182.エキドナ、四天王と人間界に進出する
鑑定士アインが、精霊たちとお花見をした、2週間後。
魔界にて。
かつて魔族たちの暮らしていた世界は、もはやかつての面影を残していない。
町中に木の根が張り、魔族たちは世界樹に栄養として取り込まれている。
もはや魔界に人は一人もおらず、全員がミクトランの養分にされていた。
さて。
かつて魔王城だった場所にて。
地下から伸びる世界樹によって、この城も世界樹に浸食されていた。
ユーリたちと違って、この世界樹は全体が黒々としている。
木の根をたどっていった地下には、大広間がある。
巨大な樹木の根元には玉座があり、そのそばに、美貌のダークエルフが立っていた。
「さて、機は熟したわ」
エキドナが見下ろす先には、魔神たちが跪いている。
全員が人の形をしてはいるが、尋常ではない闘気が漏れ出ていた。
「いよいよ人間界へと進出し、あなたたち四天王には、思う存分暴れてもらうわ」
にこりと笑うエキドナ。
そう、この魔神たちは魔王四天王。
ミクトランの細胞から作られた、別格の魔神たちだ。
「えきどなさま。いいの? 【にゃる】あばれていいの?」
先日、ゼウスを切断した魔神の一人が、エキドナにキラキラした目を向ける。
「にゃる。たくさん。ひところすの。すき」
「ええ、良いのよ。好きなだけ殺しなさい。人間界には人をはじめとして、生き物がうじのようにわいているわ」
「うぉー。てんしょん。あがるー」
ふすふす、と【ニャル】と名乗った魔神が鼻息荒く言う。
「カカッ! まこと楽しみよのぉ」
着物を着た魔神が、にまりと笑って言う。
「我ら【理の外にいる神】に恐怖し、うろたえる害虫どもを見るのは……まこと、愉快愉快」
「【シュブ】。にゃる。えもの。とるの。だめ」
むー、とニャルと名乗った神がほおを膨らませる。
「にんげん。のこらず。にゃる。くう。シュブ。やらない」
【シュブ】と呼ばれた魔神は苦笑すると、こう答える。
「わらわはおぬしと違って、人間を食う気にはなれぬ。わらわが欲するは恐怖という感情。おぬしが人を食うことでそれが発生するからのぉ、邪魔する気は毛頭ない」
「ならいい」
満足げにニャルがうなずく。
「エキドナ様。ここには3人しかおらぬ。【白痴】が見当たらぬのじゃが、どこへ……?」
シュブはキョロキョロとあたりを見渡す。
この場に集まっているのは、3人の魔王四天王たちだ。
残り一人の姿が見えない。
「あの子は出番が来るまで眠ってもらっているわ。ニャルやシュブ、それに【ヨグ】と違って知性が無いから」
「確かに、われらとてあやつに暴れられたら命はないからな」
やれやれ、とシュブが首を振る。
「【ヨグ】は何か言うことはないのかの? やっと外に出れるのじゃぞ?」
ヨグと呼ばれた大男は、しかし口を開かない。
ぼろ布を纏った魔神からは、何も覗けない。
顔も手足も布の奥にある。
ぼた……ぼた……と粘液とも唾液ともいえない液体が、常に体から分泌されていた。
「ーーーーーーー」
「なるほど、待ちきれないか。カカッ、わしも同じじゃ」
【ヨグ】は言葉を発していないにも関わらず、シュブと意思疎通ができていた。
「ーーーーーーー」
ヨグはエキドナに顔を向ける。
「良いのよ、アインのことは気にしないで。あなたたちが殺してしまっても、全然かまわないわ」
エキドナは微笑む。
「アイン。にゃる。ごはん。じゃまする。きらい。……ぶっころす」
「アイン・レーシック。人類最後の希望にして、我らの唯一敵となる存在……か」
シュブは懐疑的なまなざしをエキドナに向ける。
「しかし本当に、アインは我らに対抗しうる力を持っておるのかの……?」
「ええ。それはもう。下手したら全滅もあり得ると思っているわ」
実に嬉しそうに、エキドナが微笑む。
そしてうっとりとしたまなざしを背後の大樹に向ける。
「だってあの御方が収まる器ですもの……それくらいできて当然よ」
「ふぅむ。我ら【外なる神】をも倒しうる存在か……面白い」
シュブが邪悪に笑う。
「ーーーーーーー」
「ヨグよ、駄目じゃ。まずはわらわがアインを殺す」
「にゃる。やる。おまえら。じゃま」
魔神たちはみなやる気をみなぎらせていた。
「みんなが楽しそうで、私はとても嬉しいわ。けど足を掬われないように気をつけてね」
するとニャルとシュブが、余裕の表情を浮かべる。
「にゃる。にんげんごとき。まけるはず。ない」
「エキドナ様、それは我らへの侮辱に当たるぞ? 失礼ながら発言を撤回してほしいかの」
「ーーーーーー」
「ごめんなさい、ヨグも。別にあなたたちの力を軽く見ているわけじゃない。ただ、そうやって何人も何十人も殺されていっているから、ね」
シュブはハンッと鼻で笑う。
「あり得ぬ。我らが負けることなど、100%な」
「てんち。ひっくりかえっても。ない」
自信に満ちあふれた四天王たちの表情を見て、エキドナが静かに微笑む。
「そうね……。さて、じゃあ参りましょう。ヨグ、お願い」
ヨグはうなずくと、その場を後にする。
ややあって。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………!!!!
城全体が、揺れ出す。
否、空間が直接揺さぶられていた。
バキッ、バキバキバキバキ……!
エキドナは眼前にゲートを開く。
緑色の巨大な触手があちこちに伸びている。
触手は次元と次元の合間にある【壁】を、力尽くで破壊していく。
「次元の壁すら無に返すとはの。【最極の空虚】の名は伊達では無いか」
シュブが感心したようにつぶやく。
ヨグの触手は、振れたそばからあらゆる者を虚空に返す。
ベリベリと、まるで壁板をはずすかのごとく、魔界と人間界とを隔てていたものを無理矢理引き剥がしていた。
ややあって。
「これで人間界と魔界とが、つながったわ。さぁみんな、進軍よ。シュブ、雑魚どもを先行させて」
「わかっておる」
シュブがパチンッ、と指を鳴らす。
魔界の地面から、ずぁあああああ! と【異形の何か】が這い出る。
それは化け物たちは人間界めがけて、亡者のような足取りで進み出す。
「しかしエキドナ様。こんな雑魚ども、アインには通用せぬぞ?」
「わかっているわ。私たちが攻めてきた。その恐怖を人間どもに知らしめて欲しいのよ」
「委細承知」
化け物たちは、影から無限に湧き出てくる。
それらは獣人国、エルフ国など、様々な国にも発生した。
「ここまですれば、愚かな人間たちも気がつくじゃろう」
「そうね……。ああ、素晴らしいわ」
エキドナはほおを紅潮させ、背後の世界樹へと近づく。
「ミクトラン。聞こえる? 人間たちの恐怖の声が……」
ミクトランはまだ半分覚醒状態、といったところか。
ぼんやりとした表情で、人間界を見ている。
「待っててミクトラン。すぐにあなたを裏切ったゴミどもを掃除して、この地にあなたを復活させるから」




