第76話 王の心、起きた事故
「ガルディア王…私はこの国を出て行きます。今までありがとうございました」
そう言いながらリスティルは頭を下げる。その身体はかすかに震え、地面にはシミが作られていた。
だがその姿を見て王は眉1つ動かさず表情一つ変えず黙って頷いただけだったのだ。
そして王は袖口から紙束を取り出す。それは先日ダンジョンから脱出した後に追う自ら用意すると宣言した冒険者登録の推薦書状だった。
ガルディア王直筆の署名とガルディア王家の紋章の封蝋が押されている。
この封蝋と署名があれば世界中どこでも冒険者登録ができ、尚且つSランクとして特例で登録できるのだ。
「ナナシ殿、これがあれば冒険者ギルドでSランク冒険者として全員登録できるだろう。
それと…マリア殿にはこちらも。これは冒険者とは違う身分証みたいな物でな、これがあれば他国の関所も通してくれるだろう。
儂がナナシ殿にできるのはこれだけだ…それでは儂は公務があるのでな、これで失礼する」
「お、おう。俺たちは明日出発する、色々迷惑をかけたな。…リスティルのことは任せとけ、俺がいる限り死なせないからな。
それと…屋敷の管理、任せたぞ」
王から書類を受け取り、ナナシはそれだけを王に伝える。その言葉を聞いた王は少しだけ口角を上げ、小さく頷いた。
その表情は先ほどのまでの威厳ある王ではなく、娘を見送る1人の父親の顔だった。
リスティルは変わらず俯いているため王は表情を見ることはできなかったが、それでも王は満足そうにしていたのだ。
リスティルが頭を起こすまで数十分かかり、ナナシはその間何も口に出さず何かを考えていたようだった。
何かを見ているように一点を見つめているが、その視線の先は何の変哲もないレンガの壁。
別段何か仕掛けがあるわけでもない。だがナナシは確実に何かを見ていたのだ。
「あ、あの…ナナシさん?すいません、お時間かけてしまいまして…ところで何をご覧になっているのですか?私には壁にしか見えないのですが…」
「…ん?おお、リスティルか。いや何、ちょっとした実験をしてみてたんだ。
まぁまだ失敗しかしていないからお披露目は当分先だが…ところでもういいのか?」
「え、ええ…ご迷惑をおかけしました。父上は…ガルディア王は何も言いませんでしたが、何か伝えようとしておりましたか?
顔を見ることもできなかったので申し訳ありませんが教えていただけると…」
「リスティルが心配なのは伝わっていただろうが、俺がいるから死なせないって伝えたら安心したみたいだったぞ。
ただ…寂しそうにはしていたかもしれんな、娘がいなくなるのだから」
「…そう、ですか。なんだか『いつでも帰ってこい』と言われたような気分ですね。
…ところでナナシさん、エルさんはどこへ?」
そこで改めて周囲を見渡してエルの姿が確認できないことに気づく。
それこそがナナシの実験であった。ナナシが指を差すのは変わらずレンガの壁。
まさか?と思いリスティルが壁の方へ手を伸ばす。すると何やら柔らかい感触に空中でぶつかる。
「ひゃんっ!?リスティルさん…それ、私の胸です…あっ…」
「え、えええ!?まさか…『インビジブル』ですか?本当に影も形もないのに…
でもちゃんと触れるし声も聞こえる。これが実験ですか?」
「ああ、その通りだ。俺の『魔力感知』で魔力の動きが確認できるか試していたんだ。
最初の数分間は一切感じ取れなかったが、コツさえ掴んでしまえばわかるもんだったな。
空気の流れ、音、呼吸、脈拍。ありとあらゆる情報を駆使すればおのずと位置がわかる。
…ま、これで『インビジブル』の対策は完璧だな。エル、そろそろ解いていいぞ」
「やんっ…な、ナナシさん…リスティルさんを、あっ…止めてくださいい…」
「こ、こんなに柔らかく揉みごたえがある…病みつきになりそうです。ふふふ…」
「…あー、エル。俺には手に負えないみたいだ…頑張ってくれ」
「そ、そんなああ!?あんっ…は、激しいですリスティルさん、んんっ…もう、やめてえ…」
透明化状態で見えないのをいいことに、執拗に胸を揉み続けるリスティル。
そんな姿を見てナナシは思わず手助けすることを諦めてしまった。何やら狂気にも似た雰囲気が漂っていたからである。
先ほどまでの暗い雰囲気も一転、いつも通りのわいわいした空気へと変わっていく。
だがそんな空気を不思議に見つめる女性がいた。マリアである。
まだ傷が完治していないため声が出せない。『念話』をナナシやサラ、エルに飛ばして会話するのだが、何故か今日は一言も発していなかった。
『念話』のチャンネルも繋いでいない。意図的に切断しているようだ。
表情に変化は見えず、何を考えているのかもわからない。
だがナナシはそれでも話しかけたりせず、一旦放置しておくことにしたのだ。
城から帰るまでの道のりの間、エルはリスティルから距離を置いて歩くようにしていた。
リスティルが素に戻ってからひたすら謝罪していたものの、それでも身の危険を感じたのだ。
揉まれ続けたせいで服はヨレヨレに、エルは疲労困憊になってしまっていた。
エルにとってはかなりの地獄を味わう謁見となるのだった。
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