召喚
夜の学校は怖い。
少なくとも、怪談の舞台やホラーの風物詩の基礎となる位には怖い。昼と夜でこうも姿を変える場所は珍しい……。
それが廃校舎ともなれば尚更だ。
やれ亡霊が出る、やれ七不思議があるだの。出所不明な俗説がなければ、こうも怯えずに済むというのに。
「偉くなったら、嘘吐いた奴全員しょっぴいてやる……くっそー、怖ぇなぁ……」
そんな冗談を言わねば、精神の安定を図れない一人の警備員が忍び足で廊下を進む。
本当についていない。
警備員の男は、ここの警備を担当してからというもの、そればかりが頭の中をグルグルと回っていた。
廃校舎。この世で不吉な言葉ベストテンに入る場所の警備(あくまで警備員の基準である)。
誰が好き好んで警備などするものか。
来るのは度胸試しの迷惑な子供か、じゃんけんで負けた警備員くらいのものだろう?
それに、いくらこの廃校舎が比較的綺麗に保たれていようが、そんなものは恐怖を和らげる材料にはならない。
なぜ、取り壊さないのか?あんな事件が起きたというのに。
「なんなら、俺自ら取り壊して……」
ゴトン!ガタガタッ!!
「ひぃあぁっ!!?」
……警備員が何かを壊したのか。いいや違う。そんなことは本人が一番理解している。
固い物がぶつかるようなその音は、廊下の先。光の漏れた教室から聞こえた。警備員にとっては正確な位置など、どうでもいい。
電力の途絶えた教室に光がある。絶対にそこから聞こえたに決まってる!先輩に報告せねば!
しかしそんな思いとは裏腹に、警備員はふらふらと教室に近付いてしまう。
不思議かな、人間は暗闇の中では微かな光でも求めてしまうものだ。
これを本能、というのだろうか。
それとも怖いもの見たさ?
……警備員にとってそんな比較は問題ではない。彼にとって重要なことは二つだけ。
一つ。
明かりのある教室に何か……いや、誰かがいる。そう、誰かだ。
先輩だろうか?それとも悪ガキ?どちらにしろぶん殴ってやる。
二つ。
その教室は、三年B組の、教室。
「あの事件の、あった場所……」
……。
……入りたくねぇ……。
かつてこれ程まで入りたくないと思った空間があるか?
警備員からすれば、中学生の頃に遭遇した夜の両親の営み部屋と同じくらい、入りたくない。
しかし彼は中学生じゃない。
大人であり、これは仕事なのだ。
「……おい、誰かいるのか?」
ええいままよと、教室の扉を開け放つ。
この手の状況は気持ちが大事だ。手短に、威圧的に。教室内の誰かに警告する。そして、迅速な状況把握。
「……これは」
教室の中は、いたって普通だった。
黒板の前に教卓。向かい合うように等間隔で配置された机と椅子の数々。机上にはノートや筆箱まで置かれているではないか。
まさに教室の風景。
すぐにでも授業が始められるだろう。
だがそれは、普通の学校であればの話。
ここは廃校舎だ。
(机も椅子も、端に積まれているはずだろ?それに、なんでノートなんか)
がたりと、音が鳴った。
「だぁれだッ!?」
再度、反射的な警告をする。
声が裏返ってしまったが、そんな彼を笑ってくれる同僚も先輩もいない。
「……」
いるのは、一人の女性だけだった。
「子供……学生……?」
彼女の服装は確か、廃校前にこの学校が指定していた学生服だ。今時は少ないセーラー服だったから、印象も強く残っている。
学生らしい華奢な身体、艶やかな黒の長髪。
月明かりでもあれば昔話のように幻想的にも写るだろうが、今宵はあいにくの曇り空。
蛍光灯の人工的な光は、彼女の肌を無感情に照らしていた。
幽霊……ではないと思う。
先程の警告は完全無視、警備員に対して無反応。何事もないように机を動かしているが、多分生きている。
「何だよ、ビビって損したぁ……」
ゆっくりと息を吐く。
「……いや待て、なんでこんな所に」
「あーやっぱり見つかったか」
警備員の隣にぬるりと違う男前が現れる。
警備員と同じ服装。長年使った証か、所々色褪せやシワが目立つ。警備員の先輩だった。
人間は度を越えた驚愕刺激を受けると、むしろ反応出来ないそうだが、どうやら事実のようだ。
警備員は当然のように疑問を口にする。
「やっぱりって先輩……彼女は一体……」
「だからその先輩呼び止めろ。男に言われても鳥肌しか立たんわ……あの子はここに忍び込む常習犯だよ。ほら、事前に言われたろ?」
思い出した。警備のマニュアルを手渡されたときだ。
毎晩のように忍び込むという、学生服を着た女子。
その子は例の事件があった3年B組に入り浸り、自前の灯りと筆記具を持って、教室内の備品を移動させている。
見かけた際は、危険な行為に及んでいないかを特に注視すること。
その後、保護者に連絡。迎えが来たら厳重注意だけして、速やかに帰宅させるように。
彼女の対応のためだけに作られた、特例のマニュアル。
すっかり忘れていた。それだけ廃校舎の警備が憂鬱だったということだろう。
「しかし、何度も侵入されちゃ堪らないですよ。何で注意だけで済ませるんですか?そもそもどうやって入り込んで……」
「あー、それは俺が入れたんだ」
現に彼女は、警備員二人のことなど視界に入っていないかのごとく、好き勝手やっている。
女生徒は今、黒板に文字を書いている最中だ。これまた自前の白チョークで、何かの英文を書いている。意外にも達筆な文字であるが。
「入れたって……」
「だってなぁ、あの子の境遇を考えると……ホントは厳重注意だってしたくねぇ位だ」
「境遇?何かあったんですか?」
「……お前の耳は飾り物か」
ひどい言い草である。
本当に聞かされていないのに……。
「あの子は、例の事件の生き残りだ。
三年B組、集団失踪事件のな」
「……マジですか。あの子が?」
半年前の夏のこと。
この教室にいた生徒たちが、消えたのだ。
これは比喩表現などではない。
何の前触れもなく。何の痕跡も残さず。この教室で当たり前のように義務教育を受けていた生徒全員が消失したのである。
当時の騒ぎは、それはそれは目も当てられない。
足取りすら掴めない警察は大混乱。
メディア関係者は、餌に群がる虫のように集り、事件を報道。
突然我が子を失った家族らは、一体何処にその悲しみと怒りをぶつければ良かったのか。
学校関係者は向けられた全ての矛先の対処を求められた。
「調査は未だ続いてるが、ほぼ未解決事件と同じ扱いさ。こんな薄気味悪い事件、好むのは余程の変わり者だろ」
「でもあの事件は、教室の生徒全員が消えたはずじゃ……」
「あの子の存在が知れ渡ってみな。分かるだろ?」
つまり、そういうこと。
『唯一の生存者!彼女が見た怪奇の真実!』
明日の朝刊の一面は、これで決まりだ。報道番組の視聴率はうなぎ登り。
彼女は注目の的となり、晴れて人気者である。プライバシー皆無というおまけ付きだ。
「目の前で大勢の顔見知りや友達が消えたんだ。そりゃ、現実から逃げたくもなるわなぁ……
異世界に連れていかれた、なんてよ」
「……」
警備員は、胃がムカムカとした。
「当時の状況を再現してるそうだ。それで異世界に行けるって……本当に、いたたまれないよ」
余りにも酷な話。
彼女に非などない。だというのに、この仕打ちはなんだ?
ありもしない異世界だ。当然、行く方法など存在しない。
それでも彼女は、呪われたように机を動かし、黒板に英語を書く(当時の授業は英語だった)。
異世界などという幻想に囚われてしまった、彼女は……。
「仕事だからな……黒咲ゆりさーん。そろそろ帰りましょ?今から保護者さんにも来てもらうんで……」
彼女がこちらを見た。しかし目が合うことはない。
彼女が見ているのは、きっとこの世にないもの。多感な女子中学生からは想像も出来ないほど無な表情。
警備員はその姿を、ただただ可哀想だと思うのだ。
「では次のニュース……先日の夕方五時頃の目撃証言を最後に、黒咲盛牙くんと、その母親の黒咲月見さんが行方知らずとなっています」
「最近、こういう事件が本当に多いですよね。しかもこれ、集団失踪事件が起きた中学校の近くなんでしょ?」
「はい。今回も突然いなくなってしまった、ということで……類似した点も多いことも含めて、警察は捜索を続けています」
「その瞬間を目撃したというお子さんのお話では、光り輝いて消えたとか……」
「本当にショックだったはずです。事実を受け止めきれなくて当然ですよ……向き合えることを祈ってます」
「当番組では、情報の提供を……」