11.異世界人と世界
『全く、何処から入り込んで……!』
『窓は開けたけど……ああダメ、全然……!』
「……んん……?」
異世界の人物に会う。私の人生を大きく揺るがしたであろう出来事から、一夜が明けた。
家に着いたのは九時過ぎだったかな……夕御飯とか課題とか、何より異世界のことを文字にまとめるのに時間がかかって……何時に寝たんだっけ……?ゲーム以外で夜更かししたのは久しぶりだ。
というか、下で祖父母が何か騒いでる……?
「おじいちゃん達、何を騒い、で……」
……黒咲が何気なしに、課題で散らかった机上を見た時。
眠気が一気に吹き飛んだ。
「まさか……っ!」
朝が苦手で、寝起きの悪い私がまさか、起床してすぐに我が家を駆けることが出来るなんて知らなかった。新しい自分の側面が見つかって嬉しい……なんて思う余裕はない。
かつてない程に荒々しく階段を駆け降り、祖父母の食事場へと飛び込んだ。
「あ、ユリちゃんおはよう……けどそこ開けちゃダメ!」
「ユリ、そこ閉めてくれ!鬱陶しいハエが逃げちまう!」
……案の定だ。
そこに穏やかな朝食風景は無く、祖父母はそれぞれの手に武器を持ち、朝食を懸けた死闘を繰り広げていたのだ。朝食防衛戦争の始まりである。
一匹のハエ相手に。
「くそ、今度こそ殺虫スプレーで引導を……!」
「だから朝御飯にかかるから止めてって!止まった所をこのハエ叩きでビシッと……!!」
ブンブンと飛び回るハエが、ビクリと震えた……気がした。
そして、黒咲からすればどちらの殺し方も勘弁願いたかった。
スプレーは言わずもがな、朝食が終わるから。彼女もご飯に対する好き嫌いは無いが、流石に殺虫成分がトッピングされた食事は好まない。
ハエ叩きに関しては絶対に止めてほしい。
それで仕留める分には構わない。だがその後は?潰れたそれの処理は誰がやるのだ?生きている時でさえグロテスクな様であるのに……この道具の開発者は事後を考えなかったのかと、小一時間問い詰めたい。
本心から言いたい。何を考えていたのかと。
……と言うかどちらにしろ、そのハエが殺されちゃうのはまずいけど……。
「おっと……」
「ああ、二階に行っちゃったわ……!」
「何ぃ!?あの虫野郎、ユリの部屋でブンブンするなんて……!」
「おじいちゃん、大丈夫だから……私一人で片付けてくるよ。悪いけど、朝御飯の準備はお願い」
ハエ一匹に随分と踊らされたようだ。入室禁止をお願いしている、黒咲の部屋にすら特攻する空気である。
二重、三重に渡って大丈夫だと念を押し、逃げた先であろう自室へと戻る。
朝から何て騒がしいのやら……。
全ては、言い付けを一晩で守らなかった"彼女"のせいである。
「ゼル……その姿で飛び回るのは止めてって言ったでしょ」
『だって美味しそうな匂いしたし!室内だし……それに結局、人型でも飛ぶなって言うじゃんか!』
部屋に入るなり、そのハエ……ゼルは黒咲の顔の回りでブンブンと飛び、文句を散らした。
……正直に言おう。とても気持ち悪い。あぁ止めて!耳元ゾワゾワする!
そう。このハエこそ、先日黒咲に付いてきた小人少女……ゼルなのだ。
「何度も注意したでしょ?この世界の人間はハエを見ると、問答無用で殺しにかかってくるから、大人しく人の姿で隠れてるようにって……」
『ユリが身を持って証明してくれたもんね……!』
たった一晩で何度、この会話を繰り返しただろうか。
彼女がハエに化けた瞬間、黒咲は顔を変えてゼルを潰しにかかった。そんな恐怖を味わって一夜しか空けていないのに、どうして下に行くなどと言う冒険に出たのか。
ハエの姿である方が彼女にとって自然であり楽だと言っても、もう少し自分の身を心配すべきだろう。
異世界出身の者を手元に置ける……それは黒咲にとって大変喜ばしいことだ。しかしまさか、こんな代償があるとは思わなんだ。
ゼルだけではなく、黒咲自身も、身の振り方には注意する必要がありそうだ。
「はぁ……とにかく、食事は持ってくるからここに居てね」
『やったぁ!ユリちゃん大好き!』
「み、耳の中に入るのは止めてぇっ!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『ね、ねぇ。謝るからさぁ、機嫌治して~……?』
「……ブンブンと煩いハエがいるわね」
『ひ、酷い!?』
時刻は放課後。場所は学校の図書室。
黒咲の今日の一日を一言で表すなら、最悪だった。
もちろん要因は、黒咲の肩の上でブンブン喚いている人型のゼルである。
黒咲が留守の間、この好奇心が強すぎる彼女は何を仕出かすか分からない。その判断の下、ゼルを学校に連れ出したのが間違いだった。
なぜ、どうしてハエの姿になるのか?
確かに小人の姿を見られる方が厄介であるのは理解出来る。しかしハエの姿で黒咲に付きまとうことの意味も分かってほしかった。
常にハエが集っている人間……しかも女子。周囲からどんな印象を受けるかなんて、分かるでしょ?分かってよ、お願いだから。
後"離れないで"とは言ったけど、それを忠実に守って欲しい。無理なら、何処かに行って欲しい。
中途半端に私のお願いを守るから、結果的に私の回りに一匹のハエがブンブンと飛び回っている光景が生まれたのだ。昼休みなんて、飛び回り過ぎてちょっとした悲鳴も上がっていた始末だ。
『でも、誰にもばれなかった。ご飯の誘惑にも負けずにユリちゃんから離れなかったもんね』
……言い付け守ったでしょ?みたいな顔が本当に腹立たしいわ。
「……もういいわ。目的の本は見つかったし」
『私が言うのも何だけど、あんまり意味ないと思うよ?私たちの世界とは接点がないもの』
ゼルが気怠げに言った。
以前の黒咲であれば、“そんなことはない”と逐一反抗していただろう。しかし異世界の人物が居る今となっては、むしろゼルの言葉に賛成的だ。
それでも、相も変わらず西洋神話や東洋古典・伝記の書籍を手に持ってしまうのは……習慣に近いのかもしれない。
……止める訳にはいかないのだ。
私はまだ、異世界を見付けられていないのだから。
「ねぇ。もう一度確認するけど、あなた達は赤い天使の転移に飛び込む形で、この世界に来たのよね?転移先に何か……なかったの?」
『無いね。私たち二人とも近くの川原に投げ出されて、赤い天使の影も無かった。そこで月さんに会って、今までこの通り』
昨夜メモに記した通りの回答だ。
やっぱりその川原には行くべきか……いや、その付近じゃ異世界関連どころか、目立った事件もない。
つまり彼女らがそこに現れたのは特に意味も無い、偶然だった……?行っても得られる物はないか……。
「それにしても、月さんか……本当に打ち解けてるわね」
『そりゃ、あの人は誇張でも何でもなく命の恩人だからね。働く場所も住む場所もあの人の伝手が無かったら、今も野宿だよ』
色んな意味で恐ろしい人だ。
戸籍も身分を証明するものもない。一体どんな伝手があれば、それ程の環境を提供出来るというのか。
彼女は黒咲の情報収集能力に目を見張っていたが、月立も大概である。
何より、見ず知らずの彼らにそこまで手厚く出来るとは……はっきり言って異常だと、黒咲は思っていた。
ゼルを見て普通ではないと悟ったのだろうが……それを引いても異常だ。普通の人間ならそこまでしない。
……本当に、おかしな人だ。
『ねぇねぇユリ!あの子が耳に当ててる魔導具は何!?初めて見るんだけど!』
……この子がいると、思考に耽ることも叶わないわね。
「あれはヘッドフォン。場所や人を気にすることなく、耳元で音を聞ける道具」
『へぇー。でもここ図書室だよね?文献漁ったり勉学に勤しむ場じゃないの?』
「別にいいでしょ、他人のことなんて……」
チラリと、ゼルが指し示したヘッドフォンを付けている女子生徒を盗み見る。
黒咲はこの図書室をよく使う常連だが、その女子生徒もまた常連なのだろう。少なくとも、黒咲が来た時には必ず端っこに座り、ああして音楽の世界に没頭している。
「……」
……そう言えば花鳥くんには、私と雰囲気が似てるとか言われたっけ。
その彼女とは口を聞いたこともないけれど。彼女も私を認知しているか、怪しい所だ。
『ほあー。あんな小さな道具で音がねー……やっぱり凄いや、この世界』
「……あなた、この世界に対して本当に関心が強いよね?しかも、どちらかと言うと好意的な……」
『そうねー。興味は津々だよ?』
「……どうして?」
黒咲の疑問に、ゼルは首を傾げる。興味を持ってはいけないのか、と。
違う、そうではない。
彼女が興味を抱く対象が問題のはずだ。彼女らは転移者に追い出される形で、この世界に迷い混んだ。
そしてこの世界は、その転移者らの世界……故郷。
「敵陣の真ん中……仇がそこここに居る世界で、友好的でいられるの?」
転移者は、この世界より生まれたのだ。それが連れ去られた望まぬ形だったとしても、その事実は変わらない。
つまり、ゼルたちを今の仕打ちに至らしめたのは、他ならぬこの世界のはずだ。
なのに、何故。何故そうも友好的に、楽観的にこの世界を見る?
「あの男の肩を持つ訳じゃないけど……あなたはこの世界を恨むべきよ。前触れもなく異界から出てきて、故郷を荒らされ、迫害された。
もっと憎めばいい。この世界をぐちゃぐちゃにしたい、そう望むべきでしょ?何で……寄り添うの」
そうだ。それが正しい。
あの男の肩入れなど本当に、本当に腹立たしいが、それが正しいはずだ。
転移者が居た世界。居る世界。
恨むべきだ。憎まなきゃいけない。許さないと歯軋りして、復讐のために一生を懸けるのだ。ゼルにとっての異世界を嫌悪するんだ。
私と、同じように。
それが正しい。絶対に正しい。
……なのに、何でそうしないの。
……私が正しいって、言ってよ
「あなた、本当に転移者を憎んでないの?そこまで故郷に思い入れが無かった?」
『まさか。私が生まれ育った世界……突然追い出されて喜ぶ程、私は特殊じゃないよ。端的に言って、心底気分が悪いさ。吐き気を催す位ね』
だからこうして、手を貸している。そう言って、彼女は右手を挙げた。
私も故郷には戻りたい、と。
「……尚更どうして、笑っていられる?」
『あのねぇユリ……ちょっと落ち着きなさいな』
……何いきなり。どうして私が溜め息を吐かれなければならないの。
ゼルはこの世界のルールを知っている。
確かにこの世界でやたらと人を殺めて回る訳にもいかないし、今の弱体化した彼女では返り討ちに潰されるのが落ちだ。
だからと言って、何故この世界に馴染む?何故笑う?
ゼルは、この世界を許すべきじゃない。
「……私は冷静よ。可笑しなことは言っていない」
『別に、この世界は嫌いじゃないの。転移者は確かに私たちを迫害したけど……それはこの世界の人々とは関係無い。ユリが言っていたことだよね?』
「……」
『ユリの大切な人たちは、異世界に連れ去られた。じゃあその異世界から来た私たちを憎むの?違うでしょ?』
……異世界から来た、彼女たち。
彼女たちは、私の希望だ。異世界を見つけるための、重要な手懸かりだ。鍵だ。憎むなんて、考えたこともなかった。
……でも私は、異世界に笑うなんて絶対に出来ない。
『私は、絶対に仕返ししたい相手はもう決めてるの。だから今は、今の生活を目一杯楽しんで、転移者の知識を盗む時間。楽しまないと損だから』
「……私には、無理ね」
『だからユリも落ち着いて決めて。憎む相手を、許さない相手を。
"憎しみ"って使い方間違えると、取り返しがつかないんだよ』
ーユリは、誰を憎んでいるの?ー
……決まっている。
異世界そのものだ。




