切な行動を取れると、自分とお互いを信じていた。
「だいたいこの宿、まだ部屋空いてるのに、なんで俺ら一部屋に放り込まれてんだ」
「保護者だと思われたとか……」
「んな…………いや待て。俺もう、お前ぐらいのガキが居てもおかしくねえ歳か」
二人は寝支度をして、灯りを消し、各々ベッドに潜り込む。
しかしすぐに部屋を飛び出せるよう、準備をしてもいた。
「結婚とかしないんです?」
「するならカタギになってからと決めてたんだ。自分以外まで守れる自信ねーから。
まあ、今なら頃合いかも知れんが、相手が居ねえな。
迎えに行きたい女も居ねえ……二人くらい居たがどっちも死んじまった」
階下は酒場兼食堂だ。一日の仕事を終え、村の者が訪れる。
その賑わいがあって、やがて片付けの音になり、そして静かになっていく。
「お前は女の好みとかあるの?」
「…………考えた事もなかった」
「そんな気はした」
「ジゼルは……特別だったけど、そういうのだったかは今も分からなくて……」
「お前ら結局ヤッてたの?」
「焼きますよ?」
やがて会話が途切れると、イヴァーは起きたまま完全に寝息そのものに聞こえる呼吸をしていた。
ルシェラは下手に真似をせず、じっとして、静かにしていた。
夜半。
神殿の鐘が厳かに鳴らされて時を告げる。
すると、それを合図にしたように、階下から足音が聞こえた。
宿の主人がどこかへ出かけていくのだ。
ルシェラは迂闊に起き上がらず、周囲の気配を探っていた。
宿の外にも人の動く気配があった。
足音は静かだが、静まりかえった夜の村の中、土を軋ませる音はよく注意すれば聞き取れる。
外を動く気配が遠ざかってから、ルシェラはそっと寝床を抜け出す。イヴァーも同時に動いた。
一言も口をきかぬまま、二人は冒険道具を手にして、部屋を抜け出した。
* * *
村はほとんど空っぽになっていた。
門は開けっぱなしで、その見張りすら居ない。普通ならあり得ない事だ。
星明かりの下で気配と足跡を辿っていくと、それは村のすぐ近くの森の中に続いていた。
そして森に入るなり、木々を透かして、赤々とした篝火をルシェラは認めた。
「ありゃ『黒狐の捧げ火』を焚いてるな」
「でしょうね」
遠くからでは見えない、魔法の炎だ。
ここまで近づけば別だが、もし夜間早馬などが街道を通っても、気付かれる事はないだろう。
「居るか?」
「はい」
多くの人の気配をルシェラは感じていた。
そして、灯りに近づくにつれて、魔法詠唱のような歌が朗々、響いてきた。
栄光あれ 栄光あれ
渦巻く輪は 永遠なり
我ら贖いて 許しあれ
偉大なる 御方の御手は
楽園の巡りに 加えたもう
森の中の開けた場所に、村中の人々が集まっていた。
大岩を丸ごと使った祭壇に向かい、神殿長が祈りを捧げ、居並ぶ村人たちはそれに習う。
ルシェラとイヴァーは木陰から様子を伺った。
辺りには薬品を焦がしたような悪臭が漂っていた。ルシェラにはそう感じられた。
「おい、あれ。お前が殺したバンデッドリンクスの皮だよな?」
祭壇に置かれたものを見て、イヴァーが囁いた。
彼が言う通り、大岩の祭壇の上には、カラカラに干からびた穴だらけの毛皮が安置されていた。
そこに、聖衣を着た村人が三人がかりで、巨大なタライを運んできた。
さらに射殺された鹿だの猪だのを引きずってくると、タライの中で大雑把に解体し始めた。
血と臓物が掻き出され、タライの中を満たしていった。
「獣の血肉……?」
まさか、とルシェラが思った瞬間。
おぞましい気配が大地より立ち上り、ルシェラは背中を冷たい手で撫でられたように感じた。
「祝福を……」
神殿長はカラカラの毛皮を恭しく取り上げると、血肉の中に浸けた。
変化は直ちに起こった。
血肉がボコボコと沸き立って、形を為し始めたのだ。
「オオオオオオ!」
獣の咆哮が森に響く。
血まみれの獣が、頭、前肢、胴体、後肢と順に、捌かれた獣の血肉によって身体を編まれながら這い出した。
村の者たちはそれを見て、畏れ、ひれ伏した。
「あの魔物……ハプシャル様とやらの御使いなのか?」
人族を見守る善き神々は、時に何らかの動物を御使いとして、人との関わりを持つ。
それと同じように、悪しき神々は魔物を御使いとするのだ。
己が使いの獣とあらば、邪悪な奇跡によって蘇らせるくらい、造作もないだろう。
「だとしたらハプシャル様とやら、まつろわぬ荒神・蛮神なんかじゃねえ。
確実に悪魔や魔神の類だ」
イヴァーの言葉は溜息にとても近かった。
裏の世界で仕事をしていたイヴァーの知り合いには、悪魔と契約した邪術師も居るだろう。そういう意味で彼は、一般人ほどは邪教への拒絶反応を抱かないのだろうが、代わりにその厄介さを知っている。
魔物は人族にとって不倶戴天の敵であり、悪神たちは魔物の庇護者。
しかし人は、時に様々な理由で、悪神に祈りを捧げる。これは世界の理を魔物の側に傾け、人族全体を滅びに向かわせる罪だ。少なくとも神殿はそう教えていた。
露見すれば重罪なのだが、それでも信仰したいと思わせるため、悪神たちは信徒たる者にしばしば大きな利益を与える。
故に邪教徒たちは強固な信仰を持ち、仲間同士で結束し、信仰を脅かす敵には神のご加護を武器に立ち向かう。それを敵に回すというのは、厄介なことなのだ。
「ひょっとしたら、あそこに俺らが居るはずだったのかもな」
血肉と臓物のスープを見ながら、イヴァーは呟いた。
好みは神によって異なるが、悪神が生贄を求めるというのも、ままある話だった。
いよいよ全身を再生させたバンデッドリンクスは、ぶるりと身体を震わせ、鮮血を払い飛ばす。
その目には邪悪な知性が感じられた。
神の手先として、己の為すべきことを心得ているが故の、邪悪な知性が。
「ヴルルルルル……」
獣は牙を剥いて唸り、四肢に力を溜めた。
「お、おお……お鎮めください、お鎮めください」
「グルアアアア!」
「ひっ!?」
雲行きが怪しいと察し、神殿長は即座に宥める。
だがバンデッドリンクスは全く意に介さず、神殿長を飛び越えて、参列していた村人の一人に飛びかかった。
「なんだ!?」
その場の誰もが。
ルシェラとイヴァーだけではなく、村の者らや神殿長までが呆気にとられていた。
若い男を押し倒したバンデッドリンクスは、その首筋に牙を突き立て、首の骨をへし折りながら頭をもぎ取ると、彼の腹部にかぶりついた。
「きゃあああああああ!!」
目の前で起きた惨劇に、悲鳴が上がる。
その悲鳴を合図にしたように、周囲の森からいくつもの声が上がった。
「ギィーッ!」
「ギギィーッ!」
本来こんな時間に起きているはずがない鳥の魔物の鳴き声が、羽音が、重なり合って響く。
黒い影が飛び交い、村人数人が額や肩を裂かれ、倒れ込んだ。
「ウオオオオオン!」
さらに狼の遠吠えが轟く。
吠え声は絡み合い、木魂のように響き合う。何匹もの狼が一斉にこちらへ向かっているのだ。
この地域に住む狼の魔物と言えば貪食群狼……強靱な肉体と恐るべき連携力を持つ狩人であり、小さな群れでも、この場の村人たちを皆殺しにするには充分過ぎる。
「とりあえず魔物を倒します!」
「助けるのかよ」
「犯罪者を裁くのは司直、邪教徒を裁くのは異端審問官です。わたしじゃありません!」
ルシェラは木陰から飛び出した。
薙ぎ倒されていた篝火が、大きく火勢を増す。そしてそこから分かれて飛び出した炎が、流星のように飛翔して、飛び交う魔鳥を貫いた。







