≪2-7≫ 方舟に平穏を
【#2858
皆が落ち着いているのは良い事だ。
パニックが起きてはいけない。
『薬』の分配について話し合われた。
全員が助かる可能性を信じて均等に分配するか、誰か一人でも長く生き延びるべきか。
話し合いは意外なほどすぐに終わった。
若い者が生き延びるべきだと、皆が言った。
通信は未だ回復しない。
記録者:ジェイミー・ハッカソン】
* * *
ずん、と船全体が震えた。
強靱な爪を備えた太い脚が、床の上に厚く盛られた土を踏みしめ、丸木のような尻尾が辺りを薙ぎ払う。
それを飛び越えた銀色の人型が、腕から発生する光の剣を閃かせ、深紅の巨体に躍りかかる。
だが、ゴーレムは何の前触れも無く空中に発生した爆発で叩き返さた。煙をたなびかせながら弾んで受身を取り、ゴーレムは体勢を立て直す。
しかし、その隙に反対側から別のゴーレムが攻撃を仕掛ける。
鋭く踏み込み、撃ち出される矢のように跳躍し、光の剣が鬣を斬り裂いた。鬣と一緒に生えている、背中の放熱角が一本切り飛ばされ、ふわりと血が舞った。
「ガアアア!」
咆哮。
そして、薙ぎ払うブレス。
だがその効果は限定的だ。八体ほどのゴーレムが完全な連携によって包囲している状況で、カファルはその全てを同時に牽制しなければならない。必然、一体一体への負荷は手緩くなる。多少のダメージを負いながらも、ゴーレムたちは損害を最小限に留め、包囲攻撃を継続していた。
『ママ!』
戦いの音を聞いてルシェラが庭園に戻ってみれば、一体どこから湧いて出たのか、先程のものと同じ戦闘ゴーレムがわらわらとカファルに集っていた。
『ルシェラ! 来ないで、危ないわ!』
『そうもいかないでしょ!』
ルシェラは屈み、地面を撫でる。
盛られた土が赤熱して蕩け、そしてすぐに固まり、剣の形の岩となった。
普段は容易いはずの、たったそれだけの力の行使が、まるで糊でも掻き回しているように重かった。
――この場所、自然界の力を遮断してる? これじゃドラゴンの力は十全に使えない……!
ドラゴンも人と同じで、決して無尽蔵にエネルギーを生成できるわけではない。
ある程度なら己の身の内にも蓄えられるが、結局は外部からの吸収が重要になる。
だが、その源である、荒ぶる大自然のエネルギー……壁一枚隔てた外には潤沢にある筈の『ロウ・マナ』が、この場所では非常に希薄だった。
この場所が人竜戦争期に建てられた船であるなら、ドラゴンの攻撃に対する多少の防御力を備えていて当然だろう。その機構がロウ・マナを遮断しているのだ。
これでは本物のドラゴンであるカファルも、何度ブレスを吐ける事か分からないし、威力も信用ならない。
『わたしが助ける!』
溶岩石の剣を抱え、ルシェラは掛けだした。
その動きにゴーレムたちは反応した。
ただし、ルシェラの予想とは違う方向で。
【危険 です 退避 して ください】
抑揚が存在しない、無機質な声音で、ゴーレムのうち一体がルシェラに警告する。
ルシェラにも理解できる、古典人間語だった。
「えっ……?」
【退避 して ください 誘導 いたします】
ゴーレムのうち一体が包囲の輪から外れ、ルシェラの方にやってきた。
それはカファルとルシェラの間に立ちはだかり、感情の無いスリットアイで見下ろしてくる。
「ガアッ!」
一旦、後肢だけで立ち上がったカファルは交差させるように両前肢の爪を振り下ろす。
狙い澄ました渾身の一撃で、戦闘ゴーレムの一体が濡れた紙みたいに装甲を引き裂かれ、スクラップになった。
隙ができることを承知で敵の頭数を減らしに掛かったのだ。
もちろん、ゴーレムたちはこれを見逃さない。光の剣がカファルの脇腹を斬り裂き、さらに一体はカファルの巨体を駆け上がって首裏の逆鱗を狙った。
長い首を鞭のようにしならせて、それで体勢を崩したゴーレムを、カファルは尻尾の鞭で叩き落とした。
【非常 シェルター に 向かって ください】
「邪魔……!」
【非常 シェルター に 向かって ください】
立ちはだかるゴーレムを、反射的に攻撃しかけて、ルシェラは思いとどまる。
ゴーレムは手から光の剣を消していた。
そして、全く攻撃的に思えない緩慢極まる動作でルシェラに手を伸ばすと、軽々と抱きかかえてしまった。
【誘導 いたします】
ルシェラは、攻撃を受けるよりも逆にぞっとした。
人間扱いされている。
ドラゴンとの戦いに巻き込まれた民間人の少女として、保護しようとしている。
脇腹にぬるりとした感触。カファルの返り血を浴びた手で、ゴーレムはルシェラを抱えていた。
怒りとも悲しみとも言い難い、やるせない感情がルシェラの胸を満たした。
だが、ルシェラは激情を抑え込んで、努めて冷静に状況を分析した。
今、頭の中に存在するべきなのは、目の前の問題と、その解決策だけなのだ。
『ママ!』
運ばれながらルシェラは叫んだ。
『わたしを攻撃して! 殺すつもりで!』
『ええ!?』
『早く! 絶対に大丈夫だから!』
ドラゴン語は、感情や意味合いまで言葉に乗せて伝える。
詳細な思考や、意図するところまで伝わるわけではないが、意思疎通の齟齬は起こりにくい。
ルシェラが閃きと確信に基づいて判断した事は、カファルにも伝わったはずだ。
包囲を受けて周囲を牽制するばかりだったカファルが、一歩踏み出した。
火竜の双眸が、焔色の残光を引く。
やはりカファルは本気の殺意などルシェラに向けられないようで、打ち寄せる重圧は緩いものだったが、それでも強大なドラゴンが自分に向かって抱いた攻撃の意思は、背筋を凍らせるに充分だった。
【危険 です 危険 です】
ルシェラを抱えたゴーレムは、走る。
継ぎ目のない黒い壁だと思っていた場所がぽっかりと開いて、その先に銀色に輝く部屋があった。ルシェラはそこへ運ばれていく。
カファルは、追う。灼けた土を踏みしめて猛進する。
牙の間に灼熱の炎が輝き、投げ槍のように細く鋭く研ぎ澄まされたブレスが一閃。
ゴーレムの足下を狙ったブレスは銀色の左足の太ももを焼き溶かしつつ捻り切った。
「わっと!」
ゴーレムが転倒したことで、ルシェラは地面に転がった。
ただしゴーレムはそれでもルシェラを離さず、抱き込んで受身を取ることで衝撃から守った。
【危険 です 注意 して ください】
ゴーレムたちはまるで、同じ人の指であるかのように、不気味に整然と連携していた。何らかの手段で思考を共有しているのだろう。
半分が回り込んでカファルの前に立ち、残りは背後からカファルに襲いかかる。
その動きは……先程までよりも切羽詰まっていて、性急だ。
「グルアアアアア!!」
蛇の如き炎が、カファルの周囲で渦巻いた。
熱だけではなく仮想質量を備えた炎によって打ちのめされ、襲いかかるゴーレムの動きが鈍る。そのうち一体をカファルは、手の平を光の剣で刺し貫かれながらも叩き潰し、さらに別のゴーレムを閃光型のブレスによって、糸鋸で材木を切るように胴体両断した。
そして方向転換しつつ地を薙ぐ尻尾の一撃。
完全にルシェラを直撃する軌道だった。そこにゴーレムが二体ほど割って入る。
一点集中、交差する剣閃。尻尾を切断して攻撃を止める算段だろう。その一撃でカファルの尻尾は鱗を切られ、肉を半分裂かれたが、骨は傷ついただけだった。
ゴーレム二体と、ルシェラを抱えた脚無しゴーレム、そしてルシェラ。
全てまとめてカファルの尻尾に吹き飛ばされた。
ルシェラは歯を食いしばっていたが、頭の芯が揺れるような衝撃だった。
カファルはさらに追いすがり、放射状のブレスをルシェラ目がけて吐き付けた。
もちろん、ファイアブレスはルシェラの肉体にほぼ通用しない。だが、ゴーレムたちは身を挺してルシェラを庇った。
光の剣を変形させ、盾として展開。装甲を焼かれながらも立ちはだかった。
動きが鈍った手負いのゴーレム三体をルシェラの守りとして、健在なゴーレムが三体。
ブレスの隙を狙うが、カファルが一睨みするとズンと地が震え、ゴーレムたちは一瞬で腰まで地面に埋まっていた。二体がそこから抜け出す間に、カファルは一体に爪を突き立て、左右に千切り裂く。
そして、カファルは残ったゴーレムに、巨体によるタックルを仕掛けた。腹甲を貫かれながらもカファルはゴーレムを抑え込む。
密着状態になったゴーレムは、このまま致命的な攻撃を加えてくるか……と思いきや、動かなくなる。ドラゴンとの戦闘に備えて作られたはずの強固な装甲が、赤熱し、徐々に溶解していた。腕から噴き出す光の剣は、ちらつき、揺らいで、掻き消えた。
残された手負いのゴーレムたちは、盾を仕舞い込んで、剣を再形成。
もはや自分たちがドラゴンを仕留めるしか、民間人を守る手段は残されていないのだ。
だがゴーレムたちが守ろうとした民間人は、ただの民間人ではなかった。
「てえええええい!」
ルシェラは渾身の力を溶岩石の剣に乗せて、ゴーレムを背後から貫いた。
赤熱する岩の切っ先は、腰にある装甲の継ぎ目をブチ抜き、串刺しにする。そのままルシェラは剣を振り回し、叩き付けた。
転げ回ったゴーレムたちが、ルシェラに対する認識を改める頃には、既にカファルがトドメを刺していた。
「はあ、はあ……」
ルシェラは大きく息をつく。
終わりというのは時に、何の前触れも無く唐突にやってくるのだ。
今、カファルは、死ぬかも知れなかった。ルシェラの心臓はまだ冷たく脈打っていた。
『ママ、大丈夫?』
『私は大丈夫よ。もう、無茶苦茶をするんだから!』
カファルはゴーレムの残骸を鼻先で弾き飛ばし、ルシェラを押し潰すほどの勢いで擦り付いてきた。そして、大きな舌でべちょべちょと舐め回した。
『このゴーレムはどこから?』
『向こうの壁が急に開いて、そこから』
壁にぽっかり空いた洞穴のような部屋を、ルシェラは見やる。
まるで罠部屋だが、おそらく侵入者ではなく居住者のために隠していたのだろう。無骨で物騒な警備ゴーレムは、日常生活の場に居て欲しくないと思う者も居るだろうから。
『待機部屋だったのかな。下でゴーレムに見つかったせいで、警戒態勢になって……飛び出してきた』
ルシェラは部屋の中を覗き込むが、流石にもう後続のゴーレムは居ない様子だった。
船の中に仇敵たるドラゴンが侵入したとあれば、総力で攻撃を掛けるのも当然だろう。これ以上戦力を残しているとは考えがたかった。
『でも、何だったの……? さっきのゴーレムはルシェラも狙ったのに』
カファルはゴーレムの残骸を確認し、損傷が軽微に見えるものは念入りに爪を立てて破壊していた。
こういうゴーレムは死んだふりなどしないと思うが、動き出すことを警戒しているのだろう。
ルシェラは、ゴーレムたちの奇妙な動きについて、知識の限り考察を巡らした。
それはあまり愉快な作業ではなかった。
『さっき対竜特効武器の攻撃を受けたから、ママの移り香みたいな竜気は全部吹っ飛ばされて……このゴーレムたちには、わたしがドラゴンに見えなかった。似た外見の別人に見えたんだと思う。
だから、襲ってきたドラゴンから民間人を守るつもりで……』
おそらく最初のゴーレムは、ルシェラも『人化の傀儡』か何かだと思って攻撃してきたのだろう。
ドラゴンは『人化の法』によって自在な姿に化け、また人型の傀儡を作って操ることもできる。外見が同じだけで同一人物と判断しては危険なのだ。……きっと、それが、ドラゴンと戦っている時代の人にとっての常識だった。
ルシェラは、カファルが放出した余剰の竜気を吸収して糧にすることはできても、自ら竜気を生み出せない。
自然界のエネルギーを吸収しても、生煮えの竜気もどきにしか成らない。
それはゴーレムたちの戦術判断において、ドラゴンの基準に満たなかった。
『……ごめんね、ママ。わたしに攻撃しろなんて言って』
『いいのよ。……あなたのお陰で助かったわ』
傷から血が流れるのも厭わずカファルは、その巨体をそっとルシェラに寄り添わせた。







