9.異世界からの逃亡者
「異世界から来た人……そんな方が本当にいるんですか?」
「お、そこ疑っちゃう?まだまだ異世界への信頼が足りてないなぁ~」
花鳥の疑問におどけて答える月立。
少なくとも異世界や失踪事件をネタにしている彼女が、異世界の信頼などと言って欲しくないものだ。
……ここで異世界への"愛"などと言っていたら、黒咲は本気で絶交を決意していただろう。
彼女らは黒咲家を出て、月立の案内により、その……異世界から来た人なる人物がいる場所へと移動していた。
その移動手段は、まさかの徒歩。
「こんな近所に異世界の手がかりがあったなんて……」
灯台もと暗し……なんて一言では言い表せない。
黒咲は今まで、彼女の出来る範囲で異世界を調べて回っていた。失踪……つまり神隠しと意味合いを重ね、その手の伝承が根強い地域にも赴いたこともある。何なら、海外に出れるよう密かに準備も進めていた。
それが、徒歩の範囲内にあった。まるで彼女の行動を嘲笑うかのように、都合良く。
……嬉しいのだ。手懸かりがあることは紛れもなく、嬉しいとは感じるのだ。
しかし赤い天使の情報を期待し、裏切られ、サプライズのように提示された今回の手懸かり……。
……喜べばいいのか、憤ればいいのか。早合点したと月立に謝罪すべきなのか。何か感情を持つべきなのか。
分からない。だから彼女は、黙って着いていくだけである。
「よっし、着いたよー」
「着いたって……ここコンビニですよ?何か買うんですか?」
「いや、ここで働いてんのよ。私たちの捜してる人は」
「こ、こんな所で!?」
衝撃だった。花鳥に対して、その言い方はお店に失礼だと注意するのも忘れる衝撃だった。
そこはコンビニエンスストア。黒咲も頻繁に利用する、コンビニ。
ここで働いている……!?異世界から来た人が……!?
……信じ、られなかった。
別に、"異世界から人が来た"という事象事態を疑う訳ではない。異世界に連れ去られていると確信している以上、それは全然有り得ることだ。
その人がコンビニで働いている……これも考えられる。別に何処で働こうがその人の勝手だろう。
だから、信じられないことは一つだけ。
……こんな近所で、私が頻繁に利用する場所で。私が……異世界の手懸かりがあると気づけなかった……!?あの事故からずっと、異世界を見続けてきた私が……!?
しかも相手は人だ。私が何をする必要もない。勤務しているならば、きっと顔も合わせたことがある!
なのに、気付けなかった。私が……!!
信じられない。信じたくない。
だったら私は今まで何をして……何を見ていたの……!?
「ありゃ、まだ出勤してないみたいだね。暑いし、中のフードコートで少し待つとしようか……ユリちゃん?」
「……はい、待ちましょう」
……初めて。
異世界が遠いと、感じてしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ちょっと僕、買いたいものがあるので……席外しますね」
「りょーかい」
店内にほとんど人はいなかった。そのせいか、冷房が効きすぎているように感じる。
でも、頭を冷やすには丁度良いかもしれない。
「ユリちゃん、大丈夫?体調悪い?」
「多分、大丈夫です……それと、すいませんでした」
脈絡も無く、謝罪してしまった。
月立さんも困っている。体調……ある意味、悪いかも。
「色々と情報提供をして下さったのに、失礼な態度とか……色々なストレスをぶつけていた自覚があるので……すいません」
彼女は確かに、有用な情報を与えてくれた。それが例え彼女自身の利益目的だったとしても、今回の案内しかり、有用であるのは確実なのだ。
それに頭を冷やせば、月立が赤い天使や神……異世界を知覚出来ることは、黒咲にとって最も大きい収穫だったのだ。
誰も相手にしなかった、黒咲の異世界。
それを共有できる人物が居た。何て大きな希望だろう、何て大きな支えだろう。
期待した情報では無かったことばかりに執着。加えてことねちゃんの母親や荷所の件で重なったストレスの……八つ当たりになっていた部分もある。
「そんなこと気にしないでいいよ~。社会に出れば日常茶飯事だし、何より私だって無意識に失言してるだろうし」
それに関しては、黒咲も全面的に同意する。
だがそれは自らの言動の免罪符にはならないと、黒咲は感じていた。だからこそ、頭を下げたのだ。
……。
「あの、一つお聞きしたいんですけど……」
「何?」
「月立さんは赤い天使……異世界を、どうしたいですか?
異世界があると知って、自分が普通じゃないと分かってから……どんな生き様を描いて、今ここにいるんですか?」
……伝わっただろうか。自分でも、質問の趣旨がまとまらない。
黒咲は、大切な人々を異世界に連れ去られた。だからその人たちを求め、異世界を求め、行きたいと願っている。
だが月立は違う。大切な人を、物を異世界に消された訳でもない。
ただ単純に、異世界を知覚出来る……普通じゃない人間。
私は独り。彼女は違う。
そんな彼女は、異世界に何を思って生きている?私とどれだけ、違う人生を歩んでいるの?
「思うことは、あるんです。今までのことは全部諦めて、異世界の縛りも全部無視した新しい人生なら……そっちの方が楽で、楽しいんじゃないかって」
何なら月立のように、それらを金儲けのために使う方が現実的かもしれない。事実、黒咲の目に、月立の人生は楽しいと写った。
……過去を捨てれば、社会の言うように未解決事件にしてしまえば。もっと楽しいんじゃないか?
……お母さんたち、ごめんなさい。
私は、月立さんを羨んでしまっています。
「……私はね。その異世界に消えた人たちを救いたいとか、連れ戻したいとか、正義感溢れる人格してないの。
結局は他人だし、私の人生潰してまでその人らを連れ戻す義理もないし、考えたこともない。それが当然だと思ってるしねぇ」
私、地域のごみ清掃もボランティアもやったことないのよ……そう、月立は笑って言った。
人が出来ていない、と言いたいのだろう。
……やっぱり、これで稼げるから。異世界は利益を出す道具程度の存在……なんだろうな……
黒咲はそれを、心の中に押し込めようとする。
「でもユリちゃんは、他人じゃない」
「……え?」
月立はそれを、否定してくれた。
「勿論、仕事ってのも大事だよ。だけどそれ以上に……ユリちゃんは他人じゃないから、手伝ってあげたいとか思うんだ」
……他人じゃ、ない。
「……何ですか、それ。じゃあ偶々知り合っちゃったから、こうして成り行きで協力している訳ですか?」
「出会いに偶々も運命もないでしょ。顔を合わせて知り合って、良くも悪くも理解を深める……運命の出会いとか信じる程、乙女じゃないのよねぇ、私」
……そっか。
この人、全然深く考えてないんだ。私のみたいに、人に対して細かい線引きとか、評価とか、全然考えていない。
こうして私に付き合うのは、仕事のため。
そして、他人じゃない私のため。
下手な理由なんてない。
仕事と私。たった二つの要素が彼女を動かしている。
……だから羨ましいんだ。だからウザいんだ。だから純粋にムカついて、怒ってしまうんだ。
他の要素を勘ぐる暇もない程に、月立さんに素が出てしまう。
疑心暗鬼なんて諦めて、彼女と接してしまう。
「……なるほど。こうして私に協力するのも、仕事と私のためですか」
「最初からそういってるじゃん。これはユリちゃんへの情報提供料だって」
「……えぇ、そうでしたね」
自由気ままに異世界と関わっている彼女は、大層腹立たしい。
だけど、本当の意味で異世界を分かってくれる彼女と、異世界を探したい。今までずっと独りで探して求めた異世界を、彼女と一緒に。
「じゃあ、これからもよろしくお願いしますね?月立さん」
「当然!私の雑誌もかかってるからね」
彼女はきっと、信頼出来る。
『お疲れ様です……』
『お疲れ様でーす』
「……あの人が、異世界人ですか」
「想像よりも、普通な感じですね……」
「そりゃ普通じゃなかったら、今頃有名人だよ。人気者かどうかは分かんないけどね」
目的の人物は……端的に言って普通だった。
少し大柄で見た目三十代前後の、普通の男性。普通に揚げ物を作り、普通に品出しをして、普通に勤務している。
社会に溶け込む以前に、至って普通だ。何も言うことはない。印象は堅物、ぶっきらぼうと普通な評価が出来てしまう程に普通である。
だが月立曰く、彼が異世界からの来訪者。
「月立さん、あの人が異世界の方だと判断された基準は何ですか?まさか本人の口から聞いたとかじゃ……」
花鳥の疑問は尤もだ。
もしそんな理由であれば、黒咲は先程信じられると感じた心の葛藤を、再度繰り返すことになるだろう。
「……彼の胸ポケット、見てみ」
「……?特に何も……」
『あの~、今日のご飯一度も頂いてないんですけど~……』
『黙っていろ……仕事中だ』
「……」
……堅物な男の胸ポケットから、可愛らしい小人が顔を出した。
「……なるほどね。本当に私は、何も見えてなかったみたいだわ……」




