10.異世界からの逃亡者(2)
「まさかシフトが終わるまで粘るとは……軽蔑を通り越して尊敬に値する」
「記者は我慢強いストーカー気質の人が向いてるんだよ。知らなかった?」
記者に対するとんでもない風評被害だ。記者や報道関係者を嫌悪している黒咲は頷いてしまっているが。
彼のバイトが終わるまで待った結果、時刻は既に二十時を回った。
そのため、彼のアパートには連絡も無く押し掛けた三人の客人がお邪魔しているという現状である。
聞けばこの男性、これと言う連絡手段を持ち合わせておらず、どうしても口頭の伝達になってしまうのだという。
……だからと言って、こんな状況は私でも勘弁願いたいけれど……。
アパートの一室に、家主が一人。記者が一人。見知らぬ学生が二人。そして、妙な小人が一人……。
中心には人数に合わない小さな丸机と、紙コップのお茶。
謎の集まりだ、彼には同情すらする。
だから彼の機嫌がよろしくないことも、致し方ないことなのだ。
「後日に回せなかったのか……!」
「だってあなた、就業規則ギリギリの時間で働くじゃない。私たちもずっと暇って訳じゃないもの」
「俺の予定は考慮に値しないと?」
「今までの報酬や差し入れを見ても、まだまだ私は我が儘言えると思うけど?」
「……ちっ」
どうやら彼女らには既に、妙な上下関係が出来上がっているらしい。
彼には申し訳ないが……黒咲はこの状況をありがたく受け入れた。
「それでお前らは、俺たちの故郷を探しているんだったか?よくもまぁ、この女の戯れ言を信じるな?」
「まぁ……"彼女"を見れば少なくとも、普通ではないと分かります」
『んむ?酷いなぁ~!?ゼルちゃんが普通じゃないってぇ~?』
黒咲は力強く頷いて見せた。
普通ではないだろう。この世界の基準から、明らかに。
人差し指程の大きさ。背中にあって、虫を思わせる透明な薄羽。白服の女の子。どれを取っても普通ではない。
ちなみに彼女の衣服は、コンビニでもらった使い捨ての手拭き布をそれっぽくして着込んでいるらしい。
なるほど、普通ではない。
「わ、やっぱり飛ぶんだ!すごい……」
『今日は月さんがご飯くれたから、元気だよ~!いつもありがとね!』
「……シェルファ、まだ肩肘張ってるの?」
「黙れ。さっさと帰れ」
……話しには聞いていたがやはり、反抗的だ。口調も態度も、表情も。全部が私たちを嫌悪していると語っている。大柄な体格と厳めしい顔つきが、それを更に際立たせた。
だが黒咲は臆す訳にも、退く訳にもいかない。
彼女が懸けた人生のため、何より大切な人らを取り戻す悲願のため。ここで退くなど、あってはならない。
「貴様ら異世界人に語ることなど何もない。忌々しい……侵略者共が……!!」
……例え私たちが、目の敵にされようと。
「……あなたの経緯は、月立さんから聞いています。それでも知りたいんです。どのようにこの世界に来たのかを」
「どのようにだと……?ハッ!我々は来たのではない!
迫害され、追い出されたのだ!転移者の糞共になぁ!!」
彼の怒声に、コップに注がれた水面が揺れた。
これも月立から事前に聞かされていたこと。しかし目前にすると、聞いた限りとは桁違いの圧力だ。
彼らは故郷を……私たちの語る異世界から迫害され、命からがらこの世界に逃げ延びたのだと言う。
他でもない、転移者の手によって。
「奴等が我々の世界に現れたと思った矢先、蛆虫の如く大量に沸いて出てきた。どいつもこいつも異様な……常軌を逸した能力で、好き放題に異世界を荒らした!
そんな輩が三度、故郷に渡る手伝いをしろと?笑わせるな!」
「私たちにそんな力はありませんよ……!」
「その煽り文句も聞き飽きたわ!我が親愛なる配下を目の前で消され、それが魔法の試し打ちなどと宣う貴様らは……どれだけ我々を侮辱すれば気が済むのだ!」
知らないわよ、そんなこと……!
ぶちまけた水桶のように、彼の怒りは止まらない。だが震える花鳥はともかく、黒咲は戦くどころか、苛立ちを覚えていた。
だって、そんなこと知らないもの!
私はこれまで、失踪した人々をこれでもかと調べて回った。当然、その数は膨大……つまりそれに比例する転移者が存在することを意味する。
勿論、異世界関係無しに、事件に巻き込まれた方々もいるだろう。だがそれを差し引いても、異世界に連れ去られた人数は計り知れないはずだ。
これだけ分かれば、小学生でも察しが付く。
転移者全てが善人な訳ないじゃない……!
故郷を荒らされた?当たり前だ!こっちだって、同じ世界に済む人間同士分かり合えない。だから争いもなくならない!
それを私に喚いてどうするのよ……!
「それに、この掃き溜めに来て分かったわ。奴等の持ち得る知識や技術は、所詮先人や過去が培った、受け売りでしかなかった。
それをさも自らの力であるかのように触れ回り、誇張するとは……浅ましい!何と憐れな奴等だったのか!」
「学んだ事や知識を使うのが、知識人です。誰もがそうやって生き延びるもの……馬鹿にしないで頂きたい……!」
言うに事欠いて、この人は……!
誰だって……いや、どんな種だって進化を繰り返したから今がある。
私たち人間も、言葉や文化……そして技術を伸ばして、今の発展がある。
知っていることを、学んだことを最大限活用して異界の地を生き延びる!それの何が悪いの!?
勝手に連れ去っておいて、それすらも許さないのか異世界は……!
「それに、あなたは平和とは対照的な立ち位置にいたのでしょう?ならば異世界を荒らしていたのはそちら側では?」
「餓鬼が平和だ何だと抜かすな……!」
「はいはい、双方ちょっと落ち着いて~。話の趣旨が違うでしょ?」
『シェルファも熱くなりすぎだよ。魔将の座が泣くよ?』
見てられないと、止めに入る月立とゼル。
……ゼルが制止に入ったのは少し意外だ。彼女も経緯は違えど、シェルファと同等の立場のはず。
やっぱり、彼の生活様式に辟易しているのかも……。
彼はこの世界を敵視している。怨んでさえいる。
そのためか、この世界の物を使うことを全くよろしく思っていないのだ。事実、この部屋には生き抜くために最低限の備品しか置かれていない。冷蔵庫がないと聞いた時は流石に驚いた。
最早、屋内でサバイバル生活を営むのと同じだ。
しかしこの世界にいる以上、この世界の物を使わずに生きるなど到底不可能な訳で。屈辱にも、金銭を稼ぎ、衣食住を得ているとか。
だがはやり、最低限。抑圧された生活。ゼルの纏う使い捨て手拭いでも見て取れる。
ゼルさんは、シェルファさんの確固たる姿勢を気に入ってはいないのかもしれない……。
……まあでも、そうね。
私も落ち着くべきだ。彼らは異世界を知る、重要な人材なのだから……。
「ハッ……まさか辺りに沸いている、平凡以下の人間共があの転移者だとはなぁ……
貴様の家族とやらも、我らが故郷では新たな人生を謳歌しているさ!貴様の存在など忘れているだろうなぁ!」
ふ ざ け る な
「……ふざけんな」
「ユ、ユリちゃん……?」
「ふざけんじゃないわよ!!」
自分でも驚いた。自分の耳を抑えたくなる程の大声なんて、出したことがあるか分からない。
……許さない。今の発言だけは絶対に許さない!
人生を謳歌している?
私のことなんて忘れている?
家族なめんな!!
「私たちは被害者だ!大切な人と引き離されて、楽しい訳がない!撤回しろ!」
私は覚えている。
ことねちゃんの苦痛に歪んだ顔を。
お兄ちゃんとお母さんの悲しみ、戸惑いに苦しむ顔を。
恋人の血の気の引いた、生気のない顔を。
覚えている。覚えている!夢にだって見ることがある!
こいつの言っていることは間違いだ。
全部間違いなんだ!!
「撤回しなさい!謝れ!」
「……ハハッ、その顔……実に愉快だぞ」
「っ……地獄に墜ちろ……!」
「ちょ、ユリちゃん何処に……!?」
何処に……?帰るに決まっている!
彼らが異世界と最も繋がりが深いことは理解している。だけど……私の家族を、親友を侮辱する奴に教わることなんて何もない。
あってたまるか……願い下げだ!!
「……月立さん、ここまでお膳立てしてくれたこと感謝します。それをこんな形にして、すいません……失礼します」
「帰るがいいさ!小娘如きが故郷を目指した所で、道中で野垂れ死ぬだけだ。諦めろ」
「っ、……っ!」
売り言葉に買い言葉。
不毛なプライドと自尊心のぶつけ合い。
黒咲は、異世界に背を向けた。
「結局、こうなるのね……」
蒸し暑い夜道を歩く。だけど、後悔なんてしていない。
私と同じ天使と神を見れる人、異世界があると証明した彼ら……お釣りが来るほどの収穫だ。そうに違いない。うん、そうだ。
そう思わねばやってられない。
……はらわたが煮えくり返るとは、正に今だ。
「家に帰ったら、まとめないと……」
『その前に美味しい物たべたいねー!』
「……はぁっ!?あなた、どうして……いつの間に……!?」
制服の胸ポケットに、あの妖精……ゼルが入り込んでいる。
え、いや……出ていく時、確かに彼女は机の上にいたはず……どうやって……!?
ある種のホラー演出だった。怒りによる興奮が冷めていくのが分かる。だがゼル本人はあくまでマイペース……黒咲の慟哭など意にも介していない。
「え、何で付いてきて……帰らなくていいの?」
『問題ないって。それよりも……ユリさん、だっけ?随分とまあ私たちの故郷に拘ってたねー?』
「……さっきの発言なら、訂正はしないわ」
『全然いいよー。私はそこまで故郷に未練無いから』
……それはそれで、どうなのだろう。
『ねぇ、私が協力してあげようか?異世界探し』
「……どうして?」
人間、都合の良い話は求めても、同時に疑いを持つものだ。
ゼルの申し出は願ってもないことだが、だからこそ感謝の言葉は出てこない。彼女にメリットがないだろう?
そもそもゼルが協力などすれば、あの男は良く思わないはず。
彼女にはデメリットしかないはずだ。
『シェルファに付いていても、代わり映えの無い仕事ばっかりだし、いつもイライラしてるし……とにかく美味しい物も食べられない。
だから私は協力して、あなたは私にご飯を恵む!こっちの人間も、こうやって協力関係を持つんでしょ?』
胸ポケットから、満面の笑顔で見上げてくる。
それは黒咲にとって最適な回答だった。しっかりと対価を求める……なるほど、こちらの世界に早くも順応しているようだ。
これならば、黒咲の返事は決まっている。
「……好きな食べ物、ある?」
『たんぱく質を取り込みたいな!』
「……そう」
いつもより高い肉を買ってから、帰るとしよう。




