≪3-1≫ 悪夢の潜む村
獣を追い返す程度の土塀が、広大な水田地帯を囲んでいた。
城郭農村としては平均的な、魔法で作られた農地用の防護壁だ。魔物がやってきても、農作業中の者が逃げ出すための猶予を作ってくれるだろう……数十秒程度なら。
セトゥレウは夏の盛り。
燦々と照る太陽の下、まだ緑色の稲が、輝く水面の田に並んでいる。
短い命を燃やし尽くすようにセミの鳴く声が、どこからか響いていた。
田んぼの間の道は、雨でぬかるんだまま轍を付けられては幾度も固まったのか、デコボコだ。
そこを一台の高速馬車が飛ぶように進んでいた。
やがて行く手に、農地用の防壁よりは遥かに堅固で小さな、村壁が見えてきた。
材木を組んで金属で補強した、一丁前の落とし門が村の入り口だ。門の両脇は、クグトフルムの街壁門塔ほど立派ではないものの、ヤグラ状の見張り台になっていた。
「……身分証があれば提示を。村に何の御用ですか?」
馬車が門前で一時停止すると、弓を手にした青年がやぐらから降りてきて、問うた。
その言葉は、どこか刺々しくて警戒的だった。
こうした農村の者が余所者に対して警戒心を露わにするのは、珍しくもないことだ。まして、借りるだけでも結構な金が掛かる高速馬車なんかで乗り付けるような怪しい奴に対しては。
しかし、それ以上の何か……違和感としか言えないものを、馬車から降りた男は感じていた。
「マクレガー冒険支援事務所、代表のイヴァー・マクレガーと申します。
冒険者パーティー“黄金の兜”より要請がありまして、依頼の予備調査に参りました」
違和感を覚えるとも、それを態度には出さず、炎天下でもダークスーツ姿のイヴァーはにこやかに応じる。
そして冒険者証を提示した。
「“黄金の兜”? マネージャーだという少女が既に村に来ていますが……」
「ええ、彼女からの協力要請です。こちらは冒険者ギルドを介した依頼となりますので、疑いあらば、クグトフルムの冒険者ギルド支部までお問い合わせください」
イヴァーは笑顔によって威圧した。
冒険者ギルドの名には、信用がある。
と言うか、冒険者ギルドの存在無くして生活が成り立たないというのは、田舎の者ほど感じていよう。
村の近くに強い魔物が棲み着いたら、駆除しなければ仕事もできない。村の青年団では脆弱な村壁を守り切れず、村に魔物が入り込んでしまい、神殿に立てこもって冒険者の助けを待ったことも、彼らの人生で一度や二度ではないだろう。
信用できるとかできないとかの次元の話でなく、冒険者ギルドとは、彼らにとって生活の仕組みの一部なのだ。
「……よろしい。どうぞ」
青年はようやく、イヴァーを解放する。
元よりイヴァーが村へ立ち入るのを止める権利など、彼には無い筈なのだが、イヴァーもその事には触れずにおいた。
高速馬車は滑るように村の中を進み、食堂兼酒場兼宿屋を見つけると、その前で止まった。
「イヴァーさん!」
イヴァーが馬車を降りるより早く、宿から飛び出してきたのは、赤く鮮烈な姿の少女だ。
少女の普段着としてはありがちな、素朴な革ベストとワンピースの服装だが、炎のように赤い髪だけでも輝かしく非凡な存在感を発揮している。老若男女問わず、擦れ違った者を振り返らせるような可愛らしい容姿をしている彼女だが、圧倒的な気迫に満ちているようにも思われ、むしろそれによって見る者の印象に残るだろう。
イヴァーにとっては同業の友人だった■■■■■……今はクグセ山のレッドドラゴンの養女、名も改めてルシェラという。
彼女がイヴァーを呼んだのだ。
「急に呼び出しちゃってごめんなさい」
「それは気にすんな。金が出るなら仕事だ。
……だが何故、俺を呼んだ? あんな短い通信文だけじゃ分かんねえぞ」
「わたしだけじゃ、手に負えないと思ったんです」
ルシェラは冒険者パーティー“黄金の兜”に、マネージャーとして加入した。
今の彼女がマネージャーを名乗ることには大いなる疑問があるが、少なくとも今回の彼女は、真っ当にマネージャーの仕事をしに来ている。
パーティー宛の依頼について、事前に現地調査をしにきているのだ。
「依頼は、村民を殺した魔物の討伐だったな」
「はい。ギルド側の事前調査では、ネームド級の『覚醒体』ではないかと」
『魔物』と一口に言っても、内実は色々だ。
魔人族や巨人種、ゴブリンなども含む、知恵があり社会を築く魔物は『魔族』と呼ばれる。
そして、そんな魔族たちは、対人族用生体兵器として多くの『魔獣』を生みだした。
魔獣たちは今となっては野生化したものが多く、大自然の中で好き勝手に生きているが……
彼らは時に、遺伝子に刻まれた己の本分を思い出す。
人を殺すことに悦びを覚えるようになるのだ。
そんな目覚めた魔物たちは、選好的に人を襲うだけではなく、日々を生きる中では不要な潜在能力を開花させ、さらに重篤な脅威となる場合もある。
「つってもよお……ぶっちゃけ、強い魔物が居るだけなら仲間すら呼ぶまでもねえ。
お前一人でぶちのめして解決だろ?」
「ま、まあ、身も蓋もない話をするなら、確かに……」
クグセ山でレッドドラゴンの竜気を喰らって強大な力を手にした『変異体』すらも狩りの獲物としてきたルシェラには、覚醒体ごとき目ではない。単独でも赤子の手を捻るように倒せるだろう。
だからそもそも、事前調査の必要があるかどうかさえ疑問なのだ。……普通なら。
「何か、あるんだな?」
イヴァーは、ぐっと声を低く重く硬いものにした。
そも、冒険者ギルドを通した依頼は、ギルドの調査員が予備調査を行うものだ。依頼者が要人であるとか、ある程度以上の脅威が見込まれる場合は絶対に。人死にが出ているわけなので、この一件に関しても、もちろんギルドの調査があって、その上で“黄金の兜”へ依頼されたのだ。
なのにルシェラは、わざわざ自身が予備調査に出向いた。
さらに己の目と耳で情報を得て……助けが必要だと感じた。一流冒険者ではなく、一流の調査員の助けが必要だと。
「調査書の最後に書かれていた、『住民が非協力的である』という趣旨の一文……
あれを読んだ後だと、別の絵が浮かぶと思いませんか。神殿からの聴取についてとか」
ルシェラは当然のように、イヴァーが調査報告書を一字一句読み込んでいる前提で話をする。
そしてもちろん、イヴァーに抜かりは無かった。
ギルドの調査報告には、服の裾のほつれみたいな、微かな違和感があった。
ルシェラも同じように感じていて、依頼を達成するためではなく違和感の正体を突き止めるため、マネージャーとして調査に赴いたのだ。
「だいたい、こんなセトゥレウの西の端まで“黄金の兜”を呼ぶのがちょっとおかしいんです。
クグセ山の戦いに関わったって噂が流れて、依頼が増えてるのは確かですけど……
急を要するなら地元で力のあるパーティーを、それこそ“炸裂リンゴ団”辺りを呼べばいい」
「なるほどなあ……」
「荒っぽい例を出すなら、私刑で死んだ者を魔物の犠牲者としていた事例もあります」
イヴァーはルシェラの考えを、妄想とは思わなかった。
陰謀など案外どこにでも転がっているものだと、闇の情報屋をしていたイヴァーは承知している。
まして、知識と経験に裏付けられた勘というのは、しばしば正鵠を射るのだ。
「そしたらそれこそ、調べるのは依頼を受けただけの冒険者の仕事じゃないと思うが」
「放置はできませんよ。そんな偽装工作に“黄金の兜”を使うなら、思い知ってもらわないと」
「村民が殺されたときの状況について、駐在衛兵は何か?」
「話は聞きましたが……」
ルシェラは難しい顔をした。
どう説明すべきか悩んだ様子で。
「一緒に話した方が早いでしょう。来てください」
セミが鳴いていた。
短い命を燃やし尽くすように。
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web版の第二部が元ですが、今回も情け容赦無い改稿によってブラッシュアップしております。
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