7.異端者の集会所
「ではこの文章を……黒咲、読んでもらえるか」
「……」
「……黒咲?おーい?」
「く、黒咲さん。指名されてるよ?」
「……あ、え?」
……何、何で皆私を見ているの?
は?ラ行変格活用?なんで数学の時間に、まるで古典みたいなことを……。
「黒咲さん、数学は一つ前の授業だよ……?」
「黒咲、大丈夫か?気分が悪いとかなら……」
「……大丈夫です。すいません、気が抜けていました」
「ならいいんだが……よし、じゃあ違う人……」
机上の数学の教科書を鞄に押し込む。なぜかノートだけは古典のそれを出していた……いつの間に出したのだろう。そもそも、始業の挨拶はしたのか?
あぁ、やはり失敗すると目立つ。隣の人、私の名前知ってたんだ。
そうだ。私は気が抜けていたんだ。それを反省すればいい。
舞い上がってなんか、いない。
「く、黒咲さん……今日調子悪かったの?」
「顔色が悪い?」
「そうじゃなくて、何か……言動がいつもと違い過ぎたからさ」
本日の授業の終わりを告げるチャイム。しかし花鳥と知り合ってからと言うもの、それは彼が来る合図と化していた。
しかし、今の発言は如何なものか……?
他人との関わりに執着しない黒咲でさえ、そう思う。それではストーカー染みているよと伝えた方が、今後の彼のためかもしれない。
だが今日はそれよりも、大事な用がある。
「あ、その……今日も異世界探し?」
「だから……っ、家に帰るわ。その方面に詳しい人が訪ねる予定だから」
……私は何を口走ってるんだ?
自慢盛りの子供じゃあるまいし……!
「え!?だ、大丈夫なの?怪しすぎるんじゃ……」
「……大丈夫。私、人を見る目はあるから。もう行くね」
「……ねぇ!それ、僕も行っていいかな?」
……彼も何を口走ってるんだ?
何故着いてくる必要があるのか。それを尋ねる前に、花鳥はペラペラとまくし立てる。
やれ怪しいから一人じゃ危ない。やれ自分も異世界に興味があるから、ぜひ。やれ黒咲さんの部屋に行ってみたい。やれこの機会は見過ごせない……。
……普段からそう流暢に話せばいいのに。
しかし、そうだ。彼も異世界に陶酔している一人だった。この機会を逃したくないと言うのは、本心なのだろう。
……。
「……いいよ」
「え、い、いいの!?ホントに!?」
「校門前で待ってて。私はお手洗い済ませてから行く」
「わ、分かったよ!」
……前代未聞だと、黒咲は思う。
中学の頃にいた、最初で最後の彼氏でさえ自宅に上げたことはない。いや、祖父母でさえ自室に立ち入らせてはいない。
まさか、煙たがっていた花鳥くんを許すとは。
「……」
廊下にある、大きな鏡。そこに写っているのは私。
……多分、同情したんだ。
決して、怖くなんてない。舞い上がってもいない。
決して。
「……ねぇ、今の見た?」
「黒咲さん、いつも一人で寄せ付けない雰囲気あるからねぇ……ワンチャンいけるとでも思ってるんでしょ」
「惨めじゃね?どんだけ餓えてんだよ……気持ち悪ぃ」
「おいおい、本人は精一杯頑張ってんだよ。笑ってやんな……クフッ」
「……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ほぉー、じゃあ君も異世界ってのを信じてるのね」
「や、やっぱり可笑しいでしょうか……?」
「そう思ってるなら私はここにいないし、この仕事も辞めて転職してるよ。あ、私先生とか向いてると思わない?」
「ちょ、その……む、胸が……」
どうでもいい。兎に角、近所迷惑である。
初対面で背中に抱き付くなど、よくもまあ出来るものだ。
まるで酒でも入ってるかのような大音量。深夜に時偶聞こえる、あの喧騒と同じだ。しかもそれを一人で奏でる分質が悪い。
この分なら、月立一人で黒咲家に行かせた方が良かったのでは……そう考えて、黒咲は首を横に振った。流石に、知り合いとは言え見ず知らずの人間を単独で自宅に寄越すのは無用心だ。祖父母にも迷惑と心配をかけかねない。結局、校門付近で待ち合わせ、連れていくのが最善だろう
……客人を一人で行かせるのは失礼?そんな気遣い、彼女には不要である。
月立と花鳥が下手に意気投合したのも気に食わない。
彼女との接触により、彼が黒咲と関わる口実を増やしてしまった。
……今日は色々と、失敗し過ぎね。
「……ただいま。昨日話した、月立さん。あと成り行きで、同じクラスの花鳥くんを連れて来たんだけど……大丈夫?」
「あらあら、これはまた沢山……全然大丈夫よ。初めまして、お二方」
「どうも、本日はお邪魔致します」
「お、お邪魔します……」
祖父母に事前に話していたのは、当然月立のことだけだ。
話した最初こそ随分と警戒されたが……人と距離を置きがちな黒咲の見立てを信用したのか、それとも知り合いが出来て嬉しかったのか。自宅に招くことを戸惑わなかった。
そして、話には無かった花鳥へも寛容だ。祖父母には本当に頭が上がらない。
「ユリが人を連れてくるなんて初めてだからなぁ……仲良くしてやって下さい」
「いえ、そんな……こちらこそ……」
「私の部屋、二階だから。行きましょう」
挨拶もそこそこに、手早く自室へと案内する。飲み物や茶菓子はいらない、これも事前に決めていたことだ。
祖父母は恐らく、月立らとの会話をもっと楽しみたいだろう。根からお喋りな性格であるし、滅多に他人に関して話さない黒咲の知人となれば尚更だ。
しかし申し訳ないが……黒咲は祖父母を関わらせたくない。
ー異世界を探しているなんて勘づかれたら、目も当てられないからね……ー
「ユリ、何か必要な物があったら下にいるからね。お二人もゆっくりしていって下さい」
「分かった、ありがとう」
「すいません、漸くお邪魔しますね~」
……相変わらず、コミュニケーション能力に長けた女である。軽いお調子者と見られず、朗らかだと評価されるのは、最早人心掌握の域だなと黒咲は感じていた。
……私も、それに呑まれた一人かもしれない。
「……さて、ここが私の自室ですが……再度確認します。
私はあなたに、今まで集めた失踪事件や異常事象を……ネタとして提供します。その対価として、月立さんは例の天使や神について知っていることを私に教える。全て。問題ありませんね?」
「情報提供者には報酬を……ばっちこいだね」
ホント、"ネタ"とは……我ながら屈辱ね……!
……そう。これこそが今回、月立を招いた理由。
先日、彼女が異世界や天使に干渉している人物だと知った黒咲は、我を忘れてその情報を求めた。
しかし、やはり社会人と言うか、狡猾と言うか……月立は無料でそれらを与える程にボランティア精神は持っていないと笑った。
彼女が対価として求めたのは、黒咲が有している情報……ネタだ。
今まで何人もの親しい人を異世界に連れ去られたと宣っていた黒咲。オカルト雑誌を手掛ける月立にとっては、重要な収入源だ。
大切な情報を、思い出を金にされる代わりに……その思い出を取り戻す手がかりを得る……。
そう考えた黒咲の判断は早かった。いや、深く考えたくなかっただけかもしれない。
「ぶら下がった餌に食い付くのが、こんなに楽なんてね……笑っちゃうわ」
「ど、どうかした……?」
「何でもない。花鳥くんにも話した通り、今日のことは誰にも言わないこと。いいわね?」
「……うん。絶対、言わないよ……」
……?
人目も気にせず異世界だ何だと騒ぐ彼にしては、珍しい反応だと、黒咲は思った。何かあった……?
……しかし今は、彼のことなど考える余裕はない。
人生を賭けて求めた物に、ついに近付けるんだから……!
「この部屋は、祖父母にすら立ち入らないようにお願いしてます。ここが私の全て……開けますよ」
「はーい、失礼しま……」
「わ、あ……」
黒咲が開き、月立が飛び込み、花鳥がおずおずと入室する。
その足は、直ぐに止まった。
……予想通りの反応で、安心した。
「これ、は……」
私の部屋は広い。祖父母の家の空き部屋の中でも、最も広い部屋を提供してもらった。しかし……花鳥が驚き、月立が震えるのはそこじゃない。
床には四大元素のシンボルを敷き詰め描かれた、二重円の魔方陣。
一側面の壁を埋める本棚には北欧神話やギリシャ神話といった文書、蝋燭……。
一台のテレビ周辺には、ゲームソフトが乱雑に重ねて置いてある。高校生には馴染みの少ないパソコンが机上を埋めていた。
そして、残りの壁一面は……衝撃的だった。
「謎の失踪、行方不明になった事件の詳細……地図、場所に時間、現場の状態、個人情報、顔写真……!?」
怪奇。奇妙。恐怖。
壁一面にびっしりと縫い付けられたそれら。
月立は知っている。それらは当然、一般には公表されていない物もある。それを彼女は、まるで予定表とでも言うように壁に張り付けている。
これを、たった一人の……子供が……!?
こんな異様な部屋で、生活しているの……!?
彼女は……一体、どこまで。
「さあ……語りましょう。憎き異世界について」
ー異世界に、魅入られているのかー




