≪3-4≫ 心ばかりの
普通はどんな小さな村にも、神々に祈りを捧げるための神殿は存在する。
そして、都市のように堅牢な街壁と守備隊に守られていない農村は、魔物に襲われたとき、村民たちの避難場所としても神殿を使う。
そのためもあって、神殿の建設に当たっては専門の『神殿大工』が派遣され、ちょっとした砦のような堅牢で立派なものが築かれるのだ。
何しろ立派な建物なので、村への客をもてなすために神殿が使われる場合もある。
「冒険者様。魔物を討伐していただき、本当にありがとうございました。
これはささやかながら、村民一同からの感謝の気持ちです」
その夜、ルシェラとイヴァーは神殿に招かれていた。
質素ながらも清掃が行き届いている食堂は、神官のためのものではなく、式典などの際に使われる場所らしい。
山鳥や川魚、ナスやトマトなどの夏野菜を使った素朴なご馳走が並び、イヴァーには村で作られたらしい酒も供されていた。
席に着いた二人に向かって、神殿長と村長が揃って頭を下げた。
ルシェラが調査に来てはいるけれど、“黄金の兜”はまだ正式に依頼を受諾していない段階なので、報酬の支払いは発生しないのだ。
こういった場合、村側は幾許かの心付けを支払うものだ。
満額支払ってしまうと、実質的にギルドを通さない依頼となるので睨まれるが、多少なら大目に見てくれる。無報酬では危険な目に遭った冒険者が浮かばれない。
そのついで、お礼としてご馳走を振る舞うのも妙な話ではない。妙な話ではないのだが。
「村長様と神殿長様はご一緒なさらないので?」
「済みません、我々は事件の後処理もございまして……
可能なら同席し、お話を伺いたかったのですが」
並んだ料理は二人分。ルシェラとイヴァーの分だけ。
同席しない理由は分かるが、違和感はあった。
「いかがでしょう。何か気がかりな点などは」
「あ、えっと……じゃあ、お仕事とは関係無い事ですが、いいでしょうか」
ルシェラは嘘をついた。
今のルシェラの仕事は、依頼の予備調査ではなく、裏の事情を探ること。そのためには、この村を知らなければならない。
「あれは何です? 土地神様ですか」
ルシェラが平手で指し示したのは、食堂を見守るように棚に飾られた神像だ(神像を指一本で指すのは不敬に当たる)。
こうした農村の神殿で、特定の農耕神や天候神を手厚く祀っているのは、ままあることだ。
しかし、とぐろを巻く蛇の上にあぐらを掻いた、若者とも老人ともつかない男の形をしたその神像は、ルシェラの知識に無いものだった。
「ハプシャル様にございます。
この地にて命の流転を見守る、尊き御方。ハプシャル様は我らに永遠をお授けになる」
にこやかに、誇らしげに、初老の神殿長は答えた。
ルシェラが睨んだとおり、あれは土着の信仰だ。
神殿勢力が奉ずる『統合神話』の神々以外にも、神と呼ぶべき存在はこの世におわし、人はそこに信仰を見いだす。
その信仰は、教皇庁の審査を受けて悪しきものではないと認められれば、神殿に持ち込むことを許されるのだ。これを『認証異端』と言ったりもする。
「すると神殿長様は、この村のご出身で?」
「はい。聖都にて多くを学び、この村へ帰って参りました。
ハプシャル様の教えを知る者でなくば、この村の神殿長は務まりませぬからな」
「なるほど。興味深いお話をありがとうございます」
ルシェラは当たり障り無く会話を切り上げた。
閉鎖的な村にあっては、神殿も外界への窓口だ。神殿長ともなれば学があり、また、世界規模の組織に所属する身でもあるのだから。
しかし、この村はどうだ。
駐在衛兵は監視下に置き、神殿長は村の出身者。その構造を歪に感じ、危惧するのは、マネージャーの勘によるものだった。
こういう場所では、何でも起こりうる。
「では、どうぞごゆるりと……」
村長と神殿長が揃って辞去し、食堂に残されたのは二人。
イヴァーは料理に手を着ける前に懐中時計を開き、ルシェラにもそれを見せた。
文字盤の宝石は光っていなかった。
マジックアイテムによる監視などはされていないようだ。
それは決して、安全を意味しないが。
イヴァーはスーツの内ポケットから筒状のケースを取り出す。
中には灰銀色のナイフ・フォーク・スプーンが収められていた。
「マイ食器?」
「他人の用意したフォークで飯を食える奴の気が知れねえ」
イヴァーは銀のスプーンを、スパイシーな香りのトマトスープに突っ込み、さらにフォークで酒を一掻きした。
「ほらな。役に立った」
どちらも、美しい灰銀色だった食器は汚らしい黒に染まった。
イヴァーが持ち出したのはミスリル銀製の検毒食器だ。
毒、というか薬品類に反応して変色する食器である。
駐在衛兵が毒を盛られたという推測もあったことから、こういう展開もルシェラは予想していた。
しかし、本当にここまで直線的な手を使ってくるのかと、怒りを覚える前に呆れるほどだった。
そして最大の問題は、何故、こんな真似をしたのかという事。
イヴァーはフォークに付いた酒を、舌の先で舐め、味わう。
「……誘眠ポーション。槍角鹿の角を使うタイプの調合か。珍しい」
「分かるんですか?」
「毒の味は覚えておくといいぞ。特にお前はな。
その身体じゃ、毒なんか効かねえだろ? 味を知ってれば優秀な毒味役になれる」
そう言ってイヴァーは黒い丸薬を取り出し、飲み込んだ。
解毒薬か、身体の抵抗力を高める薬か、そういう類のものだろう。
ルシェラも用心しつつ少し、スープを口に含んでみた。
確かに奇妙なエグみを感じたが、それ以上に、舌が痺れるほどの塩気と辛みを感じた。
「うえー、めっちゃ味付けが濃い」
「毒の味を誤魔化すためだろう。いかにも味が濃い料理ってのは食う前から注意した方がいいぜ」
ポーションの力がどの程度作用してくるか。神経を張り詰めて魔力の流れを探りながら、一口ずつスープを飲んでいたルシェラだが、結局平気そうだったので食べる事に決めた。
毒が混ぜ込まれていようと料理に罪は無いし、美味しいものは美味しい。
ルシェラは貧乏性だった。
「今夜、秘密の儀式でもあるんでしょうか。余所者に見せられない、本来の信仰が」
「そしたら、余所者にはぐっすりおねんねしててほしいだろうな」
「でも、それだけじゃないはず」
ルシェラはスープを、イヴァーは酒を。
液体素材採取用の小瓶に入れながら頷き合う。
以前、駐在衛兵から隠すように葬儀が行われたという。
ならばそこに秘された信仰の形があるというのは、推測できる。だが、もしそれが当たっていたとしても、まだ部品が足りない。
「ああ。話が通らねえ」
「引き留めないで帰ってもらえばいい。
だいたい神殿で食事を取らせるのがおかしくないですか?
隠すべきものがある場所に余所者を招くなんて、気が進まないと思うんです。村長の家に招くなりすればいい」
当たり前だが、他人に毒を盛るのは犯罪だ。
権力者たちはいつの世も毒殺を恐れ、それ故、不当に毒を用いる者への刑罰は重い。
そうまでして村の者たちは、何をしようとしているのか。
「まだ何かあるな」
田舎の夜は暗い。
窓の外には塗りつぶしたような闇があった。
夜闇の中、昼間はうるさいほどに鳴いていたセミたちも静まりかえっていた。







