6.定まった再会
「すいません、このボリューミックスケーキを一つ。あとコーヒーもお願いします」
「は、はい。かしこまりました」
「……私、帰りますね」
「まーまー!そんなカリカリせず、ね?甘いもの食べて落ち着こうよ」
誰も彼もが、意味が分からないと思っているだろう。
だが一番意味が分からない、理解に苦しむことは決まっている。
荷所が帰ったことだ。
勝手に連れてきて、勝手に帰り、何もかも放り出していった。その結果がこれだ。女子高生の前に座っているのが、中年男からだらしない身なりの女に入れ替わった。
社会人には、その行動一つ一つに大きな責任が付いて回る。世間から見ておかしい黒咲でさえ知っていることだ。
つまり、あいつは社会人じゃないってこと。
自分からそれを示してくれるなんて、ホントに愉快。何が社会復帰だ、ざまあみろ。
「はぁ……」
「もうちょっと待ってね~。多分五分くらいで来ると思うからさ」
黒咲は何気なしに、メニューを開く。
ボリューミックスケーキ……。
……冗談じゃない。何なのこのカロリーは。一日に望まれる摂取カロリーがいか程なんて知らないけど、これはダメでしょ?
四桁はまずい。
「……帰りますね」
「待ってよー。何でそうも帰りたがるのさ?荷所さんは大丈夫って言ってくれたよ?」
「だから繰り返しますが、それはあの人の勝手な判断で、私は知りもしなかったんです」
「ケーキ奢るから、ね?」
「まだ死ぬわけにはいきません」
「ちょ、君も大概失礼だね」
そう言って、けらけらと笑う月立。
……失礼なのはどっちよ。まるで昔からの馴染みのように砕けた口調を録音して聞かせてやりたい。
黒咲と彼女が初めて会ったのは昨日で、それもたった三分の出来事。一日の内の三分……千四百四十の内の三分だ。
つまり、黒咲は月立のことを何も知らない。
対して月立はそれなりに知っているようだが……それは馴れ馴れしい態度の免罪符にはならないだろう。
とにかく、黒咲は早く帰りたいのだ。
「だから、用件は何なんですか?取材なら受けませんし、何も答えません……それにその口調ほど親しくなった覚えもありませんが」
「こればっかりは性格みたいなもんでさ、許容してよ。
今日は伝えたいことがあって来たんだ」
……伝えたいこと?聞きたいことではなく?
「多分、君が一番欲しがってるものさ。昨日会った後に、話した方がいいかな~って思った訳」
「……それは、何ですか?」
「あれ、帰るんじゃないの?」
喧嘩を売るとはこのことか。
何なんだこの人は。黒咲の頭はその言葉で埋め尽くされた。
まさか黒咲の欲しいものが挑発だとでも言いたいのか。
……ああ、ずるい人だ。
「ふふっ、伝えたいのは山々なんだけど……その前に一つ確認したいことがあってね?」
「……?」
「どうして、ことねちゃんの死を認めないのかな?」
決まった。
この人は、私を怒らせたいらしい。
「……」
「彼女の遺体もある。葬儀もなされた。何より君は、彼女の葬式に行っている……どうして"死んだ"と言わないの?」
「……本当に、失礼な人ですね」
「でもそれが真実でしょ」
お母さんとお兄さんが消えたことが真実なら、
ことねちゃんの死もまた、同じ真実ではなくて?
月立は悪びれも戸惑いもなく、そう言った。
……そうだ。ことねちゃんの死は"絶対的な事実"だ。
息をしていなかった。心臓が停まっていた。冷たかった。多分、手のひらに触れているジュースと同じくらいの冷たさ。
だけど。
だけど。
「ことねちゃんは、死んでませんよ」
私は確信を持って言える。
私だから。
「どうしてそう言えるの?」
「それは私にしか分かりませんよ」
そうだ。私にだけ分かる。轢いた荷所でさえも、その声……光景を知らなかった。
私だけなんだ。私が特別なんだ。
この人に理解できる訳が
「こちらの手違いで死んでしまった。ごめんね」
……うそ。
「でも大丈夫。とっても楽しいもう一つの世界に連れていってあげる。魔法が使えるんだ……そう、お母さんも一緒だよ
この赤い羽の天使さんが色々教えてくれるから」
なんで
「私は神様だよ」
「どうして知っているの!!?」
音が、消えた。
私は立ち上がっている。机を叩いた。視線を向けられているらしい。店員も客も驚いているらしい。
そんなことはどうでもいい!!
「何で手違いだって……赤い羽の天使を知ってる!?その二つは、誰にも言っていない!」
そうだ。そうだ!それなのだ!!
私は言っていない!
私は理解して欲しかった。だから沢山のことを大人に、友達に、メディアと社会に話した。神に連れ去られたと、光に包まれたと。異世界だと。
でも、全部じゃない。
赤い羽の天使と、"手違いで"という言葉は、黒咲だけのもの。
私だけが見ていたもの!!
「答えて!!」
「そうだね~、とりあえず……座って?追い出されたら話せないからさ」
「っ」
……黒咲は座った。彼女に出来たのはそれだけだ。
月立のように周りに謝ることも、ケーキを受けとることも出来ない。冷静?落ち着き?そんなものは邪魔でしかなかった。
今目の前に、異世界の欠片がある。
重要なことは、それだけでいいのだ。
「答えて下さい……!」
「……君は死んだと認めない。生きている、そう言ったね?その根拠は、ことねちゃんが連れ去られる光景を見て、聞いたから……違う?」
「……」
「目の前に遺体がある。当然、生きちゃいない。救急車に彼女が運び込まれていく……でも君はそれを追いかけなかった。
あらぬ空……上を見ていたらしいじゃない」
「見てたんでしょ?神とことねちゃんが話す、その姿を」
「……そうです」
自然と口が動いてしまった。
何でそこまで知っているのか。黒咲の中にあるものが、その言葉を押し留める。
「それを聞けて安心したよ。やっぱり間違ってなかった……何となく気付いてるでしょ?何で私が知っているのか」
……彼女の言う通りでしかなかった。
黒咲も感づいてはいるのだ。それしか考えられない……いや、それだと思い込みたいだけかもしれない。
だから黒咲は言葉を待つ。
喜びに、裏切られたくないから。
「……私は、神が見える。天使が見える。異世界を知ってる」
「私も"普通"じゃないのさ」
それを聞いたとき。
視界の隅にあるケーキがとても綺麗で。とても美味しそうなものに変わった。




