遠くのあなたへ
生活感がない部屋に1人、ふと思いつきあの人に手紙を書きはじめた。
わたしがこんなことをするのは初めてなので、きっと驚いてくれるだろう。
窓から溢れる日差しとそよ風に頬を撫でられながらペンを走らせる。
拝啓
やわらかな春の日差しに心和む今日この頃。
窓から囁くあたたかい風にあなたの後ろ姿を思い出します。
四季の中で1番春が好きだと言っていましたね。
きっと素敵で充実的な毎日を過ごしているんでしょう。
そうだと、願います。
近々わたしもそちらに向かうのですぐわかることですが。
先日、要らなくなった衣類を処分していたらあなたが無くしたと言っていたブレスレットが、わたしのロングコートのポケットから出てきました。
チェーンがちぎれてしまっていたので、あの真冬の日きっと2人手を繋ぎポケットに入れたまま歩いたあの日、何かの拍子に壊れてしまったんだと思います。
でもあなたが気に入っていたものを見つけることができて良かった。
そちらに向かうとき、しっかり持っていくので安心してください。
手紙を書くことは初めてなのでぎこちなくなってしまいましたが、わりと文字を綴ることは楽しいことだと気づきました。
あなたに向けて書いてるからそう感じるのでしょうか。
どちらにしろあなたはきっとこの手紙を喜んでくれるでしょうね。
あなたの微笑んだ顔が、目に浮かびます。
せっかくなので、あまり今まで伝えられなかったことをここに書こうと思います。
少し恥ずかしいけれど、もう手紙を書くことは無いと思うので大切に読んでくれると嬉しいです。
あなたの顔が好きです。
こんな書き方だと困惑するでしょうね。
困惑したときによくする、口をへの字にして左眉を上げるあなたの顔が目に浮かびます。
そんな顔も大好きです。
思ったことがすぐに顔に出るあなたはとても愛らしくて、見ていて飽きません。
特に笑ったときの顔がとても好きです。
大きな目を細めて白い歯を出して思い切り笑う顔を見るとつられて笑ってしまいます。
あなたの手が好きです。
長細くて真っ直ぐな指と大きな手のひら、それで毎日わたしの頬を撫でて毎朝起こしてくれましたね。
最近はあなたがいないので毎日寝坊してしまいます。
早くあなたの横で眠りたいです。
あなたの声が好きです。
少し低くて深い響きを持つその声で名前を呼ばれるのがとても好きです。
寝起きの掠れた声も、不満そうな声も、楽しそうに上擦ったこえも、大好きです。
長く聴いていないので、はやくはやくあなたに会いたいです。
あなたの全てが好きです。
書き出すと止まらないものですね。
紙がいくらあっても足りなくなってしまいそうなので、手紙ではこのくらいにしておこうと思います。
ふと、思ったのですが。
あなたがいる場所があまりにも遠いので、わたしとこの手紙どちらが先に着くのでしょうか。
わたしがそちらに着いたあとにこの手紙が着くとしたら、本当に本当に恥ずかしいと思ったのです。
悪戯好きのあなたは、わたしの目の前で手紙を読みそうでしょう?
少し長くなってしまったのでここまでにしたいと思います。
怒らないでね、あなた。愛しています。
ふう、と息を吐き時計を見る。
夕陽に照らされた針は2時を指したまま止まっていた。
少し笑って、立ち上がり寝室に歩く。
濡れたダブルベッドに腰掛け、手紙とブレスレットを見下ろしながら用意しておいたライターをつけた。
揺らぐ視界にあの人の泣きそうに微笑む顔が、見えた気がした。