124.鑑定士、精霊たちと船旅する
エルフ姫姉妹を、海の向こう国【アネモスギーヴ】まで護衛することになった。
話は数日後。
俺たちは大型船に乗って、南へと下っていた。
「アイン、さん! すごい、です! ひろい、海!」
海風が吹きすさぶ甲板に、俺とユーリはいる。
ユーリは手すりから身を乗り出し、眼下に広がる大海原、目を輝かせる。
「きれー、だなぁ……」
その目には涙が浮かんでいた。
「んもー、ユーリお姉ちゃんってばおおげさなんだから~」
左目が輝き、精霊たちが出てくる。
「うーみー!」
「めいめい手すりの上に乗ったらあぶないよ~。お姉さんが抱っこしてあげよぅ~」
きゃっきゃ、と精霊たちが喜んでいるのを見て、俺は気になることがあった。
「なあアリス」
ちょっと離れたところで、アリスが船の柱の影で座っていた。
「…………」
アリスの顔は青かった。
「だ、大丈夫か?」
「……ちょっと船酔いしたみたい」
確かジャスパーが言ってたな。
船に乗っていると、クラクラして吐き気を催すことがあると。
「医務室で休むか?」
「……ええ」
と、そのときだった。
「ちょっと待ったー!」
俺の右目が光ると、赤髪の幼女が転移してきた。
彼女は【朱羽】。
精霊アリスの守り手だ。
「兄ちゃん悪いな! うちの子ぉ船酔いでもう歩けへんらしい! せやから! お姫様抱っこして、運んでくれへんか!」
アリスが耳の先まで真っ赤にしてうつむいてる。
「別に良いぞ」
「ええって! ほらアリスほれ!」
アリスがたじろぐが、後から朱羽が押す。
俺はアリスをひょいっとお姫様抱っこする。
「~~~~~~!」
アリスの顔が真っ赤になり、顔から湯気が出る。
「あと頼むで兄ちゃん! そのままやってもええからな!」
やるってなんだよ……。
俺はアリスを連れて歩く。
『アインよ。この船は医務室まであるのか?』
脳内でウルスラが言う。
「ああ。この船はジャスパーが貿易に使う船らしくてさ、長い船旅に備えて医務室も食堂もあるらしい」
先日、俺が海外へ行くとジャスパーに伝えたところ、アネモスギーヴ行きの船を手配してくれたのだ。
ややあって。
船内の一画、医務室へとやってきた。
簡素なベッドが並んでいる。
その一つに、アリスを横たわらせる。
「医者はいないな。どこいったんだ……? 探してくるよ」
「……まって」
きゅっ、とアリスが俺の腕を掴む。
「……横になってれば治るから。ここにいて」
潤んだ目でアリスが言う。
俺はうなずき、イスを持ってきて、アリスの傍らに座る。
「精霊も船酔いするんだな」
「……船、久しぶりだったから」
「……なあアリス。他の精霊たちもなんだけど、海って初めてじゃないんだな」
さっきのユーリたちの反応は、生まれて初めて海を見たものではなかった。
世界樹は、長く地下にいたので、海とか知らないと思っていたのだが。
「……そう」
ぽつり、とつぶやく。
「もともと地上にいたんだっけ、おまえたちって」
世界樹。
魔力を生み出し、この世の生きとし生けるものたちに供給する、唯一無二の霊木。
かつて1つの世界樹だったのだが、何かのきっかけで9つに分木し、世界中の地下ダンジョンの奥深くに散らばったらしい。
「地上にいたときに海を見てたんだな?」
アリスが遠い目をして言う。
「……違うわ。私が精霊になる前に」
「精霊になる、前?」
こくり、とアリスがうなずく。
「……私は、生まれたときから精霊だったわけじゃない。その前は普通に、人間として暮らしてたの」
そうだったのか……。
考えてみれば、精霊のことって俺、何も知らなかったな。
「どうして精霊になったんだ?」
「…………」
「アリス?」
アリスを見やると、彼女は小さな寝息を立てていた。
俺は彼女に布団を掛ける。
「精霊になる前、か……ユーリたちも、元は人間だったのかな」
考えてみれば俺はユーリたちのこと、何も知らなかったな。
今度聞いてみようかな、と思っていたそのときだ。
ふと、医務室の入り口から視線を感じた。
「じぃ~」「ぬふふ、良い雰囲気~」「なんで入らないのー?」「おっとぉ、子供にはこれ以上見せられないなぁ~」
医務室のドアの隙間から、精霊たちがこちらを覗いていた。
俺は近づいて、ドアを開ける。
どどっ……! と精霊たちが流れ込んできた。
「ごめんねお兄さん。良い雰囲気だったのに邪魔しちゃって☆」
「お姉さん止めたんだけど、妹たちがど~しても見に行きたいっていうもんだからさ~、ついねつい」
ニヤニヤと楽しそうに笑うクルシュとピナ。
「ねーねーおにーちゃん。あーちゃん大丈夫ですかー?」
メイが俺の腕を引っ張って言う。
「ああ、顔色もよくなってたし、寝ていればなおるんじゃないか?」
ほっ、とメイが安堵の吐息をつく。
「お兄さんがエッチなお注射したから、元気になったんじゃないの~?」
「アイちゃん、大人のお医者さんごっこしたんじゃないの~?」
アホ姉に妹が、ニヤニヤと訳のわからないことを言う。
「あれ? ユーリは……?」
辺りを見回すと、ユーリが医務室のベッドに、横になっていた。
「こほん、こほん、あ、アイン先生ぇー……」
ユーリが弱々しく手を上げる。
「何をやってるんだあいつは……」
「ほらほら~アイン先生、いってあげないと☆」
「可愛い妹が苦しんでいるんだ。アイちゃん先生、助けてあげてくれよぅ~」
こいつらまた楽しんでやがるな。
「ゆーちゃんだいじょうぶー!?」
メイがユーリの元へ駆け寄る。
俺はユーリのそばまでやってくる。
「どうしたんだ、ユーリ。気分でも悪いのか?」
「先生、わたし、胸が、苦しい、んです。アインさん、見てると、こう、きゅーっ、て」
ユーリは目を閉じて、自分の胸を手で押さえる。
「とても、深刻な、病気……かもです。大人の、おちゅーしゃ、してください!」
ユーリが顔を真っ赤にして、真剣な表情で言う。
「なんだよ大人のお注射って」
「ちゅー……♡」
ユーリが目を閉じて、俺に唇を向ける。
「いやそれは……」
「ほらお兄さんちゅー! 大人のちゅー!」
「くーちゃん、おとなのちゅーってなんですかー?」
「メイメイはまだ知らなくて良いんだよ~。アイちゃん、お姉さんが許す。やれやれ~い」
アホな姉や妹たちは、一切止める気が無いようだ。
「ちゅー……」
「いやあの……」
「……わたしのこと、嫌い、だから?」
ユーリが不安げな表情を俺に向ける。
「いや、違うけどさ……」
「じゃあ、ちゅー……♡」
俺が困っていると、隣から視線を感じた。
「…………」
アリスが、絶望の表情で俺とユーリを見ていた。
『娘らよ。楽しんでいるところすまぬな。アイン、敵が現れたぞ』
「な、なんだって! よしウルスラ、すぐ行こう、今すぐ!」
俺はその場から駆け足で立ち去るのだった。