3.繰り返し
将来の夢。それを初めて書いたのは確か、幼稚園の頃だったと思う。
回りの子は皆、楽しそうに話していた。男の子で一番多かったのはサッカー選手……いや野球選手?警察官だったかな?
女子はケーキ屋さんとか、お花屋さんとか。
あの頃は良かったなぁ……なんて、私には早すぎる言葉が頭に浮かぶ。
何も考えず、ただ憧れてキラキラ輝く夢を言えたあの頃。対して今や語れるのは現実だけ。
自己分析。企業研究。相応の資格。学歴。収入。その他諸々の手当て……皆、将来と向き合うことを嫌がるようになった。
夢を語るだけなら無料と、誰が言ったのか。
生きるために、仕事をする。
仕事をするために、生きる。
前者と後者で、こんなにも意味が変わる。前者の人はどれだけいるか。後者の人はどれだけいるか。
だから私は、働く人全てを尊敬しているのだ。生きるために一生懸命足掻き、今日の糧を稼ぐ。どれだけ文化や技術が進歩しても、人間はその自然の摂理から抜け出せない。
生きるために、必死に生きている。
そんな人らを私は尊敬している。
……だらだらと語ったが、ここで結論を述べよう。
黒咲は尊敬していると言った。しかし一つだけ、例外がいる。
「どうしてここに来たのかな?やっぱり現場だから?あなただからこそ分かる……感じる何かがあったりして」
私は記者が大嫌いなのだ。正確には、報道関係者全般。マスコミ。レポーター。全部嫌いで、嫌悪している。
尊敬なんて、皮肉の意味でしか出来ない。
何が嫌いかって、その姿勢である。
人の中にズカズカと入り込み、好奇の視線で好き勝手に捲し立てる。まるで餌に集る虫だ。その癖、望み通りの都合のいい回答だけを貪る偏食ぶり。
それが仕事だと言われればそれまでだが、他人に嫌悪を抱かせる仕事とは何だ?
受け手と聞き手双方に問題がなければ未だしも、事実私には問題がある訳で。
加えて黒咲自身がその情報網に恩恵を受けているのだから、何とも歯痒い。
彼女が仕事なのだから仕方がないとすれば、私が嫌悪感を抱き忌避するのもまた、仕方がない。
やはり私は、目の前の月立さんが嫌いなのだ。
「あの……どちら様ですか?」
「ん?だから私は月立けい」
「それは先程聞きました。どこの局……いえ、新聞社なのかを尋ねているんです」
彼女は一人。目にもうるさい放送機器や取材道具を持った集団はいない。
今までに会った新聞社の記者と比べると、やたら軽装で適当な身だしなみでもあるが……黒咲は確信を持って尋ねた。
「そんな大層な者じゃないよ。私は小さな出版社の、しがない一記者。"ストレンジ"って言うオカルト雑誌のね」
「……オカルト雑誌?」
意外だと思った。同時に、やらかしたと後悔する。
彼女の返答に、警戒を解いてしまったのだ。いや、興味を抱いてしまったと言っていい。記者という役職は総じて目敏い。彼女の瞳がキラリと光る。
「オカルトに興味ある感じ!?あ、でもそんな気はしてたな~。だからここにも来たんでしょ?」
「いえ別に……」
「でも私はオカルト全般が好きって訳じゃなくてね?UMAとか未確認生物ってのはどうにも……やっぱこう、"消えてしまった"っていう絶対的事実があるからこそ、ゴールも見えるってもんよ。特に昨日なんか……」
黒咲は聞いていない。そして月立もまた、聞いていない。
また、彼女ら記者のペースに呑み込まれてしまった。
こうなっては下手に口を出すと、それすら彼女への可燃材料になりかねない。つまり、無視一択である。
同時に黒咲は思考した。
彼女の言った、『消えてしまった絶対的事実』という表現についてだ。
彼女は、事実だと言った。消失という事象を、事実と。つまりそれを嘘ではなく、真実であり現実であると暗に認めたのだ。
この言葉は、黒咲にとって余りにも大きい。
最初に黒咲はオカルトに興味を抱いた。しかしそれは、今までと異なる……オカルト雑誌という新しいメディアだったからに過ぎない。いや、下らない雑誌のネタになるのだからそれ以上か。
……結局は彼女らの餌と金になるのだ。何ら変わらない。そう彼女は判断した。
しかし。
しかしそのすぐ後に聞かされた、絶対的事実の言葉。
……事実。事実。
黒咲を認めるという、事実。
黒咲を見ているという、事実。
黒咲を否定しない、事実。
私を、否定しない?
……ダメだ、ダメだぞ私!しっかりしろ!
「……っ」
「どうしたの?何か臭う?」
黒咲はブンブンと首をふった。もちろん月立に対してではなく、黒咲自身の感情に対してだ。
私は今、喜んでいた。確かに喜んでしまっていた。それではダメなのだ。
繰り返せ!私は一人、勝手にやってるだけ。誰も私を見ていない!
繰り返すな!同じ失敗を、無駄な失望と絶望を!
私はこの世界から見て、狂っているのだ。
神を信じ、異世界を信じ、あまつさえそこに行きたいなどと妄言している。そんな私を認める人なんて、この世界にはいない!
……うん。大丈夫。私は、一人だ。
「それで、やっぱり君はあの怪奇現象の真相を求めてここに来たの?だったら色々と聞きたいこともあるんだけど……」
「……家族のことを報道でご存知のようですが、私が話すことは何もありません。光って消えたのです。ただ、それだけです」
「ふむふむ……やっぱり情報が少ないなぁ。まだ記事には出来ないか……」
月立は雑な手癖で、わしゃわしゃと髪を掻いた。元々跳ね放題だったそれが更に勢いを増した。
……黒咲は思う。失礼が過ぎないか、と。
こちらは家族を失っているのだ。加えてここはその現場。
今までも私の心境を鑑みず、好き放題に口上を垂れる人は五万といたが……最低限の社交儀礼はわきまえていた。
心中お察ししますとか、ご冥福をお祈りしますとか、言葉だけは一言置いていたのに。
……いや、それも今更の話ね。
それに何でか、憤りも感じない。
ーー私の家族を、殺していないからかな。
「……私はもう失礼します。ここをむやみに荒らさないことだけは、約束して下さいね」
「分かってますよ。ここに真実があるんだから、そんなことしない。謎の光……絶対に正体を突き止めてやるんで!
また会えるだろうけど、あなたも諦めないでね!頑張りましょ!!」
「……失礼します」
月立が手を振る度、ショルダーバックがギチギチと悲鳴をあげる。
……時間にして約三分。太陽に焦がされながら歩いて来たというのに、結局何も出来なかった。しかも見ず知らずの憎き記者に、あの場所を明け渡すなんて。熱中症の兆候かもしれない。
早く帰って、今度は違う場所を調べよう。
明日は土曜日だ。
花に対する殺意が消えていたことを、黒咲は知らない。