209.鑑定士、アリスと街へ買い物に行く
地縛霊リッチーことロキシーと和解した、翌朝。
俺は目を覚ます。
「知らない天井だ……って、当たり前か」
昨日からこの辺境の街【ミョーコゥ】で暮らしだした。
商人ジャスパーが用意してくれた屋敷に、昨日引っ越してきたばかりである。
「ロキシーが手入れしててくれたおかげで、掃除とか全然しなくても良かったのは助かったな……」
俺は半身を起こす。
ぐいっ、と背伸びをする。
「今日は色々買いだししないとな……」
「…………」
「って、うぉ! あ、アリス……居たのか……?」
俺が使っていたのは、前屋敷の主人であるミクトランが使用していたベッドだ。
ここは俺にあてがわれた私室。
ベッドの隣に、アリスが椅子に座って読書をしていた。
「……おはよう、アイン君」
アリスは本から目を外さずに、朝の挨拶をしてくる。
「おはよ、アリス。どうした、朝っぱらから?」
「……起こしにきたの。めいわく?」
「まさか。いつからいたんだ?」
「……少し前」
サイドテーブルには、紅茶のカップとポットが置いてあった。
「……いる?」
「ああ、うん……一杯くれ」
アリスは小さくうなずく。
ティーカップにお茶をついで、俺に手渡す。
一口すすって、俺は気づいた。
「アリス」
「……なに?」
お茶、ぬるいんだが。
いやそれを口にするのはさすがにデリカシーがないか。
しかしお茶が冷たくなるってことは、それだけ長く彼女がここに居るってことだよな。
そんなに前からここにいて、いったいなにが楽しいのだろうか……。
「本……逆さまだぞ」
アリスは頬を赤く染めると、いそいそと、本をひっくり返す。
「……そう」
ぺらぺら、とアリスがページをめくる。
その手は妙に早かった。
「もしかしてその本、もう何度も読み返してるのか? 俺が起きるまでに」
「……ち、ちがう」
ふるふる! とアリスが強く首を振る。
「そ、そうか」
「……そう」
「「…………」」
アリスはうつむいて、何度も髪の毛を手で整える。
ちらちら、と俺に目線を向けてくるが、何も言わない。
「どうした?」
「……動かないで」
本を閉じて、アリスが身を乗り出してくる。
手を伸ばし、俺の頭頂部を、さする。
「……寝癖」
「ああ、サンキュー」
アリスの顔が、本当に間近にある。
アメジストの瞳と髪の毛は、まるで宝石のように美しい。
神様が自ら作ったのではと思うほど、整っている顔立ち。
ふと、俺は目線を落とす。
アリスはベッドに手をついて、身を乗り出している。
そのせいだろうか、服の襟と胸の間に、隙間ができていた。
バッ……! と俺は顔をそらす。
「……どうしたの?」
「あ、いや……」
小首をかしげるアリス。
そして、自分の衣服の状態に気づいて、耳の先まで真っ赤にした。
アリスはそそくさと元の位置に戻る。
本を手に取り、ページに目を落とす。
だが目はあちこちへ泳いでいた。
「……見た?」
「見てない」
アリスはペタペタ、と自分の胸部を触る。
起伏に乏しいそれに触れた後、沈んだ声音で言う。
「……ごめんなさい」
「いや、何に謝ってるんだよ」
「……妹より小さくて、ごめんなさい」
「謝る必要ないって!」
だがフォローになってないのか、しゅーん……とアリスが肩をすぼめる。
「胸の大きさは関係ないって。アリスにはアリスの良いところがある。魅力的だよ、おまえは」
アリスは潤んだ目で俺を見やる。
サクランボのような小さな唇を、ふっ……とほころばせる。
「……ありがとう」
「おうよ」
アリスはチラチラ、とこちらを伺うように見て、消え入りそうな感じで言う。
「……大好き」
☆
起床後、俺は朝食の食材を買いに、街へとやってきた。
「よく考えたら屋敷に食材ないよな。何年もひといなかったし、ロキシーは地縛霊で外へ出れないし」
「……そう」
俺の隣を、アリスが歩いている。
「別にいいんだぞ、ユーリ達と一緒に屋敷で待ってても」
「……いい」
アリスが俺をジッと見上げて、ぽつりと言う。
「……一緒にいたいの」
「そ、そうか……」
彼女は耳の先まで真っ赤にすると、うつむく。
髪の毛を手で何度も触る。
やや気まずい空気のなか、俺たちは朝の町を歩く。
朝の早い時間だというのに、多くの人を見かける。
武器を持った冒険者。
彼らを相手に商売をするひとたち。
道行く人々の表情はみな明るい。
「結構活気があるな」
「…………」
「アリス?」
隣を見やると、アリスが俺に、手を伸ばしていた。
目が合うと、びくんっ! と体をこわばらせ、急に手を引っ込める。
「どうしたんだ?」
「……なんでもないわ」
いそいそ、とアリスが俺から離れる。
「……私の、いくじなし」
「?」
俺たちは朝市をのぞいてみる。
色鮮やかな野菜や果物が売られていた。
「美味そうだな」
「……ええ」
アリスがしげしげと、リンゴを眺めていた。
「好きか?」
リンゴが。
「えっ!?」
何だか知らないが、妙にアリスが驚いていた。
珍しいことに、声を張り上げている。
「どうした?」
「……ぁ……ぅ……」
湯気が出てるんじゃないかってほど、アリスは顔を赤くしていた。
「……あの」
「おう」
「……だい、ぶ好、き」
やっぱりそうだったか。
熱心に見ていたもんな。
「俺も好きだよ」
リンゴが。
「えっ、えぇええっ?」
くたっ、とアリスがその場にへたり込む。
「だ、だいじょうぶか?」
俺はアリスに手を差し出す。
彼女は両手で口元を隠し、目を大きく見開いている。
なぜかその瞳は、涙で潤んでいた。
「……うれしい」
「え?」
なんのことだろうか……?
俺は彼女の手を引いて、立ち上がらせる。
「おっちゃん、リンゴくれ。たっぷり」
「……え?」
商人からリンゴの入った紙袋を受け取り、金を払う。
その間、アリスは目を白黒させていた。
「どうした?」
「……好きって」
「リンゴ好きなんだろ?」
ぽかん、とした表情に彼女がなる。
やがて、頬を膨らませ、スタスタとその場を離れる。
「どうしたんだよ?」
「…………」
無言で先へ進んでいく。
アリスはあまり感情を表に出さないので、こういうとき、対処に困る。
「なんか怒らせた?」
「…………」
参った、どうするかな……。
ふと、俺は屋台の一つが目に留まった。
素早くそれを買い、アリスの元へ急ぐ。
「アリス。その、悪かった。これお詫び」
俺はアリスに、リンゴでできたアメを差し出す。
「珍しいもん売ってたし、リンゴ好きだっていうからさ」
「…………」
ジッ、とアリスが俺の眼を見やる。
ややあって、小さく吐息をついた。
「……ごめんなさい」
アリスがリンゴあめを受け取って、ぺこっと頭を下げる。
「……大人げなかったわ」
「いや、俺の方こそ、ごめん」
微笑を浮かべると、アリスはリンゴあめを舐める。
「……おいしい」
「そりゃよかった」
「……その」
ジッ、とアリスが俺を見やる。
目線を泳がせ、す……っとリンゴあめを突き出してきた。
「どうした?」
「……ひ、ひとくち」
「ああ、一口どうってことか。それじゃ」
俺はパクッと一口それを食べる。
ボッ! とアリスは体中を真っ赤に染めて、きゅーっとその場で卒倒する。
「あ、アリス!? どうした、アリスー!」
とても幸せそうな顔で気を失う彼女。
結局、買い物を途中で切り上げて、俺は彼女を連れて屋敷へと戻ったのだった。