≪2-4≫ 夢の痕
たったそれだけのメッセージ。
「お母さんを助けて、って言っても……どういうこと?」
謎の物体の中に閉じ込められたと思えば、目の前に助けを求める石版。
謎かけめいた状況だった。
石を自在に整形する≪石工術≫という地属性元素魔法も世の中にはあるのだけれど、目の前の石版はそういう魔法の産物ではない。
敷石か何かだったらしい石を、釘のような固い物で無理矢理削って文字を刻んだように思えた。
『石版をわざわざ削って? 魔法も使わず? 違うか、魔法が使えなくてもどうにかして石版に文字を刻みたかった。紙では残らないくらいの長い時間が経ってもメッセージを残せるように……?』
不格好な文字は、いかにも『頑張りました』と言わんばかりで。
釘で削って必死に文字を刻んだなら、状況を細かく説明するような長文にはできなかっただろう。
『助けてって言われても、これが人竜戦争期の船だと言うなら、中に乗っていた人は仮にエルフだって寿命が尽きているはずよね』
カファルはニオイでも嗅ぐように、首をしならせ、大きな顔を石版に近付けてきた。
『普通に考えたらそうだけど、人竜戦争以前の高度技術には、現代の常識が通じないから……
たとえば時間を止めて千年間眠っている人だって居るかも知れない』
『なるほどね。
だけど、そんな技術を持っていた古代人族が何に困っているのかしら。
遥か未来の誰かに解決を託さなければいけないなんて』
『うーん……』
ルシェラは冒険者マネージャーとして、古代遺物との接触事例についても知識を持っているが、古代文明は人竜戦争の混乱による崩壊と記録散逸により、未だ専門家にとってすら謎が多い。ましてルシェラにとっては分からない事ばかりだ。
何が起きたのか想像はできるが、それが真っ当な推察か、ただの妄想かも分からない。
『とにかく、千年前の頼み事よりまず自分たちの事を考えなきゃだよ。
この場所を調べてみよう。……どこかに板鍵が残されてると思うから』
『カードキー?』
『古代の人族がよく使ってた鍵で、古代遺跡だとよく見かける……らしいんだって。
ここは侵入者を迷わせるための迷宮じゃなくて、何かの目的で古代人が使ってた施設だと思うから、使用者のための鍵とか、道があると……思いたいけど……』
奇妙な庭園を見回して、ルシェラは慎重に歩き出した。
ひとまず、目の前の家を調べなければ何も始まらないだろう。
辺り一面、草がぼうぼうに生えていたが、それは緑濃き葦のような一種類のみで統一され、さらに不思議なことに虫は見当たらない。まともな生態系が存在しているようには見えなかった。
一見すると自然環境を模しているようにも見えるが、よくよく考えればどこか不自然な場所だ。やはり人工的に作られた箱庭という事か。
『船と書いてあったのよね。何の施設だったのかしら』
『もしかしたらこれが、方舟ってやつかも。人竜戦争が終わるまで何十年でも安全に隠れていられるよう、閉ざされた船を作って隠れていた人が結構居たんだって』
『へえ、そうだったの』
『まあその方舟は結局ほとんど、ドラゴンに壊されたそうだけど』
『……よく知ってるわね、ルシェラ』
カファルは感心半分、不甲斐なさ半分という様子だった。
ルシェラより遥かに長く生きているのに、知識量で負けているというのは、沽券に関わるようだ。
『冒険者マネージャーになるために、色んな本を読んで勉強したから……それだけだし』
『私も早く、人間の文字を覚えて本を読みたいわ』
『ママならすぐだよ。
そっか、最近ずっと忙しくて勉強する暇も無かったもんね。帰ったら教えるよ』
『うふふ、楽しみにしてるわね』
カファルが鼻面を擦り付けてきて、ルシェラは勢い余って後ろに一回転した。
箱庭の真ん中にある、朽ちた木造家屋。
絵本の挿絵にでも描かれそうな、素朴で可愛らしい家だ。老後に悠々自適の生活を送るとしたら、こんな場所に住みたいと思う人は結構居るだろう。
ただ、近づいてみると、家を構成する木材は数種類の木が継ぎ接ぎになっているようだった。どれもこれも綺麗に製材されていてはいるけれど、材質の違いによる耐久性の差異から、長い時間の中で家は歪んで壊れかけている。そんな気がした。
『この家は、方舟に乗った人の住処だったのかな』
扉は一応あるけれど、迂闊に触ったら扉の周囲が崩れそうな気がして、ルシェラは側面の窓に回り込んで小さな家にそっと侵入した。
家の中にも土埃が積もり積もって、そこかしこに草が生えている。
ワンルームの屋内には、ただの絡み合った繊維の残骸になった絨毯や、煙突が無くて薪の代わりに謎の機械が置かれた暖炉などがあった。
だが特に目立つのは、部屋の半分近くを占める大きなベッドだ。
大人二人が並んで眠れる大きさのベッドは、鉄の棒を曲げて組み合わせたようなデザイン。この可愛らしい家には若干不似合いな、カーキ色をした無機質なカバーの布団が布かれ、同じ色の毛布が掛けられている。永き時間によって朽ちた家の中で、ベッドと布団だけはまだまだ健在だった。
大きな枕と小さな枕が並んでいて、小さな枕には人が寝ていた。というか死体だ。死体が横たわっていた。
肉が削げ落ち、乾いて縮んで、骨と皮だけが残ったミイラ状態だが、それが15,6歳の少女であるという事は分かる。ルシェラがそっと材質不明の毛布を持ち上げてみると、薄桃色の寝間着らしき服を着ていた。
カーキ色の布団の上にふわりと広がっている髪は、色が抜け落ちたように白い。その髪を見て、ルシェラの心臓はぎゅっと縮んだ。
『この不自然に白い髪……
ドラゴンの今際の際の呪い……』
ドラゴンは世界の組成に関わる生物。
それほどの存在から恨みを受けることの重さを、ルシェラは知っている。その恨みは死に至る呪いとなって命を蝕む。真っ白くなった髪は、呪いの証だった。
そして、このミイラ化した姿。
『延命剤』を飲み続けて死んだ者の死体は、こんな風に朽ちずに残るのだと、ルシェラは知っていた。死体に邪気や悪霊が宿ってしまえばアンデッドになるので、普通は火葬するのだが。
人竜戦争期は、現代の常識ではあり得ないほど当たり前にドラゴンが死んでいて、呪いの病は当たり前に存在するものだったようだ。国ごとドラゴンに呪われた事例もあったほどだ。
ドラゴンの呪いを受けた少女が『延命剤』によって永らえるも、呪いを解くことは叶わず死に、そして誰に葬られる事も無く、ミイラ化したまま残っていた……
そんな物語が思い浮かぶ。
『ルシェラ。この寝床は二人用、よね?』
『うん』
家の窓からは、中に入れないカファルの大きな目が覗き込んでいた。
カファルが言わんとすることは分かる。
ベッドの残り半分。大きな枕。その空白が『お母さん』のものではないか、と。
だとすると石版のメッセージを残したのは、この少女だという事か。
『推測だけれど、この子はドラゴンの呪いを受けて死期を悟ったんだと思う。
だから自分が死んだ後のために……メッセージを……?』
言いながらルシェラは、なんとなく違和感を覚えていた。
死に瀕した少女が何故、母親に関して、未来へ希望を託したか。彼女の母親はどのような状況にあったのか、と。
家の中に目立った家具は少なく、目を引くのは大きなベッドと暖炉の前の椅子ひとつ、後はささやかな本棚くらいだった。幸い、家捜しの手間はあまり掛からなさそうだ。
本棚には分厚い背表紙が並んでいて、ルシェラは期待とともに一冊抜き出すが、装丁の間から朽ちた茶色い紙片が細切れになって舞い落ちただけだった。
――ボロボロだ。外を模した環境にしてるから、ちゃんと風化しちゃったんだ。勿体なーい……
流石に溜息が出る。
ルシェラは、文化的損失を嘆く程度には教養があり、金銭的損失を嘆く程度には貧乏性だった。
貴重な古代技術の専門書なら、金貨を何百枚積んでも買い求める者が居るだろうし、仮に庶民の雑記や物語本であっても重要な文化的資料だ。
本はどれも朽ち果てていて、装丁が堅固なものだけは辛うじて枠だけ残っている、という惨状だった。
長すぎる時間を経て、幾度も湿り、幾度も乾燥する間にこうなってしまったのだ。
【やっと家ができて、引っ越せた。
今日からはお母さんと一緒に寝られる。】
辛うじて判読できた紙片には、印刷ではなく、綺麗に整った可愛らしい手書き文字で、そう書かれていた。
日記帳らしかった。
『カードキーは……無さそうかな』
探すべき場所は少なかった。
千年前の親子が暮らしていたと思われる小さな家を、これ以上踏み荒らすのも憚られ、ルシェラはそっと、抜け出した。







