168.天使、神に鑑定士の危険性を説く
鑑定士アインにより、部下を多数失った。
熾天使セラフィムは、天使たちの主である神々に、報告書を提出した。
それから数時間後。
宮殿奥にある、神々との謁見の間にて。
白く何もない空間に、セラフィムはひざまずいている。
ーーセラフィム。面を上げよ。
神からの許しを経て、セラフィムは顔を上げる。
見た目では、そこに何もないように見える。
しかし確実に、いる。
神とは人間や天使とはまた別の高次の存在。
天使はその存在を視認することはできない。
人が紫外線を視認できないように、高すぎるレベルの存在を、低い次元のものたちは見ることすらできないのだ。
ーーセラフィムよ。おぬしの報告は、誠であるか?
「はい。報告書の通り、個体名アイン・レーシックにより天使は壊滅しました。下位、中位天使は全滅。上位天使である智天使ケルビム、座天使スローンズは、正気を失い使い物になりません」
ーーなんということだ。
ーー天使が人間ごときに遅れをとるだと。
「恐れながら、神々よ。私はアインを人間であるとは思いません。あれは、この世の理の外側にいる……規格外の強さを持った、化け物です」
セラフィムは結晶を取り出す。
そこに写っているのは、セラフィムが調査して集めた、アインの戦いの記録だ。
「巨神トール。魔神キングとその息子や妻たち特級魔族。そして……中位天使。どれもただの人間がかなう相手ではありません」
アインの振るう剣により、数々の強敵が屠られていく姿を、結晶が映し出す。
「アインの強さは後天的なものですが、恐るべきはその【目】にあります。やつの目は多種多様な能力を秘めています。初見相手でも遅れることなく、中位天使の攻撃を完全に見切る動体視力等々……文字通りやつの目は【神の目】……いえ、【神を殺すこともできる目】となっています」
ーー馬鹿な!
ーーセラフィムよ、それは我々に対する侮辱と捉えるぞ!
「失礼しました。しかしアインが天使を全滅させた事実。そして巨神、魔神という神を殺した実績を持つ以上、アインはミクトラン……【神殺し】の異名を持つかの男と同等それ以上の強さを持つのは事実です」
セラフィムの報告を受けて、黙り込む神も複数いた。
だがやはり不満を覚えているものも、一定数いる。
ーーセラフィムよ、おぬしは何を我々に言いたいのだ?
「私は、アイン・レーシックにこれ以上、天界が干渉しないことを進言します」
セラフィムの言葉が、神々の怒りに触れたのだろう。
雷が天から降り注ぎ、セラフィムの周囲に墜ちる。
ーーふざけるな!
ーー我々が人間ごときに恐れをなしたと思われるではないか!
ーー我々は神! すべての生きとし生けるものたちの頂点に立つ存在としての矜持がある!
「矜持よりも天界、そして人間界の平和と秩序を保つことが、我々の使命であると愚考します。アインの戦闘能力は卓越しておりますが、本人の性格はいたって温厚。我々が手を出さぬ限り、【叛逆の勇者】のときのような事態にはならないかと」
ーー確かに、ミクトランのときと違い、アインには理性が残っているな……。
ーーあれは惨い事件だった。同胞が何人も死んだ。
ひそひそ……と神々の一部が、沈んだ声音で言う。
そう、神々が一番恐れているのは、鑑定士アインが、ミクトランと同じ道をたどらないかということを懸念しているのだ。
「現状、彼にはミクトランを凌駕するほどの力はあれど、アレと違って非常に善良なる魂を持っています。我々が干渉しなければ、100年もしないうちに穏やかに生涯を閉じます。ここは、静観がベターであるというのが、私の意見です」
深々とセラフィムが頭を下げる。
「どうか御方々におかれましては、アイン抹消の命令を、取り下げていただけたらと、具申いたします」
そう、放っておけば100年もしないうちに人間は死ぬのだ。
なら天界がアインに手を出す必要はない。
長い沈黙があった。
どうやら神々の間で、協議が行われているようだ。
ややあって。
ーーセラフィムよ。
「ハッ……!」
ーー上位天使を率いて、アイン・レーシックを抹消せよ。
「はぁっ!?」
セラフィムは目をむいて叫ぶ。
ーーアイン・レーシックは人理を超えた正真正銘の化け物だ。
ーー放置すれば、いずれ我々に牙をむくのは必定。
ーーゆえに、まだ精神が人間のうちに抹消するのだ。
「ふざ……ふざけないでください!」
セラフィムは周囲をにらみつけて言う。
「私たちに死ねというのですか!? 天使が死んだら……いったい死者たちの管理は誰が行うのですか!?」
現状、神は死者の管理を放棄している。
善人を転生させ、悪人を裁き、人間界の秩序を保っているのは、天使たちの必死の働きがあればこそだ。
ーー天使なんぞ、また補充すればよい。
ーーそれよりも我々神が失われる方が重大だ。
ーーそして、神が人間を恐れたなどという醜聞が広がり、神の威信が失墜することなど、あってはならぬことだ。
「……そんなに、威厳を保つことが重要か?」
セラフィムは怒りで肩をふるわせる。
ーーなんだと?
「そんなに神が人間より偉いって思われたいのかよ! そんなものくそ食らえだ! あんたたちの威厳なんて知ったことじゃない! それよりも大事なものがあるってどうしてわからないんだ!」
ーー無礼だぞ! 口を控えよ天使風情が!
「うるせえ! あんたらのくだらないプライドのせいで、仲間が大勢殺されたんだよ! これ以上無駄な犠牲を増やすって言うならあんたらで勝手にやりやがれ!」
セラフィムはバッ……! と身を翻し、その場を後にしようとする。
ーー待てセラフィムよ! どこへゆく!
「私は仲間たちをつれ【彼】のもとへゆきます」
ーーま、まさかアインの元へゆくというのか!?
ーー人間に助けをもとめるのか、天使のくせに!
ーー天使としてのプライドはないのか!?
「ありませんね。それよりも、大事なものがある。失礼します!」
セラフィムは神々に背を向けてその場を出て行った。
その場に残った神々が、彼女を馬鹿にするように言う。
ーー愚かな天使だ。
ーー天使など換えがいくらでもきく。
ーーそれよりアイン・レーシックをどうするべきか。
ーー天使が言うことを聞かぬ以上、神が直接やつを抹消しにゆくほかない。
ーーでは、誰が向かうか?
そう、結局のところ、誰が向かうか。
それが問題だった。
ミクトランと同等かそれ以上の強さを持つ存在との戦いとなれば、無傷ではいられないだろう。
ーーよくよく議論し合う必要があるな。
その後神々が頭を突き合わせ、長い長い会議が開かれるのだった。