≪2-9≫ 航路に道標を
【#3118
『薬』が尽きて一ヶ月。
よく保ったと思う。
折角、皆が私のために『薬』を残してくれたのに
私一人、生き延びて助けられることも叶わなかった。
もしかしたら船の外ではもう人が滅んでいて
私が最後の一人になってしまったのだろうか……
最初はそう考える度に怖くなったけれど
今はもう、そういうのも悪くないかと思ってる。
秘匿すべき記録は緊急時プロトコルに従い、全て破棄した。
そして最期に私は、この船に誰でも入れるようにした。
それが人でも、ドラゴンでも。
これは私のワガママだ。本当はこんな事、しない方がいいのだろう。
だけど私は、閉ざされた箱庭の中でミューが朽ち果てるなんて嫌だった。
ほんの少しでも希望が欲しい。
誰かにミューを見つけてほしい。
たとえ、この戦争で人が滅んだとしても、ドラゴンに見つけてほしい。
ドラゴンたちは珍しいものを愛するという。ミューを気に入ってくれるかも知れない。
ミューは、この船のエネルギーコアが健在である限り……きっと何百年も生きる。
きっと、いつかこの船が誰かに見つかるまで、生きているはず。
どうか彼女に、良き出会いを。
彼女に素晴らしい第二の人生を。
記録者:ジェイミー・ハッカソン】
――以上、グファーレ国立古代遺物研究所にて復元された記録より。
* * *
空は晴れていた。
どこか遠くで豪雨や竜巻も起こっているようだが、今ルシェラが居る場所は晴れていて、銀砂を撒いたような美しい星空に黄金の満月が浮かんでいた。
打ち寄せる波は、眠気を誘うような音を立てて千々に砕ける。
『ふう……』
海上にぽっかり浮かんだ、黒くて四角い船の上。
四角形の縁に座ったルシェラは、ぶらりぶらりと足を揺らして、空を見ていた。
右、左、前、後、どこにも陸地は見えない。嵐に煙る水平線があるだけだ。世界は丸いと言うけれど、どうやらそれは真実らしい。
『周り全部海。いつの間にかずいぶん流されてたみたい……』
どんな技術によるものか全く分からないが、船の中に居る間、ルシェラは全く揺れを感じなかった。
しかし、考えてみればあの船は、錨も降ろしていなかったのだ。
四角い船は嵐に揉まれて海の彼方まで流されていた様子で、船の外に出てみれば陸地など影も形も見えなくなっていた。竜気は感じないので、少なくとも現在地は、どこかの群れの縄張りではないようだが。
現在地を特定する機能くらい船に仕込んでありそうな気もするのだが、もちろんルシェラには使えなかった。理解していないものに触れるのは危険だ。うっかり自爆装置のスイッチを入れてしまったりするかも知れないから。
そうなると、星でも見て自分の居場所を確認するしかない。
一応ルシェラは星の読み方の知識を持っていたが、それを実際に使った経験は無いので、上手くいくかは不明だ。
ルシェラはなんとなく身体を倒して寝転ぶ。
美しい星空が視界いっぱいに広がり、塩辛い風が頬をくすぐった。
幻影劇でも見た後のような、ふわふわした虚脱感があった。
だがこの物語は想像力の産物ではなく、確かにこの船で過去に起きた出来事なのだ。
そう思うとルシェラは、身動きも気怠いような心地になった。
『ルシェラ。この場所を報告したとしても……冒険者ギルドの人は、ここまで来れるのかしら?』
カファルの大きな顔が覗き込んできて、月が欠けた。
『一応報告はするけれど、人の手でこれを見つけて回収するのは大変だと思う。これからどこに流れていくかも分かんないし』
『そうね。どこかの群れに回収される方が先かも』
『収納アイテム、もうちょっと持ってくれば良かったかなあ……』
腰のポーチを見て、ルシェラは悔やむ。
ドラゴンの狩り場に大荷物を持ってきたところで、徒にアイテムを失うだけなので、身軽な状態でやってきたのだ。
ポーチは収納用のマジックアイテムなのだが、元が小さなポーチでは、魔化したところで収納量はたかが知れている。
この中に収められた遺物は、船全体からすれば僅かだ。
ドラゴンらしく、珍しく価値ある物を好むカファルも、勿体なく思っているようだった。
彼女の魔法力であれば、アイテム無しでも収納魔法で結構な容量を確保できるのだが、収納魔法は負荷が重い。まして今は手負いである。
これから魔境の空を飛んでクグセ山に帰ろうというのに、大荷物を抱えているわけにはいかないのだ。彼女にはお宝よりも、ルシェラの方が大事なのだから。
途中で捨てることになるかも知れないお宝なら、船の中に置いておく方が、またいつか出遭う希望を持てる。それが長い刻の尺度で物事を見る、ドラゴンの考えだった。
『……ま、いっか。早く帰ろう。このままじゃ世界の反対側まで流されちゃいそう』
『そうね。晴れてるうちに飛び立った方が良いわ』
カファルがすっと上体を伏せて、ルシェラは背中によじ登った。そして鬣を掴むと、カファルは翼を広げ、羽ばたかせる。
打ち下ろされる風によって海面が波立ち、次の瞬間には太陽が近づいて海が遠ざかっていた。
ルシェラはしばし、無言だった。
ゆったりとした深紅の鬣の中に、ルシェラは深く潜り込んで、絡み付いた。
『あら、どうしたの?』
『なんでもない』
『……ふふっ』
炎の鼓動を感じる背中に、ルシェラはぴったりしがみつく。
ルシェラの気持ちを言葉から感じ取ったようで、カファルは火の粉混じりの笑いをこぼした。
他人の人生を覗き見て、それで何かが解決したような気分になるのは、間違っているのかも知れない。
だとしてもルシェラは思うことがあった。
誰かを想う気持ちが、時を越えるほどに強いのなら、確かなものはここにある。
何も無い海を行く者らは、星を読んで己の居場所を知るという。
空はまだ晴れていて、ルシェラは星を見ていた。クグセ山まで一日はかからないだろう。
*
庭園には静けさが戻った。
警備ゴーレムの残骸が散らばり、地面はブレスによって焼け焦げひび割れていたが、静かな庭園にただ一件の家は無事だった。あるいはゴーレムたちが、この家を巻き込まぬよう戦う場所を選んだのかも知れない。
朽ちかけた家の中には、二人用のベッド。
並んで横たわるのは、壊れた人形と少女の骸。
その手は結び合い、眠るように安らかに。
第三部エピソード2はここまでです。読了感謝!
引き続き第三部エピソード3をお楽しみください。







