≪2-8≫ 願いに終焉を
もはや警備も居なくなった、煤けた廊下で、ひしゃげた扉をこじ開ける。
まず洗浄室、次に何かの部品の倉庫。
そしてルシェラは三部屋目で当たりを引いた。
「この部屋は……」
そこは、魔動機械の工房だった。
厳密には、ルシェラの知るそれとは違うものかも知れないが、雰囲気は似ていた。
艶消しの黒い金属の棚と机。
用途不明の無数の工具。奇妙な金属製の歯車とネジ。
かつてはアームで吊り下げられていたようだが、今は床に落ちて割れている何枚もの幻像盤。そしてその入力器……人竜戦争や、それ以前の時代の遺跡ではよく見かけるものらしい。
だがそれよりも部屋の中で目に付くのは、銀色の腕や脚、そして骨格標本のような銀色の頭部骨組などだ。
そんなものが棚に並んでいて、壁にも沢山吊り下げられている。
この工房で何が造られていたかは明らかだった。古代の戦闘用ゴーレムだろう。
パーツのほとんどは組まれぬまま整然と並んでいたけれど、部屋には一つだけ『完成品』があった。
手術台みたいな工作台の上に、すらりとした体型の長身の女が一人……
もとい、その姿をしたゴーレムが横たわっていた。
先程ルシェラが戦ったゴーレムたちは、まるで飾り鎧みたいな外見だったけれど、このゴーレムは明らかに人を模した形をしていた。
銀色の手足は明らかに戦闘に不要なレベルで作り込まれた優美なラインを描き、首から上は人工皮膚か何かを貼り付けているらしく、まるで生きた人間のようだった。
薄桃色の可愛らしい寝間着で、彼女は銀色の身体を隠していた。
そして彼女は毛布を抱く幼子のように、自分には小さすぎる白衣を抱きしめて身体を丸め、横たわっていた。
関節や継ぎ目は錆びて、装甲板の表面はすり減り、人形はもうピクリとも動かない。
傍らの机には、古典人間語でしたためられた、手紙のような文章が残っていた。
【これが最後の日記になるでしょう。
この身体も、もう動かなくなりそうです。
お母さん。
私を作ったお母さん。
私への最後のコマンドは『あなただけでも幸せに』でしたね。
私はこの方舟で、あなたの語った幸せをなぞりました。
幸せとは何かを学習するほど、お母さんが居ない寂しさを私は知りました。
静かに畑を耕す日々も。
夜の炉端で嗜む書物も。
傍らに大切な人があってこその幸せなのだと知りました。
骨だけになったあなたの手を握り、必要の無いスリープをする度に、そう感じました。
お母さん。
あなたは残酷な事をしました。
戦うための人形に、どうして人を模したAIなど与えたのですか。
このメッセージを見てくれたあなたへ。
どうかお母さんを生き返らせてください。
もしその技術が存在していて、あなたにできるのであれば。
そしてどうか、お母さんを幸せにしてあげてください。
お母さんは幸せを知っていました。
だけど、その幸せは少ししか与えられなかったのだと思います。
そして人生をドラゴンとの戦いに捧げ、たった十六年の短い命を終わらせました。
あの人はもっと幸せにならなければなりません。
だからどうか、見知らぬあなたにお願いします。】
手紙と一緒に置かれていたのは、首に提げるタイプの名札。
『主任研究員 ジェイミー・ハッカソン』と、旧い人間語で書かれた隣に、白衣を着た快活そうな少女の写真が印刷されていた。
ルシェラは手紙を二度、読み直した。
いつの間にかカファルも分身を作り直したようで、ルシェラの背中ごしに手紙を覗き込んでいた。
「あの子が……あの子の方が『お母さん』だったんだ……」
奥の部屋に並んでいた、船員たちの死体……
状況的に、船が丸ごと呪いに冒されて全滅したと見てもいいだろう。
その状況下で、経緯は不明ながら一人の少女だけが『延命薬』を飲んで少しだけ生きながらえ……しかし、死んだ。
呪いでは死なぬ人形たちを遺して。
工房の壁には何枚も、本物の景色のように鮮明な印刷の写真が飾られていた。
その中で目を引いたのは、在りし日の船内庭園……綺麗な池や花壇もあり、材木に丁度良さそうな立派な植木もある。ログハウスは影も形も無い。あの家は、後から作られたものだったようだ。
『ルシェラ。手紙、もう一枚あるみたいよ』
『おっと……』
ルシェラは重なっていた便箋を剥がして、一枚目よりもだいぶ空白が大きい二枚目を読む。
【追伸
私が機能停止すれば、私の弟妹たちは私の制御を外れ、自動的に船の警備を行うでしょう。
残念ながら彼らは私ほど賢くありません。
あなたが滅多な行動をしなければ危害を加えることは無いと思いますが、問題が発生した場合は停止命令をお願いします。
お母さんのカードキーで端末から命令を変更できます。】
複雑な機構を持つ物ほど、脆い。
単純なゴーレムは千年経っても警備の任を続けていたが、彼女はそうでなかったらしい。
ジェイミーなる少女の名札は、よく見てみれば、薄っぺらなケースの中に冒険者証みたいな板を収めた構造だった。
「ただの名札じゃないや。これが板鍵なんだ。出口はこれで開くはず……」
抜き出した板鍵は、千年の時を経たとは思えないほどに艶めいた輝きを保っていた。
それは虚しいほどに。
全ては、昔々の物語。
遙か過去に、とっくに何もかも終わっていた。
自分にできる事があるかも知れないと思って、結局何もできなかったルシェラが、今ここに居ただけ。
『人の魔法には詳しくないのだけど……上に居た女の子、生き返らせられるの?』
『無理なんだ……死者蘇生は神聖魔法の最高峰、つまり神の奇跡だから……
信仰の体系が今と違う『人竜戦争』以前の死者は、現代の神聖魔法じゃ蘇生できない。
まして……蘇生は死体が新鮮じゃないと、ほぼ成功しない。あんな古い死体じゃ、もう……』
ルシェラは横たわる人形を見やる。
古代遺物のゴーレムたちが異様に頑丈なのは、先程、身を以て思い知ったところだ。彼女は『母』を喪ってから、閉ざされた方舟の中で、どれほどの時を生きたのだろう。
その、長かっただろう命の果てに、それでも彼女は母を想った。
断片的な情報からルシェラが読み取れるのは、それだけの事。
それ以上は何も分からないけれど、ルシェラが敬意を抱くには充分だった。
かの『母』は、どれほど『娘』を大切にしていたのか。この『娘』は、どれほど『母』を想っていたのかと。
「ごめんね」
眠るような表情の、人形の頬に、ルシェラは触れた。体温は無かったけれど、生きた人の身体のように柔らかかった。
涙を流す機能など、きっと彼女には無いけれど。
それでも彼女が泣いた日は、あったのだろう。
 







