≪3-3≫ ある日、野原で
ギルドの調査では、村の近くでそれらしき魔物の足跡が発見され、蛮刃山猫の仕業であると断定された。
バンデッドリンクスは、山猫なる名にそぐわぬほど大きく力強く育つ。恐るべき鋭さの爪と牙を持つ肉食の魔獣だ。セトゥレウでも比較的多数が棲息している種で、度々被害が出ている。
本来は、食べきれない獲物を狩る事など面倒くさがる生き物なのだが、それが殺人を愉しむようになったとあれば放置できぬ問題だった。
マネージャーたちはひとまず、ギルドの調査をなぞっていた。
村を出て、午前中から蒸し暑い中を歩いていく。
「元は情報屋じゃなくて運び屋だったんだよ、俺」
何故だか会話の流れで、自然と身の上話が始まっていた。
イヴァーは好き好んで自分の話をするような人物ではないだろうとルシェラは思っていたが、語るべき時が来たのだとでもいうように、イヴァーはルシェラに対して言葉を惜しまなかった。
「最初はガキの使いだったけど、徐々にヤベエ物運ばされるようになってな」
「麻薬とか?」
「しょっちゅうだ」
「死体とかも?」
「運んだ。生きてるガキも運んだし、その仕事の方が死体よりヤバかった」
己が語る己の過去に、イヴァーは特に感慨を抱いていない様子だった。
彼の仕事の結果も含めて、イヴァーにとっては単なる過去の事実でしかないらしかった。少なくとも表面的には。
「確実に届けたい荷物は、みんな強い奴に預けるだろ。でも究極的には死ぬんだよ。通り道を予想して、大勢で待ち伏せするなり、もっと強い奴をぶつけりゃ殺せるわけだ。
だが俺は弱っちいはずなのに生き延びて、危ねえ仕事を完遂するもんで有名になった」
「どうやって生き延びたんです?」
「……想像力、だな。
俺を殺したいのは誰か、そいつは今何を考えてるか……そういう想像力を持つしか身を守る手は無かった」
イヴァーはその悟りを言葉にするまで、寸の間、考えた。
もしかしたら彼にとって、こんな話を誰かにするのは初めてだったのかも知れない。
「そんな仕事をしてるうち、あっちこっちに顔が利くようになってな。
ある日気付いたのさ。人脈を使って情報を右から左に仲介する方が、安全にガッポリ稼げるって。
……ああ、表向きの顔として冒険者マネージャーになったのもその頃だった」
どれほど危機回避能力に自信があったとしても、このままではいつか死ぬとイヴァーは考えたのだろう。
だから彼は少しでもマシな環境を求め、情報屋になった。
結果としてマルトガルズに居られなくなったとしても、それは死ぬよりマシなはず。
そして、イヴァーの話はそれっきり。
饒舌にも思えたが、彼は必要充分以上に語る気は無いようだった。
「お前は?」
「出身はタッカです」
「ああ……」
その一言だけで多くが伝わった。
ルシェラは……かつて存在した■■■■■という名の男は、タッカという国の出身だった。
それは二十年と少し前に、マルトガルズ帝国に征服され、併呑された国だ。
「じゃあマルトガルズの『帝国民化教育』を受けた世代か」
「まあ……お陰でちゃんと教育を受けられたのは感謝してますよ、一応」
マルトガルズ帝国は、当代にして初代の皇帝であるリチャードが、戦争に次ぐ戦争の果てに一代で築き上げた超大国だ。
かの帝国は、侵略・併呑した国の支配体制を粉々にして、帝国の一部として組み込む効果的な仕組みを作り上げたからこそ、貪欲なスライムのように全てを喰らって巨大化し続けた。
侵略先の子どもたちを帝国の教育制度に組み込んでいくのも、その作戦の一環であり、お陰で■■■■■は神殿が無償で運営する神殿学校だけでなく、応用学校まで出ることができたのだ。
「そしたら大学を出て官吏になる道もあったろ。お前勉強得意そうだし」
「馴染める気がしなかったんです。
それに、官吏になっても任地は地元でしょ?
……帝国に重用されて出世するのは、地元に家族が居て、地元の有力者と縁を作れる人です」
「居ねえのか」
「激戦地の出身なもので。家族に親類縁者、みんな物心着く前に戦争で死にました」
同情された事もあるが、■■■■■は、特に寂しいと思った事もなかった。
顔も知らず、記憶も無い家族など、最初から居なかったのと同じようなものだ。家族が居る者と自分の境遇を比べ、損をしたと思うことはあったが、それだけだ。
「んで、なんでまた冒険者マネージャーになったんだ?」
「ジゼルのためだったんです。
ジゼルに出会ったとき、わたしは命を救われて……
その恩を返せれば、って」
「ああ、なんか分かった。そういう関係だったんだな、お前ら」
何事か納得した様子でイヴァーは頷いていた。
それから、意地悪く笑う。
「損得だの貸し借りで考える事しか知らなかったわけか。
ジゼルさんとやらに窘められた事、無えか?」
「うっ……」
「社会ってなぁ、そういう場所だよな。大勢の人の利害が釣り合って発展していくわけだから、貰った分だけ返すのが『信用できる奴』って事にされる。
お前は初手からそこに放り込まれちまったから、損得勘定を超えてくる奴に対してどうすりゃいいか分かんなかったんだろ」
ルシェラが自覚している部分も、無自覚だった部分もまとめて、イヴァーは抉ってきた。
イヴァーは先程、『想像力』と表現したが、つまりはこういう事だ。
人というものに対する深い洞察と、他人への観察眼によって彼は生き延びてきたのだろう。
今の言葉はイヴァーにとって、簡単な問題の答え合わせに過ぎない。
ルシェラは、恥ずかしいやら憮然とするやらだ。
「それでまた、命を救って救われて、ってやってるわけだよな。
クグセ山の女王に対しても、そのつもりか?」
イヴァーの言葉は容赦無い。
彼は他人の愚かしさに対して配慮しない質だ。
「……ママはわたしのためならなんでもすると思うし、わたしも同じ気持ちです。
貸し借りじゃないんです。わたしは……ママが大好きだから……」
絡まった糸を解きほぐすように、ルシェラは己の心情を述べた。
恩の貸し借りと似ているようでいて、これは全く違う。ルシェラはもう、カファルとの間に算盤を持ち込む気は無かった。
答えを聞いてイヴァーは、口の端を吊り上げて静かに笑う。
「良い顔するようになったぜ、お前。
甘ったれの幼女の顔だ」
「……褒めてます?」
「褒めてる褒めてる。成長したっつってんだよ。
赤ん坊未満の空っぽ野郎よりは、そっちの方が良い」
イヴァーは楽しげだったが、子ども扱いされているようにしか思えず……そしてそれが、あながち間違いではないように思えて、ルシェラは溜息しか出なかった。
「俺だって、実の親は酷え奴らだったが、スラムの兄貴にゃ損得抜きで良くしてもらった…………」
イヴァーの言葉が途切れ、彼は足を止めた。
同時にルシェラも気付く。
……いや、ルシェラがそれに気付くタイミングで、イヴァーさえも気が付いたと言うべきだろうか。
本来であれば、戦いに習熟したルシェラの方が、敵の気配を読むなどの感覚面では優れているのだが、相手が隠れもせずに近づいてくるならイヴァーも気付こうというもの。
「おい、あれ」
「はい」
「いきなり大当たりかよ」
夜行性の筈なのに、白昼堂々。
本来は奇襲・待ち伏せ型の狩りをする魔物なのに、藪や木陰に隠れることすらせず。
林へ至る、野原の小道に、それは姿を現した。
バンデッドリンクスの中でも最大級に成長した個体だ。
大きさも、体つきも、猫と言うより虎の如く逞しいものだった。
牙を剥きだして、興奮のあまり涎を滴らせ、いつでも走り出して飛びかかれるよう身を低くした姿勢で、そいつは真っ直ぐ近づいてくる。
何故だか、毒物を焼き焦がしたような鼻の奥まで貫いてくる異臭をルシェラは感じた。
吐き気を覚えるほどだ。
「酷いニオイ……」
「ニオイ?」
イヴァーは呟きつつ、ルシェラの陰に一歩下がった。
「グオオオオオオオ!!」
魔獣が唸り、走り出した。
太い四肢で大地を踏み鳴らし、目を爛々と光らせて。
猛進する。猛進する。
爪と牙を剥きだして、それを獲物に突き立てようと。
「ギッ!?」
だが、その猛進は止まる。
透き通った氷の槍が地より突き出し、バンデッドリンクスを串刺しにしたのだ。
腹から背中まで貫かれ、宙吊りにされた猛獣は、なおも足掻く。
氷の槍は、ガラス細工のように繊細な外見とは裏腹に頑丈で、傷口が広がっただけだった。
鮮血が、氷の槍を伝って地に流れた。
その名によって、火竜と水竜の娘として世界に規定されたルシェラは、火と水の因子を操れる。
『水の国』セトゥレウは水の力に満ちており、ルシェラが望むだけで力を表出させ、敵を討つ武器となるのだ。
地より湧き上がる力は、バンデッドリンクスの肉体をさらに侵蝕。
魔獣の肉体は宙吊りにされたまま、爆発した。
「秒殺かい」
一部始終を見ていたイヴァーは、半ば呆れた様子で呟く。
血液も含めた体内の水分全てをルシェラの制御下に置かれたバンデッドリンクスは、宙吊り状態のまま、イガグリの棘の如き無数の氷の刃に身体の内側から貫かれていた。
もはや、カラカラに干からびたボロ雑巾状態の死骸が、血と水からできた氷の華に引っかかっているだけだ。
セミが鳴いていた。
短い命を燃やし尽くすように。
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