1.探し人
「じゃ、答案を返していくぞー」
それを合図に教室はまた盛り上がる。対照的に、教師は既に疲れ顔。
やっとこさ返却までいったのに、また騒がしくなった。これでは先程静めた意味がない。
どうせ点数ばかり見て、復習などしないのに……よくもまあキャッキャウフフと笑えるものだ。
終いには、点数の優劣で賭け事を始めている生徒がいた。
その競争心は感心するけど……一体いつ、そんな危ない大人の遊びを覚えたのだろう。友達が欲しくないと言えば嘘になるが、あの子らは遠慮したいと思う。
……こんなんだから、友達できないんだろうな。
「荒井ー。井田川ー」
黒咲は頭が良い。
これは自惚れでも嘘でもない。客観的事実というやつだ。
だから、自分のことも分かってる。
友達作りに、とことん向いていない人間だって。
「次、黒咲ー。今回も流石だな。当然っちゃ当然か」
黒咲は頭が良い。受け取った答案に書かれた、三桁の赤い数字がその証拠。
しかし当然……なのかな?
黒咲は今、高校二年生だ。
だけど、同じクラスの生徒らより一歳年上。本来なら三年に籍を置いている身……そう。みんなが大嫌いな、留年を食らった。
私は丸々一年間、学校に行かなかったから。出席数という最低限の進級基準を満たさなかった私は留年し、同年齢と一年間の差が出来たのだ。
実質、私はクラスメイトより一歳分年上。だから出来て当然だと、先生は言いたかったのか。
引きこもっていたのだから、その評価は少しずれている気がする。
「はい俺の勝ちー。昼飯奢れよな」
「危なかったー!赤点回避!」
喧騒の中を進み、席へと戻る。
本当にうるさいと思う。
だけど私は、このクラスが嫌いじゃない。
だって、誰も私を見ないから。
真面目そうな男子は返された評価に没頭。快活な男子は部活への熱意を語り、朗らかな女子はこれからカラオケに行くそうだ。先生も誉めたり叱ったり……座右の銘がメリハリだと言っていたのは嘘じゃなさそう。
誰も、私を見ない。皆自分のことに夢中で、私という他人を見ていない。
身の程知らずな嫉妬も、疫病神だ人殺しだなんて言葉も、何もない。聞こえない。誰も私を否定しないし、認めない。
とても心地好い。
引きこもっていた私にすら無関心な、その心無き心。自分勝手で我が儘が溢れる空気は、どんな大自然にも作れない。
私は今日、調子が良いみたい。
だからまた、捜しにいこう。
異世界も神も、私だけが見ている。
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異世界に行きたい。
親しい人が突然こんなことを言い出したら、人はどうするだろうか。
そう。悪戯やおふざけなどでは決してなく、義務教育を終えて成熟した人間に、至極真剣な眼差しで語られたと仮定しよう。一体人は、どうするのか。
赤の他人であれば無視で解決するだろう。頭がおかしい人と会ったと、明日の話のネタが出来る。
我が子や近所の子供のような幼い子であれば、暖かい笑みを返せる。何なら魔法使いのステッキも買おう。
だがその人は親しい人。
まずは心配して、誰かに相談して……ひどければ医者を頼るかもしれない。過激であれば、現実逃避をするなと愛の拳骨でたしなめる。
少なくとも、今の黒咲ならばそうする。
だから今の黒咲は、昔の黒咲のように、やたらと異世界やら神とやらは言わない。それが異常だと、大きくなった彼女は学んだのだ。
社会的に排斥される異端者、病気。
もう分かった。もう知った。私はこの世界から見て、おかしいと。
だったら私は、一人で異世界に辿り着いてみせる。
「やっぱりすごいね黒咲さん!僕、中間試験で満点なんて取ったことないよ!」
「僕はあまり良くなかったから頑張らないと……あ、その、分からないところを教えてもらえたらな~なんて……」
「そうだ。黒咲さんは今日も異世界を探すの?」
「ストップ花鳥くん」
黒咲は堪らず、隣を歩く男子を黙らせる。
授業終わり。放課後の校舎。二人で廊下を歩く男女。そこに青春など欠片もない。
黒咲が言えたことではないが、この男は何を言い出すんだと思うことも一度や二度ではなかった。
今だってそう思っているから、私は彼を睨み付けている訳で。
「その話、しないでって言ったでしょ」
「ご、ごめん。でもやっぱり、その……一緒に、ね?」
何が"ね?"なのか。
色々と文学作品を読んできた黒咲にも、花鳥の心情は理解できない。
花鳥兜。
大人しい性格で、校則を律儀に守った地味な容姿。現代の俗語で言う『陰キャ』という言葉が当てはまるであろう彼。
花鳥くんは私が異世界を探していることをどこで聞き付けたのか、ある日突然協力したいと言ってきた。何を怯えていたのか知らないが、それを言うのに十分かかったのは私の記憶にも新しい。最初はもじょもじょ言ってて、何語かと思ったけど。
実はこんな申し出も初めてじゃない。
花鳥くんが来る以前にも、数人の男子が声をかけてきた。
私と話したい。異世界について語り合いたい、と。
私は久しぶりに喜んだと思う。だって、ずっと否定されてきたんだもの。喜ばない方が無理だ。やっと理解者が来てくれたんだって。
そして結果的に残ったのは、絶望だけ。
『黒咲さんはどんな異世界ラノベものが好き?俺そういうのたくさん持ってるから、その、うち来ない?』
『異世界っていいよね~。俺もあんな理想郷に行けたらなぁ……今の社会はほんとクソだよ』
『え、異世界ってマジで言ってたの?いや気持ちは分かるけど、現実見た方がいいよ……』
誰一人として本気じゃなかった。
私は遊びでやってるんじゃない。家族を連れて去った世界が理想郷?現実なら涙が枯れるほどに見ている!!
結局。結局!
味方なんて誰もいない。私の話なんて信じない。
家族が消えたのも未解決事件というのが真実で、私が見た光は間違いで狂っているのだと!
だから、もう。もう分かった。
私がおかしい。それでいい。だから放っておいて。私を見ないで。私が全部、勝手にやると決めたから。
「でも、僕も手伝いたいし……」
……しかし、この男は厄介だ。
彼は異世界の存在を信じている。そこに嘘はなく、純粋に。今までの人とは根本から違うと言える。
相手が黒咲でなければ一発で変人扱いだが……彼はここではない、違う世界を信じてしまっている。だから拒絶するつもりはない。
それでも、黒咲は彼を厄介だと評価した。なぜか?
簡単な話。
「やっぱり異世界は憧れるでしょ?僕もあんな楽しい世界に行ってみたいもの」
黒咲の異世界と、花鳥の異世界は違う。
彼女の異世界と、彼の異世界は違う。
私の異世界と、花鳥くんの異世界は違う。
黒咲の行きたいと、花鳥の行きたいは全然違うのだ。
「……憧れるのは分かる。異世界があると思うのは、私も同じ」
「だ、だよね!」
「でもね花鳥くん。私の異世界は、楽しくなんてないの」
「え……?」
「異世界は、地獄だよ」
私は地獄を知らないし、天国も知らない。
だから私論で、独断で、偏見で感情的に断言してやるのだ。
繰り返そう。
異世界は、地獄。
黒咲は、花鳥を置いて学校を出た。