12.過去の亡霊
大人とは何か。
最近……そうだ。黒咲と会ってからと言うもの、月立はそれを考えることが多くなった。別段格好つけてる訳じゃないし、そんな年頃でもない。だがやはり、考えてしまう。
年齢的に成人を迎えれば大人か?しかしそれはこの国の基準であって、少し違う気がする。では精神的にも身体的にも成熟した人を指すのか……それも曖昧だと言ってしまうのは、我が儘かもしれない。
月立にとっての大人とは、自由な人だ。
金も時間も人間関係も、仕事も全部。全部その人の意思で決められる……自由な人が大人だ。月立はいつからか、そんな大人に憧れ、そして目指した。
私はいつの間にか、そんな大人になっていた。
……だからこそ彼女は、黒咲を見ると自信がない。
黒咲は、自由だ。
金を自由に使える。時間を自由に使える。我が身を自由に使える。信じる人を選べる。
全て、異世界のために自由に使っている。
金を、時間を、我が身を全て異世界に捧げる。異世界に縛られ、無いもののために、今あるものと未来にあるものを使い続ける。
誰も彼女を止めない。止める人がいない。認める人もいない。
それは彼女の意思?彼女が好きでやっていること?
確かにそうだろう。間違いない。黒咲は否定することもなく、自分の意思だと語るに決まっている。
つまり、黒咲は自由。彼女はもう大人だ。
……本当に?
「そこなんだよねぇ……」
月立は、黒咲との距離を計りかねている。
『語りましょう。憎き異世界を』
いつか、彼女が吐いた憎悪のそれ。
……子供のようだった。いや、確かな子供だった。好きなものを、大切なものを取られて、怒って泣いて。
だからそれを取り戻したい。子供らしく、愚直に。真っ直ぐに。それだけを見て、思いのままに動いている。
動かされている。
……やっぱり、自由だ。
だけど、大人じゃない……と思う。見下すとか、馬鹿にするとかじゃなく、あの子は大人じゃない。
『何を思って、異世界を見ていますか?』
私はこの疑問に、仕事とあなたのためだと答えた。
嘘ではない……が、本音でもない。これは考えた回答じゃない。咄嗟に出た反応だ。
あなたのため……我ながら笑える話だ。
彼女のことを何一つ理解していないのに、彼女を語るなんて。
だから……結局私は。
どんな月立で黒咲に会えばいいのか、分からない。
「つまり、今度の一ページにはそんなポエムを書きたい。そう言うことね?」
「……姉さん、国語の成績悪かったでしょ」
「そこそこよ?下から二番目」
……珍しく黄昏たのは失敗だった。やっぱり慣れないことはするものじゃないね、編集長に絡まれちゃった。
「これでも真剣に悩んでるんですよ~」
「仕事と私情は分けてちょーだい。月ちゃんはただでさえ、奔放な行動が目立つんだからねぇ」
「でもそんな月ちゃんも大好きでしょう?も~、姉さんはツンデレさんなんだから♪」
「あらあら……ウフフ♪」
おっと、この微笑みはよろしくないね。また締切日を一ヶ月短縮なんてされたら死んでしまうので、ここは大人しく頭を下げましょう。
いやしかし……私の発言も強ち間違ってない。
確かに私は俗に言う……常識破り、悪く言って非常識な部分が多々見られる。事前のアポ無しで取材に行ったり、交通料金を経費で誤魔化したり……だけどそれは無駄じゃない。必ず何かしらの収穫を得ている。
迷惑をかけてはいるけど、同時に貢献もしている訳だ。
最近の例で言えばやっぱり、ユリちゃんとの接触だよね。
ここ数年前から急激にその数を増やしている、謎の失踪事件。その余りにも足取りの掴めない異様さを、オカルト専門のこの部が放っておく訳もない。もちろん、私もだ。
予定も全部ほっぽり出して、それらを追い求めた。
結果、私と同じで"普通じゃない"彼女と出会えた。
それ即ち、グッと近づけた訳だ。この失踪事件の、核心の部分に!
「これは運命の出会いってやつですよ、うん」
「はいはい、惚気話は結構だから……ちゃんと記事として完成させなさいよ、その"異世界"や"天使"ってやつを」
そう言って、編集長は月立のノートパソコンへと目を向ける。
文字入力の画面……それは全くの白紙。痛いところを突かれた月立は、誤魔化すように机上の取材メモを片付け始めた。
月立はここ最近の取材で、確かに失踪事件の核心に近付いたはずだ。
たがしかし。それが他者に伝わらなければ、今まで聞いて見て書き連ねてきた取材メモは、何の価値もない妄想ノートへと早変わりなのだ。
『失踪事件の真実!異世界はあった!!』
『天使の誘い!異世界の来訪者の衝撃告白!?』
……ダメだ、ボツだ。誰も読まない。いや私は読むけれど。
これはオカルト雑誌だ。少しばかり胡散臭いのは仕方がないし、それが醍醐味だ。
だが物事には限度がある。この場合、とりあえず読む価値が発生するレベルには押し上げないと話にならない。
ゼルちゃんの写真とかを載せられれば、一気に信憑性が増すんだけど……あの厳つい保護者が許さないよね~……。例の天使の画像もぜひ欲しい。
「まあ……頑張りますよ。これからユリちゃんとデートなので、失礼しますね~」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
記者と言えば、体力勝負だ。
取材のための外回りは当然のこと、それを粘り強く続ける継続力。ネタを引き出すための振る舞いに思考力。それを延々と文字に興す集中力……。
体力はいくらあっても困らない。
つまりその体力を削り取る、ジメジメと鬱陶しい夏という季節は私たちにとっての天敵という訳だ。
それに加えて、今の私には悩みの種が諸々とある。
ユリちゃんのこと。
仕事のこと。
だけど今はそれらじゃない。見事、私の意識を奪っているのはまた違うこと。
意外や意外、花鳥兜くんである。
「私はカウンセラーじゃないんだけどなぁ……」
つい、あの時の彼への返答と同じことを呟いてしまった。違うのは、今は憂いた笑みを浮かべた花鳥くんがいないことだけ。
彼もまた、異世界に魅入られた一人。
だけど私やユリちゃんと違って、その象徴たる天使を見たことがない。あくまで、自身の頭で異世界を描いているに過ぎない。
しかしそれでも異世界の存在を信じる一人だ。
『僕、クラスで軽いいじめを受けているんです。異世界なんて妄想してる気持ち悪い奴で、それで黒咲さんに相手してもらってる勘違いな男だって……その、どうすればいいと思いますか……?』
……ユリちゃんが早々に帰った、ゼルちゃんらと顔を合わせたあの日。
放置同然の仕打ちを受けた花鳥くんを家まで送っていたとき、唐突にそんな相談を受けた。
ちょっと……いや、大分驚いた。
彼と知り合ったのは、正しくその日だ。まさかそんな告白をされるとは予想も出来まい。
ただ、学友からその仕打ちを受けるという事態は……予想出来た。
異世界……端から見れば、存在しないものを信じ陶酔する異常者だ。ユリちゃん自身、"普通じゃない"と見なされ、それ相応の今までを生きてきた。
だからユリちゃんは、そんな周りを気にしない。
いや、その周りがユリちゃんの生い立ちを知っているからこそ、下手に関わらないのかもしれない。家族ことは一度知れ渡っているのだから。
だけど、花鳥くんは違う。
何が違うって、全部違うのだ。
そんな普通だった彼が、普通ではない異世界を見始めた。それも、多感な学生の園……学校で。
どんな扱いを受けるかなんて、簡単に想像出来る。
……しかし月立は、それを告白されることは想像出来なかった。
『私はカウンセラーじゃないんだけどなぁ……』
結果、出た言葉がそれだ。
花鳥はそれを聞いて、小さく笑い、すみませんと一言着けた。
それに名前をつけるならば……諦めた、のだろう。
「あぁもう……何でこんな考えなきゃならないかなぁ……」
日も暮れてきたというのに、暑さは相変わらずだ。
汗も引くことはない。これからユリちゃんと会うというのに……またあの迷惑そうな顔で見られちゃうよ。
花鳥くんのことは、ユリちゃんにも聞いてみよう。そう結論を投げ出したとき……黒咲の姿が遠くに見えた。
いつの間にやら、彼女の自宅近くに来ていたようだ。
「はぁーい、ユリちゃ……」
その言葉が、途中で止まる。
黒咲が見知らぬ女性と話していたから。
『これ以上、ことはちゃんを傷付けないで!!!』
……本当に、彼女の近くは退屈しない。




