04.鑑定士、脱出を試みる
地獄犬から命からがら逃げてきて、俺はこの深い穴の底へとやってきた。
高所から落下したところを、目の前に生えている巨大な木、世界樹によって救われたわけだ。
「ありがとな、おまえのおかげで助かったよ」
俺は木の幹にペタッと触る。
いわばこの木は、俺の命の恩人だからな。
【…………ぁ、ぅ】
「ん? なんだ……?」
ふと、誰かの声がした気がした。
まさか、こんな奈落の底に、誰かがいるというのか?
だが見渡してみても、誰もいないようにしか思えない。
あるのは背後の、輝く木だけだ。
「気のせいか……」
さて。
状況を整理しようか。
俺がいるのは、見上げるほどの大きな樹の根元。
根っこも太く、これだけで普通の木の幹ほどある。
木の周りには何もない。
広場みたいになっている。
「ダンジョン内だって言うのに、やけに静かだ。それにモンスターの気配もないな……」
ここはモンスターのはびこるダンジョン内だ。
モンスターが1匹も見当たらないというのは、さすがにおかしい。
「この木のおかげとか? いや、でも世界樹にモンスターを寄せ付けない効果があるとか聞いたことないし……」
俺の鑑定能力では、そこまで見抜けない。
ほんと、使えない能力だよな……。
「これからどうするか……」
俺は仰向けに倒れる。
このまま奈落の底で助けを待つ?
……来るわけがない。
臨時とは言え仲間だったあいつらが、俺を助けるとは思えない。
何せ俺を置き去りにしていったからな。
救援は望めない。
となると、取るべき行動は2つ。
1つは、ここで一生を終える。
もう1つは……脱出を試みる。
「……脱出だな」
ここには世界樹があるだけで、食べ物がない。
もって1週間かそこらで餓死してしまうだろう。
なら脱出できる確率にかけたほうがいい。
座して飢え死にを待つことなんて、嫌だ。
「……出るか」
俺は立ち上がる。
世界樹を見上げる。
「助けてくれてありがとう。おまえには感謝してるよ。じゃあな」
俺はきびすを返して、この広い空間の奥へと進もうとする。
【……ぁ。……まって】
「ん?」
やっぱり誰かの声が、聞こえた。
だが周りを見渡しても誰もいない。
「まさかモンスター? ……ないか」
それだったらとっくに俺はモンスターの餌食になっているだろう。
俺はその場を後にする。
進んでいくと、ホールから外に出る穴があった。
「…………」
俺は立ち止まる。
この先にどんな敵が待ち受けているのか……?
ここはギルドすらも把握していなかった、未知のエリア。
地獄犬以外にも、敵がいるかも知れない。
「…………やっぱり」
この場に留まろうか。
だって地獄犬にも歯が立たない俺だぞ?
そんな弱い俺がこの外に出て、それ以上の強敵に出くわしたらどうする?
怖い……。
ならこの場で救援をワンチャン待った方が……いや、ダメだ。
ゾイドたちに何も期待してはいけない。
あいつらは俺をゴミのように切り捨てたんだ。
望みはない。
道は自分で切り開くしか、ない。
「よ、よし……い、いくぞっ」
震える膝を叩き、俺はエリアの外に出る。
そこは通路になっていた。
地面むき出しのトンネルが奥へと続いている。
びょぉお……っと風の通る音。
それに混じって、血の生臭い匂いがした。
「…………」
怖い。帰りたい。
帰りたい……どこに?
地上に? さっきいた場所に?
わからない。とにかく、安心できる場所にいきたい。
「……急ごう」
俺は恐る恐るトンネルを進んでいく。
思ったよりモンスターがいなかった。
「こ、これなら上手くいけば、脱出できるかも……」
そのときだった。
ヒュッ……!
何かがとてつもない速さで、俺の前を横切った。
ボトッ……。
「え……?」
俺の足元に何かが落ちている。
何だろうと思って……そして、気付いた。
「あ……ああ……!!」
それは、俺の片耳だった。
自覚した瞬間、凄まじい痛みが、俺の右側頭部から感じる。
「ぎゃぁああああああああああ!!」
俺は失った場所に手をやる。
血が……血がもれてる。
「耳がぁ! みみがぁあああああああああああああ!!!」
「キシッ……! キシシッ……!」
何かが笑う声がする。
それどころじゃない。
血が。血が出てる。やばいくらい。
耳が取れて……え、これ戻るの?
落ちた耳を、と、とりあえず拾おう。
手を伸ばしたそのときだ。
ヒュッ……!
ボトッ……!
「あ、あぁあああああああ! 指がぁあああああああああ!!!!」
伸ばした手の指が、中指と薬指が切断されたのだ。
「あがぁああああああ! あぁあああああああああああああ!」
俺はその場に無様に転がる。
ちょうどそのとき、目が合った。
「キシッ……! キシシシッ……!」
それは1つ目の小さな悪魔だった。
コウモリみたいなフォルム。
その手には、小さな鎌が握られている。
「か、【鑑定】……」
『単眼悪魔(S)』
『→迷宮に生息する小型悪魔。攻撃力は低いが、スピードは随一。手に持った鎌でエサをいたぶって殺して食う』
「え、Sランクの……モンスターだと……?」
鑑定スキルは、希少度合い以外にも、モンスターの強さを測ることもできる。
最低がFで、最高がS。
最高ランクのモンスターがいるということだ。
「キシッ……! キシシッ……!」
単眼悪魔は、凄まじい速さで飛び、俺の体を切りつけてくる。
「ああああああああああああ!!」
俺は腕をめちゃくちゃに振る。
だが1発たりとも、悪魔に攻撃が当たらない。
「クソッ! くそぉ!」
俺は逃げることしかできなかった。
その場から脱出を図る。
だが悪魔の方が早い。
俺の腕や足の血管を狙って、鎌で切りつけてくる。
「くそ……! いたぶりやがって……どちくしょお!」
俺はふらつきながらも、精一杯逃げる。
……ぶざまだった。
英雄物語の主人公なら、ここで秘めたるチカラが覚醒してもいいところだろうに。
俺には何の力も無い。
相手の力量をただ測ることしかできないなんて!
俺は悪魔にいたぶられながら逃げる。
すると……ふっ、と悪魔からの攻撃が途絶えた。
「な、なんだ……? どうして攻撃してこないんだ……?」
そこで、俺は気付いた。
「ギシュゥルルウゥウウウウ…………」
「あ……あ……」
そこにいたのは、人の倍くらいある、巨大な熊だった。
「か、【鑑定】……」
『死熊(S)』
『→迷宮に生息する巨大な熊。その一撃は必殺の一撃。巨岩を易々と砕く腕力と、迷宮の硬い壁を引き裂くほどの鋭い爪が特徴』
「え、Sランクモンスターが、こ、こんなに……?」
ば、バカな。
ここは、巨大鼠しか出ないダンジョンのはずなのに……。
ど、どうしてこんな、Sランクモンスターばかりがいるんだ!!!!
「ギッシャァアアアアアアアアアアアア!」
死熊が腕を振り上げて、思い切り振り下ろす。
ザシュッ……!
……その瞬間、俺は視界を失った。
「へぁ……? ふ、へぇ……?」
情けない声。
鋭い痛みとともに、俺は気付く。
「あががあっぁああああああああああああああああああああ目、目が! 目がぁああああああああああああ!!!」
死熊の爪の一撃で、俺は両目を潰されてしまったようだ。
顔面に? 顔面に攻撃を受けたのか?
目が完全に潰されて前が見えない!
何も見えない!
いやだ! 怖いよ! 助けて!
「ギシャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
どっ……! と俺の腹に、凄まじい衝撃が来る。
どうやら死熊に殴られたのだろう。
そのまま俺は、背中に激しく何かがぶつかる。
壁に激突したのか? わからない?
目が見えなくてわからない。
「ひぃ……ひぃ~……た、たすけ……だれか……だす、け……」
俺は無様に地面に転がり、助けを呼ぶ。
だが……わかってる。
誰も……俺を、助けてくれないってことは……。
「やだ……死にたくない……こんなところで……死ぬのは、や……だ……」
血を失った俺は、そのまま意識を失う。
せめてもの救いは、死に際を直視しなくて良かったことだ。
「まったく……。【あの子】が助けてくれと懇願するから、しかたなく、人間ごときを助けるんだからな? 勘違いするなよ、小僧」




